(弁当を粛々と食し 昼また河を渡る)
さて、用事を済ませてお昼を食べて、帰りの新幹線まで時間があったので、腹ごなしに大阪の街を少しだけ走ることにしました。
これがブロンプトンをつれていかなければ、喫茶店などで時間を潰すことになるのでしょう。
もっとも旅マニアの私なら、たとえブロンプトンがなくても、新大阪の駅から東海道本線の線路に沿って裏路地を歩きつつ、時間になったら電車で新大阪へ戻るということをしたでしょうけれど。
なぜこんなことをするかといえば、新幹線の乗車券が「新大阪→新横浜」ではなく、「大阪市内→横浜市内」になっているからなのです。
せっかく大阪市内の駅ならばどこからでも乗れるのに、わざわざ新大阪から新幹線に乗るなんて、権利を放棄しているみたいでもったいなく感じてしまいます。
どうせなら、安治川口とか寺田町とか、横浜の人間には聞いたことも無い駅から乗ってみたいではないですか。
これが「乗り鉄」の感覚です。
もっとも、自分は乗ることよりもそこへ行くことの方が大事です。
だって、上記の駅なんて、そういう旅をしなければ一生縁のない場所ですから。
(御堂筋大江橋 国の重文です。右手に見えるビルが大阪市役所)
だから、たとえブロンプトンがなくても、片道切符を購入して、「この駅の周辺は面白そうだな」と思うところで下車して、駅周辺を散策するだけでも異邦人体験はできます。
但し、このお散歩を外国で行うときは、治安情報をきちんと確認してからやりましょう。
とくにヨーロッパの大きな鉄道駅周辺は、移民が多くてあまり治安のよくない場所が多いのです。
そういう意味でも、駅周辺のぶらぶら散歩は、日本特有の旅の楽しみ方だと思うのです。
(日銀大阪支店 設計は本店や東京駅と同じ辰野金吾博士です)
ブロンプトンでもう一度新淀川橋を渡り返して、梅田方面へと向かいます。
これは、東海道本線を逆方向の京都方面へ走ると、神崎川を渡ってすぐにお隣の吹田市に入ってしまい、乗車券の適用県外に出てしまうからです。
何も行きと同じ橋を渡らなくてもと思ったのですが、この日はルートラボにてきちんとコースを決めてこなかったものですから、行った先でいちいち地図を確認するのが面倒くさく、新幹線までの時間がそんなにないので、せいぜい中之島周辺くらいまでしか走れないだろうと予測していたからです。
(大阪市中央公会堂)
そこで新淀川大橋を渡って御堂筋をそのまま南へ向かいます。
日曜とはいえ、お昼を過ぎると車が多いです。
また意外なのは大通りを通る自転車も多いことです。
それも、ロードサイクルやクロスバイクなどのスポーツ自転車に交じって、電動アシスト付きの軽快車が結構な速度で走っています。
心なしか、人も自転車も車もせかせかしているように思えます。
これはもしかして、「いらち」のせいかしらん。
大坂の中でもキタはかなり東京っぽいと聞いていたのですが。
そんなこんなで中之島まで来ました。
子どもの頃に来たきりでしたが、ずいぶんときれいになって、川沿いには遊歩道やカフェがありました。
うーん、自分の大阪のイメージは鶴橋辺りのコテコテな喫茶店でアイス…じゃなかったレイコーをしばくイメージだったのですが、今の大阪の人からは、「そんなこと言うのおっさんだけですよ」と笑われてしまいました。
昔は大阪で東京弁使うと親に吉本に売り飛ばされるって真剣に話していた女子高生がいたのですが、まぁわいもおっちゃんやし、かんにんなー。
(こういうと、変な大阪弁使わないでくださいと真顔の東京弁で返されるのが現代のオチです)
おっちゃんの話をもう一つ。
これを書いているとき、永六輔さんの訃報が入りました。
彼の詩と言えばもう私にとっては「遠くへ行きたい」が筆頭なのです。
(作曲は「上を向いて歩こう」と同じく中村八大さん)
子どもの頃、国鉄がスポンサーのあの番組は、もう旅に出たくて仕方がなくなる究極の「家出推奨番組」(冗談です)でした。
知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい
知らない海をながめてみたい どこか遠くへ行きたい
遠い街遠い海 夢はるか一人旅
愛する人とめぐり逢いたい どこか遠くへ行きたい
旅というものはひとりでするもので、そこで知らない人の中に入っていって、自分の存在というものを再確認する面があると思います。
