山手111番館を見学した後に、少し戻って大佛次郎記念館(35.439345, 139.655260)の前を通ります。
石畳のようになっていて走りにくい箇所もありますが、短い区間ですので乗ったまま通り抜けられます。
大佛次郎先生は「鞍馬天狗」でお馴染みの大衆小説家です。
なんとか次郎という名前のお店が流行りの昨今ですが、鎌倉大仏の近くに住んでいたからこのペンネームになったのだそうです。
「だいぶつじろう」と呼んでも悪いわけではないみたいですね。
(大佛次郎記念館とそこからのぞむ沈降花壇)
歴史小説も数多く書いていらっしゃって、「日蓮」とか「由比正雪」「安政の大獄」なんて読んでみたい本もあるのですが、殆どが絶版です。
そして記念館の売店を覗くと、やたらと猫グッズが目立ちます。
これは大佛先生が大の猫好きだったことからだそうです。
いま手に入る「猫のいる日々」(徳間文庫)という文庫本を読んでみました。
(ラーメン、すきやばし、大仏とじろうつながりなのでした)
『僕は避け難い自分の臨終の数時間の静かな時を、自分の一生に飼った猫のことを順に思い出して明るいものにしたいと企てている。
自分の描いた駄作の数々を思って苦しむよりも、この方がどれだけ幸福だろう』
わが子のような作品群を捨ててまでとは、半端じゃない猫好きですね。
臨終の枕を頭に敷いて天井を見上げながら、これまで飼ってきた猫を思い浮かべている作家先生も微笑ましいですが、大佛先生の飼った猫は500匹以上といわれています。
先生、思い出すだけで、3日くらい寿命が伸びたんじゃないですか。
あるテレビ番組で、日本に来た外国人が街歩きをして驚くことのひとつに、猫がのびのびと暮らしているというのがありました。
そして日本人の猫に対する態度に、外国人とは決定的に違う部分があると紹介されていました。
それは、犬も猫も友だちや家族の一員と認識するのは万国共通なのですが、なぜか日本人だけが猫を「自分よりも目上の存在」に置くという回答が多く見られたというのです。
そういえば、先日お亡くなりになったお猫さまの駅長さんみたいな扱いは、海外では聞いたことがありません。
同じ番組で、養老孟司先生が「ふだん社会的なストレスにさらされている人間が、猫の自由な生きざまに自分を投影して、癒やされている」という趣旨のことをいっていました。
猫は勝手気ままなところが猫たる所以ですが、「わがまま」ということは「自分本来の姿のまま」であるということばが印象に残りました。
この点、私も犬の方が社会的な動物だと感じます。
犬は上下の関係をきちんと読み取るし、特に飼い犬は人間から管理されることを喜んでいるようにも見えます。
つまり、犬好きの人は管理したりされたりすることを好む人が多く、猫好きな人は、干渉を受けずに自由気ままに生活することを、できないにしても憧れる人が多いのかなとも想像しました。
そう考えると、芸術家などに猫好きが多いのも納得できる気がします。
ただ、犬猫両方飼っている人によると、たしかに犬は自由というよりは社会性が強いけれども、それも大型犬と小型犬ではだいぶ違うそうです。
犬は猫のことをみて「羨ましい」とは思わないのでしょうか。
実家で犬と猫をともに飼っていたとき、暑中につながれてだれている犬のそばを猫が通り過ぎ、「ニャー」と鳴いて涼しい家の中に入れてもらうのを、うらめしそうに見上げていた気がするのですが。
(ベイブリッジの美しいベンチ)
『仕事を始めると極端に無口になり、殆ど怒りっぽく成っている。
そんな時、彼を悦ばせる相手は猫だけだった。
猫が人間のように口をきかないのが彼の気に入っていた。
黙って猫と遊び、けわしく成っている心が幾分かやわらげられるような心持になる。
人間の気持ちを理解する智能を持った犬には、この役はつとめられなかった。
猫が人間に冷淡なので、好きなのである。
どんなに幸福そうに見える者も、人間である限りは酔うかごまかさぬ限りは孤独なものだと教えてくれたのも僕の猫である』
猫も人間の気持ちを理解していると思いますけれど、理解したうえでのかかわり方が、猫なりの距離の取り方があって、そこがいいのだと思います。
自分の調子が悪い時、犬の場合はストレートで、心配そうに顔をのぞき込んだりしますが、猫はあっちを向いたまま、背中で「あなたのことが心配で気になります」と傍を離れません。
この本には、猫にまつわる子ども向けの童話もおさめられています。
また、大佛先生は横浜生まれなので、おそらくは横浜大空襲のあとの街の様子を描写した短編小説(「白猫」)も興味深く読みました。
