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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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最後の海軍大将、井上成美の愛した横須賀・小松

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パソコンに向かって書類を作成していたら、横須賀の小松料亭が全焼とのニュースが入ってきました。
この料亭、かつては海軍の将官から「パイン」の隠語で呼ばれて愛されていました。
最盛期にはトラック諸島にまで支店を出していたとか。
ニュースには東郷平八郎や山本五十六なども通ったとありますが、私が印象深いのは阿川弘之先生の海軍三部作のうち、「井上成美」に出てくる氏とパインのエピソードです。
以下は井上成美の伝記から。
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『終戦直後のある日、小松の一室に案内された井上は、敷居の外に座ったまま、直枝(注;料亭の女将だった山本直枝さんのこと)に向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。
今度の戦争では大変なご迷惑をおかけしたことを、日本海軍を代表しておわびいたします」
 かつて小松が、日本海軍の進撃に合わせて、遠くトラック諸島まで進出していったころ、それを援助した当時の第四艦隊の司令長官が井上であった。
戦争が激しくなってからは、看護婦の仕事まで手伝うようになった女子従業員を小松は六人も亡くしてしまった。
そんな苦汁もなめたのだが、まっ先にわびる井上の真摯な姿に、直枝は苦労がすっと消えてなくなっていくような思いがした。』
イメージ 2
戦後に井上氏の生活の困窮ぶりを案じた山本直枝さんは、ときどき食べ物をもって同市長井にある彼の自宅を訪ねましたが、そのたびに掛け軸やら鎌倉彫の火鉢まで持たせてお返ししようとしたそうです。
昭和二十六年ごろになって、小松に米兵の客がやってくるようになり、山本さんは井上氏に英会話の指導を頼むことにしました。
「でもね、“犬がいます”、“ハトがいます”、“本があります”なんてのはいやですよ」
「うん、よしよし。“スキヤキはいくらです”“芸者をよんだら一時間でいくらになります”というような話ができるようにしてやろう」
こんなやりとりをした後、井上氏が地元で子どもたちに開いていた英語塾は、週二回パインにも出張して行われるようになりました。
氏が自作したガリ版刷りの教科書は、接客を中心に書かれていて、アメリカやイギリスの国歌まで教えたそうです。
彼は世話になった礼のつもりだったので、当然に報酬は要求しませんでしたが、出された食事は喜んで食べたそうです。
イメージ 3
私も母方の家は海軍軍人だったので、いつかは行ってみたかった料亭ですが、かなわぬ夢となってしまいました。

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