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本を読むということ 2015年6月21日

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(本当はパラソルの下でサングラスかけて読みたいのですが、焼けたくないので海の家の中で読んでいます。朝は他にお客さんもいないし、いくら本を読んでいても何も言われないのでありがたいです)

さいきん、このような本を出版するべきではないとか、買って読むべきではないとか、本に対して「べき論」が語られているのを見かけました。
私は、そういう主張をする人はきっと本を読むことがお好きではないのだろうなと想像しています。
読書好きからすると、そんなことは大きなお世話で、どこの誰がどんな本を書いたり出版したりしようが、いっこうに構いありません。
手に取って読みさえしなければ、私の本を読むという行為とは、何のかかわりもないことですから。
(むろん、その本が誰かを、或は何かを傷つけるという場合には、直接関係している人に限って色々主張できるとは思います。
でも、もし仮にそうなら、読まず買わずで話題にしなければ済むことではないですか)
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(列車の待ち時間もブロンプトンの上に座ってよく読んでいます)

三田文学の若松英輔さんが本の中で、「読むことはときに、書くことに勝るとも劣らない創造的な営みです。読み継ぐということは、書くことよりもしばしば重要な働きをなすのです」と仰っています。
信仰における沈黙が重要であるように、黙して読むということは決して受動的な行為ではなく、積極的な精神の働きなのだと私も思います。
そして、もし読むことを人生の大切な場所に置いている人なら、他人のゴシップとか感情を吐き出すような文章の類には、わざわざ自分から手を出さないと思うのですよ。
そんなことしたら、読書という行為自体を貶めているような気がしますので。
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(これからの季節は空港の到着ロビーなどもお勧めですよ。人はいないし、クーラーは効いているし、タダだし、飲み物は自販機で調達できるし、それでもって椅子も良いし)

娘が小さいころ、よく公園で遊ばせているときに読書をしていました。
もちろん、そこで遊んでいる子どもたち同士につながりができたときは、あいさつ程度でもそこにいる親とのコミュニケーションには配慮したうえでのことです。
その位は子どものことを目に入れながら本を読んでいたつもりでいたのですが、娘は私のことを「勉強家」だと勘違いしていたみたいです。
近所に散歩や買い物に行くときでさえ、彼女からみて難しそうな本を、いつも一冊手にしていたからでしょうかね。
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(風が強いのが玉に瑕ですが、虫もいないし、外なら海辺で読んでいることが多いですね)

旅に出ると「こんな風景をいにしえの人たちはどのようにうたったのだろう」「ここに生きた人は何を想って暮らしたのだろう」とか「こんな出来事を当時の人たちはどう受け止めたのだろう」と思うことがあって、帰ってから本を探すということがよくあります。
高校生の時は大嫌いだった「吾妻鏡」とか、「伊勢物語」について、旧東海道を歩くようになってちょこちょこ手を出すようになったのも、そういう理由からです。
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(図書館だったら一日居座ります。 無言館にて-ポプラ社の怪盗ルパンシリーズや、江戸川乱歩シリーズを夢中で読んでいた方もいらっしゃるでしょう。「黄金仮面」の表紙とか、怖かったぁ)


残念なことに1990年代の書籍にもかかわらず、絶版になってしまっていて、出版社に問い合わせても、ネットでも手に入らないということがしばしばあります。
全集しか残っていなくて、それを買うとなるとBromptonと同じくらいの値段がすることもあります。
そういう時は図書館に行ってでも読みます。
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(「されどわれらが日々」とか懐かしいです。しかもハードカバーだし。中野孝次先生の文章は、きびしさの中に優しさがあって、大好きでした)

つまり「読む」ということは、書き手の人とつながることなのでしょう。
タイムマシンに乗って、既に亡くなってしまった人と対話しに行くなってことだって、読書は可能にしてくれます。
お前、それはモノローグ(独白)であってダイアローグ(対話)じゃないだろうって突っ込まれるかもしれませんが、ここに書くことはモノローグであっても、読書は確実にダイアローグですよ。
これって、内言(心の内に宿る言葉、魂のことば)に敏感な人ならわかっていただけると思います。
速読などに精を出して、今月何冊読んだなんて量を誇る人には興味の無い話かもしれませんがね。
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(例えば東慶寺の鈴木大拙先生の墓に詣でて―「夫妻」って奥さんたしか米国人だった記憶が…)
 
しかしそう考えると、読むべき本は星の数ほどあることに気がついて、冒頭の「べき論」とか、今話題の本なんて、どうでもよくなってしまいます。
みんなが読むから、読まないからなんて、そんな感覚があることにすら、今更ながらに気がついたところです。
出版不況に不安を感じ、悩んでいる業界の方も大勢いらっしゃると思いますが、私のような古風な読者もまだまだいることをお伝えしたいです。
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(島森書店に寄って、先生の「禅と日本文化」-戦前の本ですよ-を購入し、)
 
さいごに、日本における「旅と書籍」って、まだ明らかにされていない何かがきっとあると思います。
江戸時代に識字率が世界一だった日本です。
それって古くからの市井に、名もなき人のたくさんの文章があったということでしょう。
そして現代、文庫本や新書本を発明した日本だから、公共交通の発達した日本だからできることもあると思うのです。
(欧米にはペーパーバックがありますが、あれは、重量はともかく、持ち歩いて湿気を含むと頁がぶわぁつと広がってしまい、旅との相性がよくないのです。)
読書感想文はしょっちゅう教師から突っ返されていた私ですが、下手の横好きでこのブログでも本を話題にしてゆきたいと思っています。
書籍の出版や製本、流通、販売にかかわる人たち、もちろん本を書く人たちにエールを送りたい気分です。
それと、本を買うお金だけはふんだんに援助してくれた親に感謝です。
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(海辺にて、鳩や雀と戯れながら、「なんだかむかしの校長先生が、訓話のネタ本に使っていそうだな」などとおもいつつも、夢中で読みますと、ディープな鎌倉の一日となるのでした。-本の感想はまた改めて)



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