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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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御宿の田尻海岸

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こんにちは。
ブロンプトンであちこち走っていて思うのですが、どうも車やバスで来たと分る人よりも、自転車で来ている人の方が地元の人は話しかけやすいみたいですね。
バイクはたまに知らない人から声をかけられることがありましたが、車は殆ど皆無でした。
自転車はそれだけ身近な乗り物ということなのでしょう。
とくに普段着で乗っている小径車は、見方によってはあまり「よそ者臭」がしないのかもしれません。
昔は列車の中でもボックスシートなど、「袖振り合うも多少の縁」と老若男女知り合いになることも多かったのですが、最近は「何か下心でもあるのか」と疑われるのが嫌なのか、お互い知らんふりです。
「他人を見たら泥棒と思え」とは、何とも嫌な教えです。
それに田舎に行ってもボックスではなくロングシートの車両が多くなってしまいました。
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御宿の海岸でブロンプトンをとめて読書(しているふり)をしていたら、地元の古老が「どこから来たの」と声をかけてくださいました。
曰く「ここよりも、もっときれいな景色があるんだよ。
絵葉書になるような。」
「本当ですか、どこに?」
「あの坂をのぼって行って、トンネルをくぐり、研究所のある所から右の小道に入って海岸におりたところさ。」
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半信半疑で向かった先は、御宿町の田尻海岸(35.183737, 140.378188)という場所でした。
そこは江戸時代の初期にフィリピン総督だったロドリゴ・デ・ビデロというスペイン人が、乗船していた船の難破によって1609年に漂着した場所でした。
家康の取り計らいでウィリアム・アダムズ(三浦按針)の指導のもとに建造した日本初の西洋船でもって、彼は翌年に同じくスペインの植民地であるアカプルコに帰還します。
そのときに同行した日本人は、はじめて北米に渡った日本人ということになりました。
またこの交流が、のちに仙台藩におけるサン・ファン・バティスタ号建造と、伊達政宗の命でアメリカを経由してローマまでゆく慶長使節団につながってゆきます。
なお、ロドリゴは日本見聞録を書き残していて、2005年に書籍となっているのですが、現在古本はとても高くて手が出ません。
(鎖国直前の日本を西洋人の目から見た記録ですから、貴重だと思います)
 
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田尻海岸の崖は、元旦の朝に見た屏風ヶ浦のそれよりも、色がずっと白く感じました。
http://blogs.yahoo.co.jp/brobura/39712169.html
「日本のドーバー」を名乗る屏風ヶ浦よりも、“White cliffs of Dover”と呼ばれる本家ドーバーの崖に近いような気がします。
イギリスに行ってドーバーの白い崖を見た人の感想が聞きたくなりました。
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