今は、現実の世界でもネット上でも、怒りの蔓延する世の中です。
そこで今日は怒りの対処法について書きたいと思います。
このブログの冒頭にも書きましたが、とにかく私は怒りの渦に巻き込まれたくない一心で、かつては自分の殻に閉じこもっておりました。
それを「前へ踏み出すよう」促してくれたのも、ブロンプトンを介した人のつながりであり、本ブログでもあります。
しかし一方で、本当に怖いのは他人からの怒りではなく、自分から他者へと向ける自らの内なる怒りなのだとこの歳になって思うのです。
人間ですから、感情があり、喜怒哀楽があって当然です。
でも、怒った自分というのはその他の感情に比べて、自分を見失っていることと、その怒りが相手のみならず自分をも傷つけるという点において、とてもよくないものに思えます。
巷には「感情的にならない方法」などハウツーものの本があふれていますが、「どうやって怒らない自分をつくるか」とか、「腹を立てても表面に出さないようにするにはどうするか」ではなく、「自己の怒りの感情から何を学ぶか」が重要なのではないでしょうか。
今日はそんな自分を振り返って、いつも原点に立ち還ろうと思う際に読む文章をご紹介しましょう。
あるアルコール依存症の女性が綴った文章で、翻訳は我流です。
英語の文章も平易で美しいと感じたので、全文を載せたいと思います。
If you have a resentment you want to be free of, if you will pray for the person or the thing that you resent, you will be free.
If you will ask in prayer for everything you want for yourself to be given to them, you will be free.
Ask for their health, their prosperity,their happiness, and you will be free.
Even when you don’t really want it for the mind your prayers are only words and you don’t mean it, go ahead and do it away.
Do it every day for two weeks, and you will find you have come to mean it and want it for them, and you will realize that where you used to feel bitterness and resentment and hatred, you now feel compassionate understanding and love.
(Alcoholics Anonymous p552)
『怒りの気持ちを手放したいのなら、腹を立てている相手や出来事に対して祈ってみなさい。
心に平和がきっと訪れます。
祈りの中で、自分が望んだものすべてが、相手にも与えられますようにと求めたなら、心に平和がきっと訪れます。
相手の健康、繁栄、幸福を願うとき、あなたの心には平和がきっと訪れます。
たとえ本心ではそう望んでいなくても、ただ言葉を並べただけにしろ、全くその気持ちが無かったとしても、とにかく、どんな方法でもよいから勇気を出して祈ってみなさい。
2週間つづけて毎日祈ってみなさい。
そうすれば、祈りが意味する内容、望む中身がわかってくるから。
やがて自分がこれまでどのように怒りや恨みや皮肉を使ってきたのかに気づき、そこから思いやりのある理解と愛情を感じるように、あなたの態度は変わってゆくことでしょう。』
(アルコールを飲む習慣はないし、英文は拾い読みしかしていませんが、とても示唆に富む本だと思います)
なお、怒りの相手に対して祈るという行為は、純粋にこちら側の内面の問題であり、相手に対して許しを請うとか、それによって事態をおさめようとする行為とは全く次元が違います。
もちろん、相手の言いなりになったり、要求を何でもかんでも受け入れることではありません。
祈ったうえで、自分の側の過ちは認めたうえで、理不尽なことにはNoならNoとはっきり言ってよいのです。
それを「反省が無い」などと揶揄するのは、相手の問題です。
(そういう人間に限って、自分の側の過ちは決して認めないものです)
こうした対処の仕方はとてもキリスト教的だとは思いますが、「いかり」と「いのり」はたった一文字違いの、実は仲の良い兄弟なのかもしれませんね。