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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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クラレットブロンプトンinフランス山公園

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フランス山公園はもとフランス領事館が建っていた場所にあります。
(遺構のみ残っています)
しかし、その前の幕末から明治にかけては仏軍の駐屯地でした。
港の見える丘公園をはさんでお隣の、岩崎ミュージアムから横浜インターナショナルスクールにかけては、イギリス軍が駐屯していました。
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戊辰戦争の頃、フランスは幕府に肩入れし、イギリスは薩長をバックアップしていて、勝った方のバックが新生日本の主導権を握れると目論んでいました。
なぜなら、英仏は14世紀から15世紀にかけての100年戦争以来、仲が良くなかったのです。
戊辰戦争のときも、半世紀ほど前のナポレオン戦争の遺恨を引きずっていましたから、幕府の側も、薩長の側も、戊辰戦争が植民地における代理戦争のようになるのではないかと危惧していたそうです。
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フランスは幕府の頭、すなわち江戸の大君(将軍のこと)こそ日本のトップだと勘違いしていました。
イギリスはその辺が抜け目なくて、幕府は大名のうちの最大勢力として代表権を持っているにすぎず、財政的にも能力的にも綻びが出ている状態で、新興勢力である薩摩と長州に経済的な援助を与え、京都の朝廷を名目でかつがせれば、政権交代が可能だと踏んでいました。
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この状況判断には、アーネスト・サトウをはじめ、英国外交官の情報収集能力と情勢判断力がフランスの外交官より勝っていたということを本で読みました。
だからといって、フランスの外交官や幕府の軍事顧問たちが個人的な能力において決して劣っていたということではないだろうに、時代の変革期にその先を見通すことは、本当に難しかったのだろうと思いながら遺構を眺めてみるのでした。
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