こんにちは。
ブロンプトンによる旧東海道尺取虫方式の旅は、2月24日に第六日目の終了までをご紹介し、そのままになっておりました。
このシーリーズ、少数ながら楽しみにしてくださっている方がいらっしゃると聞いておりますので、少しずつでも西へ進みたいと思います。
年末に名古屋駅付近のビジネスホテルに宿をとり、2泊3日で東海道を忠実にたどり、できるだけ西へ進もうというのが第六日目から第八日目の旅の趣旨です。
第六日目を少しだけおさらいしましょう。
2013年の12月29日、浜松に7時43分に到着した私とDANさんは、駅にほど近い浜松市中央区中央三丁目の国道152号線交差点から、旅を再開しました。
朝は晴れているのになぜか雨がぱらついたものの、まずまずのお天気で今切れの渡しの代わりに橋で浜名湖を渡り、豊橋宿を抜けて赤坂宿の先、豊川市立長沢小学校付近まで走りました。
そして名電長沢駅から今回の宿泊地である名古屋駅へ電車で向かったわけです。
(浜松駅北口)
予定では第六日目は60㎞を走る予定でした。
今回から2人ともブロンプトンになったので、それくらいは走れると見積もっていたのです。
また赤坂宿と藤川宿の間には、名前はついていないものの峠があります。
名鉄本線の駅でいうと、名電長沢駅と西隣の本宿駅の間が峠の頂上になっており、東から西へ進む場合は国府駅付近からゆるゆると上り坂がはじまり、峠を越すと岡崎市の東名高速道路インター出口付近まで概ね下り坂になるのは、歩いた時にじかに足で記憶していました。
2泊3日の旅程の場合、初日と最終日は自宅と目的地までの往復に時間と体力を使用するため、一番距離を稼げるのは中日(「ちゅうにち」ではありませぬ。「なかび」です)ということになります。
そこで、中日である第七日目の出鼻を下り坂主体にして、一気に岡崎、刈谷、鳴海を抜いて宮の渡しに至り、余勢をかってその先まで行ってしまおうというのが私の目論見でした。
(浜名湖を歩いた時も冬でした。上空には偏西風による筋状の雲がはっきり映っています)
ところが、実際は峠直前の長沢駅までしか走れず、浜松駅からの距離は54.1㎞にとどまりました。
予定の9割を走れたからよしとする考え方もあるとおもいます。
しかし、尺取虫方式の旅の場合、僅かな旅程の遅れが積もり積もって大きな誤差になることが多いのです。
これ、戦史などを研究されている方はよくわかると思います。
とにかく旅はアクシデントの連続ですから、計算通りにゆかないと最初から割り切って、そのアクシデントを見込んだ余裕をもつべきで、自分のようなカツカツの旅程は、個人の趣味ならともかく、旅行商品としては成り立ちません。
これを読んでいる皆さんで、旧東海道尺取虫の旅を予定している方も、実践している方も、自宅から遠くへ行けば行くほど、予定との誤差が生じて思い通りに行かなくなることが多いので、余裕を持った旅の計画をするか、さもなければアクシデントを楽しみましょう。
私は断然後者のほうです。
(潮見坂にて。フロントバックが重くて、自転車が自立しませんでした)
さて、なぜ予定通り60㎞走れなかったのか、自分なりに内省してみました。
ひとつは、スポーツ自転車に乗って主要国道を一日100㎞以上も走るのとは条件が全く違ったということです。
このときは、ナビもなく歩いた時の記憶に頼って地図のコピーを持ち歩きながら、できるだけ旧東海道を忠実にたどりました。
また名所や史跡があると少しだけ立ち寄りって案内板を読み、宿場では本陣跡を探すなどしていたため、平均の走行速度は10㎞/hを切っていたと思います。
(豊橋にて)
もうひとつは、2泊3日の旅の初日で、フロントに宿泊のための荷物をCバッグに入れて装着したまま走ったことでした。
アップダウンが少ない道で、しかも風の弱い日ならそれでも影響は最小限だったのでしょうが、この日は冬の季節風がもろに正面から吹き付ける寒い日でした。