昔の感覚だと、この歌詞のように「愛する人とめぐり逢」ってしまったら、そこから生活がはじまって、一人旅どころではなくなってしまいます。
だから、今の時分はくだんの箇所を「愛する神とともに」と読み替えている気分です。
教会ではミサの最後に、「行きましょう、主の平和のうちに」と司祭が言うと、会衆は「神に感謝」と応えます。
あんな感覚でしょうか。
永六輔さんは本当に遠くへ行ってしまいましたけれども、そこでまた旅をして作詞をしているのかな、などと想像しつつそっと合掌してみるのでした。
(おっ、半沢直樹だ)
もうひとつ、永六輔さんの作詞で大阪の歌をご紹介しましょう。
「銀杏並木」という歌です。
こちらの作曲は「見上げてごらん夜の星を」のいずみたくさんです。
(「いずみ-たくさん」じゃないですよ。)
お二人のコンビで「にほんのうた」と題し、1966年から70年にかけてご当地ソングをつくり、デューク・エイセスというボーカル・グループが歌っていました。
私の父はこのレコードを家でよくかけていて、「銀杏並木」が大阪の歌だったのです。
大坂の恋人よ 北から南へあるこう
銀杏並木が芽をふいた 若い二人の目が合った
梅田から中之島 恋人に遠い道はない
ちょっと、梅田から中之島は歩いてもそんなに遠くはないですよ。
こんな調子で梅田―中之島(淀屋橋)―本町―心斎橋―難波と御堂筋(線)に沿って歩いて南下する恋人を歌っています。
4番までゆくと季節は冬で恋人たちは婚約までしているわけですが、結婚の描写はありません。
まぁ、あまり曲の調子も明るくはないですし、別れを予感させるのですが、御堂筋の順番を覚えるにはぴったりです。
今回ブロンプトンで走っていても、目が合うことはなかったなぁ(笑)
だいたい若くないし…。
「ちょいとそこゆく若いお二人、ブロンプトンで北から南へ走ってみませんか、銀杏並木もきれいだし、無線機で二人だけの会話も自転車に乗りながらできますよ」と半纏着て人力車の呼び込みのようなことでもやったら面白そう。
(新大阪始発の新幹線であっても、早めに行ってブロンプトンを網棚にのせておいてから飲み物やお菓子を買った方が身軽です)
さて、少し写真を撮ってから、梅田へ戻ります。
とちゅう、「あ、半沢直樹だ」と思う風景を眺めつつ駅に戻ると、大混雑しています。
御堂筋南口でブロンプトンをたたんでカバーを念入りにかけてから、改札を通って東海道線の上りホームまで行ったのですが、電車のドアまで混雑がはげしくてなかなかたどり着けません。
これは東京都内でも同じことなのですが、大都市の場合、大きなターミナル駅で乗車するよりも、そのお隣の駅で乗車したほうが楽なのです。
(新幹線の車窓から眺める佐和山城址 石田三成の居城で関ヶ原の戦いの翌日、小早川秀秋ら寝返り諸将に攻められて落城しました)
たとえば、山手線や京浜東北線を利用するのなら、東京駅で乗るよりも、両隣の有楽町や神田から乗った方が(バリアフリーの問題はあるにせよ)改札からホームまでの距離がずっと近くなります。
同じように、渋谷よりも恵比寿、横浜よりも東神奈川だったりします。
ただ、今回のように「大阪(梅田)→新大阪」とひと駅だけ乗車する場合は、お隣の駅は東海道本線を利用する関係から「福島」ではなく「塚本」になってしまいます。
そうすると、もう一度淀川を自転車で渡らねばなりません。
しかし、それならば中之島などゆかずにブロンプトンでぶらぶらするのは淀川の右岸の街、新大阪―南方―十三―塚本ということになります。
うーん、正直言ってそれはそれでディープな大阪探訪なのでしょうけれど、初心者向きではありませんよね。
「またブロンプトンでコアな場所をウロウロして…」と言われてしまいそうです。
(富士山も午後はこんな感じです)
しかし、こんな感じで日帰り出張にブロンプトンをつれていったら、たくさんの発見があって、仕事の商談や会議も楽しいものになるのではないでしょうか。
何よりも、帰りの新幹線での熟睡度合いが違います。
新横浜に到着する頃にはすっかりと復活していて、JR菊名駅から自宅まで走って帰るほどでした。
そして横浜市内を走ってみると、あらためて「横浜の人ってのんびり自転車に乗っているのだな」と再発見するのでした。(おわり)
(よく寝ました)