「添乗員さんに資格はあるの?」という質問を受けることがあるのですが、一応あるのです。
旅行業法第12条の11には、旅程管理を行う者のうち主任の者(いわゆるツアコンのチーフ、または一人しかいない場合はその人)は、登録機関の所定の研修を修了し、一定期間の実務経験を有した者でなければならないと定められているのです。
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そんな研修受けたかな?と思って確認したら、なんと研修修了証の日付は旅行会社入社前でした。
そうそう、まだバブルのはじける前のお話です。
超売り手市場の就職戦線で、夏には内定をもらいました。
内定後のオリエンテーションで、「君たちはいやしくも旅行会社に就職するのだから、冬休みと春休みは今後の仕事に資するような旅に出るように」と教育担当社員からお達しがあったのです。
グループ分けして一人ずつ学生最後の休みを使った旅をどこにするか、口頭で発表させられました。
就職する会社のロンパリローマの弾丸ツアーに敢えて参加するひと、四国八十八か所巡りをする人、歩いて東海道を踏破する人(本当にいたのです。のちに彼はある宿場町の支店に配属されました)等々。
私は当時まだ共産圏だった「ポーランド、チェコ、ハンガリー」をバックパックしますと答えました。
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(卒業旅行のスナップ;プラハカレル橋。建築学を学ぶ人には垂涎の街だそうです)
ところが、秋口になったら「会社の都合で3月は研修所にて教育をするので、旅行しないように」というお達しがあったのです。
仕方なく、冬の短い期間に東欧三カ国を駆け足で回ることになりました。
おかげで、ずっと後に研修で現地を訪れた際、多少仕事に役に立ちましたが、真冬にヨーロッパへ行く羽目になりました。
冬場の欧州って旅行という商品で見ると欠陥品なのです。
なにせ肌を刺すほどの寒さですし、毎日(一日中というわけではありませんが)空模様がぐずついていて、しかも(とくに緯度の高い国は)日が昇るのが遅くて、午後の早い時間に暗くなるのです。
ただ、この年の11月にチェコではビロード革命がおこり、翌年の11月にベルリンの壁が崩壊するなどとは、このとき夢にも思いませんでした。
そんなこんなでぶりぶり言いながら、学生最後の春休みは会社の教育研修にあてられたのでした。
内容は、地図や時刻表の読み方からはじまって、営業、添乗業務などの実務から帳票類の書き方や扱い方、それに営業のロールプレイングと、なんだかホテルや観光業の専門学校にでも入った気分でした。
色々な大学から様ざまな動機で入った人がいて、それ自体は面白かったのですが、自分の旅に対するこだわりもかなり「変わっている」ことに気がついた日々でありました。
あのときの研修が旅程管理者の指定研修だったと気づいたのは、研修最終日に修了証をもらってです。
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(まだ社会主義国時代なので、西側の広告がほとんどない状態の街並みでした)
あれ、実務は?と思われるかもしれませんが、実務は研修終了後、すなわち入社後で良いことになっていたのです。
いちばん最初の添乗は、入社後の5月に市の中学校の修学旅行で先輩、同僚4人と京都へ行きました。
そのとき、はじめて専用臨時列車の新幹線に乗りました。
ポーズなのでしょうけれど、車両デッキのドア(専用列車なので途中駅に停車して退避待ちをしているときも開きません)前に新聞紙をひいて、そのうえでお弁当を食べました。
そのときある大学の教育学部出身の同期は、「同じ大学のゼミ出身の新任教師が、通路を通り過ぎる際に自分に投げかけた視線が忘れられない」と呟いていました。
しかし、投宿先のホテルで見たその新任教師は何日も満足に寝てないらしく、同僚の添乗員と不寝番をしながら「JRに就職すれば夜は寝ることができたかな」と話していたそうです。
添乗中はとかく睡眠時間が短いので、のちのバス旅行の添乗で長距離移動中に船を漕いでいたら、「添乗員が居眠りしてどうするのだ」とお客さまからお叱りを受けました。
とにかく添乗業務は睡魔との闘いでした。
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(背広に革靴で駆け回った京都の記憶も、今ではよき思い出です)