一日向かい風に抗して走っていると、寒さで体力がどんどん奪われるうえに、登坂時にはフロントに取り付けたバッグがもろに風を受けて障害になりました。
結局相方が17時少し前にギブアップして、この日の旅程は終了と相成ったわけですが、私はこのとき以来一泊以上の旅では、必ず荷物は宅急便で前もって宿へ送り、旅行の初日からできるだけ身軽な装備で走るようになりました。
さて、第六日目が予定を全うできなかった以上、第七日目(2013年12月30日)を予定通りに走ろうとすれば、当然余計に走らねばなりません。
第六日目を終えた長沢小学校付近から七里の渡しの船着き場のある宮宿までは52㎞です。
そこから渡しの西側の船着き場である桑名宿まで、どうするかという問題は後日にゆずるとして、少なくとも今回のベースキャンプに定めた名古屋駅付近よりは西へ進みたいと考えていました。
なぜなら、今回の旅の最終日(第八日目)は大晦日にあたるうえに、帰りは新幹線に乗って関東へ戻らねばならないので、せいぜい50㎞程度しか走れません。
ところが、愛知県から三重県に入ると旧東海道は四日市から先はあまり鉄道の便がよくない場所を走ることが多くなるのです。
だから、第九日目以降の旅程を楽にする意味でも、今回の旅で箱根とならぶ難所である鈴鹿峠までの距離はできるだけ縮めておきたかったのでした。
(名古屋駅北口)
いまふり返ると第七日目の出だしは最初からダメでした。
これまで早起きして一日の距離を伸ばすことにあれほど執着してきた私が、中日は余裕もあるし宿を7時30分に出ればいいやと思ってしまったのです。
第七日目は軽装だし、濃尾平野を横切るだけだから坂道もないしとタカをくくっていたのかもしれません。
名駅から名電長沢駅まで、年末で休日ダイヤのこの日は、初電に乗れば下記のような電車による移動となるはずでした。
名鉄名古屋(5:47発急行)→東岡崎(6:27着/6:30発各駅)→名電長沢(6:55着)
(豊橋駅)
これなら朝の7時から行動を開始し、昼食を1時間取ったとしても17時まで9時間西へ進むことができます。
しかし、ホテルを7時半に出たため(それでも7時前に起きました)、実際には以下のような移動になりました。
名鉄名古屋(7:43発急行)→本宿(8:32着/8:36発各駅)→名電長沢(8:40着)
これでは走り出したらすぐに9時を回ってしまい、昼食まで3時間を切ってしまいます。
名駅から名電長沢駅まで1時間近くかかるというのも誤算でした。
実は、お隣の本宿駅なら急行も停車するため、乗る列車によってはもう少し移動時間の短縮がはかれるのですが、名電長沢駅は各駅しか停車しないため、1時間に2本だけのダイヤなのです。
結局、名駅から急行に乗ろうが特急に乗ろうが到着する時間は変わらないということになってしまいます。
(名電赤坂駅)
自分たち関東の人間だと、岐阜と名古屋、豊橋を結ぶ名鉄本線は小田急小田原線のような私鉄で、運行本数も多いと勝手に思い込んでいるのですが、さすがはクルマ社会の愛知県です。
のちに「愛知の人は電車になんか乗らないよ」と複数の名古屋市民からきくことになるのでした。
むむむ、乗り鉄でアンチクルマ社会派の浪馬としては、いささか挑発されたような気分ではあります。
(そういいながら、しっかり免許を持ってクルマにも乗っているのですが…)
(名古屋駅南口)
とにもかくにも、これから旅を計画されている方は、東岡崎から豊橋までの旧東海道に沿った名鉄本線の駅のうち、各駅しか停まらない駅にはじゅうぶんご注意ください。
そして、どこへ行っても油断せず「早発ちの原則」はしっかりと守りましょう。
早起きのコツは、早夕飯と早寝ですよ(笑)
今回は反省ばかりになりました。
そんなわけで、8時40分に名電長沢駅から西へ向かう2台のブロンプトン、はてさて旧東海道の旅の第七日目はどこまで行けることやら。
次回は長沢から藤川宿へ向かって走り、旧東海道をご案内します。
(第六日目を終了した交差点)