9月のある晩に都内から自宅へ向けてブロンプトンで走っていると、街のそこかしこで秋まつりをやっているという夜がありました。
そういう日は、裏通りをどこまで走っても提灯の列が続き、普段はまったく目立たない児童公園に櫓が組まれて出店が出て、子どもたちが目をキラキラ輝かせてハレの晩をはしゃいでいる姿を眺めることができます。
この日ばかりは町内で仲の悪い人同士も休戦状態の様子で、みな和やかな顔をしています。
夏と違ってエアコンの排気による暑苦しさもなく、すっかり涼しく静かになった街に、「ソイヤ、ソイヤ」の掛け声とともに神輿が舞うさまは、東京が巨大な田舎であることを思い出させてくれます。
都市に人口が集中するようになり、農業人口は全就業人口の4%を割り、カロリーベースの食料自給率は40%弱(生産額ベースなら70%)と、日本の農業は先進国中もっとも低調といわれています。
でも、私たちのDNAの中に刻まれた、農事の記憶というのはそう簡単に消滅するものではない気がします。
これ、明日の月曜日はスーツを着て通勤電車に揺られているお父さんが半被を着ているのでしょう。
先ほどまでスーパーの冷食コーナーで明日のお弁当に悩んでいたお母さんが、子どもの手をひいて神輿の集団に続いてゆきます。
こんな幸せな晩にブロンプトンを漕いでいたら、ふと吉田松陰の遺書、「留魂録」の一節を思い出しました。
『今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。
つまり、農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れるのだ。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いた事がない。』
(吉田松陰『留魂録』 古川薫現代語訳 徳間書店より)
あんな過激な思想の持ち主の底流に、こんなに穏やかな農村の風景が流れていること自体、読んでちょっとびっくりしました。
上の文章を読むと、彼にとって死ははじまりに過ぎず、既に肥やしとなってのちの人の心によみがえっているし、ひょっとしたらどこかで生まれ変わっていそうな気さえします。
吉田松陰は教育者としての側面があって、どんな幼い子どもたちとも対等に「ぼくときみ」で呼び合い、弟子たちの良い面だけをみて伸ばすことに専心していたなど、エピソードがたくさんあります。
私は何よりも前向きで、人間の本質は「善」であると信じ切っている吉田松陰が大好きです。
思想が右だの左だのという話は置いておいて(実際彼の思想は両極端双方に見えるので、どちらからも攻撃されます)、松陰の絶筆であるこの留魂録は、彼の人生の集大成と呼ばれる文章で、後に続く人たちを励ます遺言でもありますから、ぜひ読んでみてください。
たしか講談社学術文庫に、同じ本の廉価版があります。
今年の大河ドラマではもうとっくに死んでしまったでしょうが、妹さんが主人公でもあるし、今度、都内に残る松陰先生の足跡をブロンプトンで辿るという企画をブログでやってみたいと思います。