そして彼が、鎌倉と横浜を結ぶ作家と言われているところも、横浜に生まれて小さいころ鎌倉に育ち、いまはまた横浜にいる自分にとって親近感の湧くところです。
このへんはまた改めて書きたいと思います。
大佛記念館の前を通り過ぎ、右に曲がると霧笛橋です。
橋の手前にベンチのある広場があります。
ベイブリッジを見ながら本を読むなら、ここが一番良いと思います。
港の見える丘公園のデッキよりも人の出入りが少ないですし、正面にちょうど良い角度で斜張橋の美しいラインが望めますから。
ただ、夏は蚊がいっぱいいるので注意してくださいね。
(霧笛橋。橋の下に見えるのが文学館本館です)
霧笛橋を渡ります。
霧笛っていまは廃止されて聴かなくなりましたが、昔はテレビドラマなどで港町のシーンがでてくると、必ず音が挿入されていました。
あれ、「ボ~」という長音と「キュイキュイ」という短音があったと思います。
それに焼玉エンジンの「ポンポンポン…」という音が重なると、まさに港の音なのですが、今は全滅してしまいました。
(神奈川県立近代文学館展示館とそのわきの小径)
橋を渡ると神奈川県立近代文学館展示館(35.438939, 139.655806)です。
ここは下の本館ともども、作家ごとの特別展をしょっちゅうやっているので、自分の気に行った作家の展示を選んで行きます。
とおもってホームページを見たら、今年の7月25日からは「100万回生きたねこ」の佐野洋子先生の企画展があるじゃないですか。
あの絵本は、むかし子どもによく読みきかせていました。
クールだった主人公の猫が、最期にわんわん泣くところで、読んでいる大人のほうが「うるっ」と来てしまいます。
大佛先生流にいえば「愛されるよりも愛する方が、百万倍も幸せなことなのだと教えてくれたのも猫だった」といったところでしょうか。
偶然なのですが、何だか今日は猫ばかり登場しますね。
近代文学館の奥のこみちをゆきます。
ここも石畳ですが、抜けると韓国領事館の脇に出てきます。
左折して30mもゆくと、横浜山手ロイストン教会(35.437591, 139.656313)があります。
戦後にここに住んでいた実業家が没したのち、メモリアルホールとしてプロテスタント教会になったそうで、主に結婚式場として使われているようですが、牧師先生もいらっしゃるし、毎週日曜に礼拝も行われています。
ロイストン教会から尾根の上を道なりに250mほど進むと左手にあるのが、横浜山手ヘレン記念教会(35.435825, 139.658966)です。
ここは中華街の重慶飯店のオーナー一族が献堂したプロテスタント教会で、ロイストン教会と性格が良く似ています。
日曜の夕方に中華街のローズホテルにゆくと、送迎バスを仕立ててもらってこの教会の礼拝に誰でも出席できるそうです。
キリスト教式の結婚式をホテルであげるとなると、ふだん礼拝を行っていないチャペルで、牧師や司祭の資格の無い人が執り行うなんてこともバブル期にはあったようですが、神の前で結婚することには変わりないのですから、どうせなら活動している教会であげたいです。
かくいう私も、教会での結婚とは男女間の契りである以前に神との契約であるということをずっと後になって知ったくちですが。
(ワシン坂近くのこの眺めは、いちばん昔の横浜の景色に近いと思います)
山手ヘレン記念教会からそのまま直進すると、100mほどで下り坂にかかります。
これが、有名なワシン坂です。
和親条約が関係しているとか、「鷲見坂(わしみ)」や「湧清水坂(わしみず)」がなまってそうなったとか、ワシンさんという名の外人さんが住んでいたとか諸説ありますが、坂の下には湧水が安定して湧いています。
下りきった場所は小港橋といって、麦田経由でも新山下経由でも元町へ戻るにはちょっと距離がありますので、坂をおりずにUターンしましょう。
(横浜山手ヘレン教会)
以上で山の手の尾根筋は、元町に近い側はあらかた紹介が済みました。
それぞれの公園や施設についてはまた改めてスポットでご紹介しようと思いますが、このシリーズのすべては山の手に楽にのぼるための道順を辿ってきたわけです。
ゆえにこれでおしまいとしたいところですが、次回「横浜の山手地区へBromptonで坂道をのぼる」の最終回で、山の手にのぼる「裏ワザ」をご紹介して本当の最終回にしたいと思います。
(ワシン坂下の湧水)
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=601c30ef5fa70e21374176c1dffb6fc7