鉢山町交番前交差点(35.652884, 139.698037)で左折して、代官山付近をお散歩してみましょう。
なお、ブロンプトン・ジャンクション東京開店の日に代官山界隈をご紹介できるとは、彷徨浪馬にとってはまことに光栄の至りであります。
まっすぐゆけば、代官山駅入口の交差点に出ますが、都立第一商業高校前(35.650446, 139.699489)で左折して猿楽古代住居跡公園(35.651254, 139.702519)に立ち寄ってゆきましょう。
あ、ちなみに第一商業高校は、戦前は旧東京商科大学(現在の一橋大学)や旧制一高(現在の東京大学)へ多くの生徒が進学し、その後に有名財界人になったことで「天下の一商」と呼ばれるほどの名門校だったそうですよ。
猿楽小学校の北側にある猿楽古代住居公園はその名の通り、弥生式土器が出土した土地をさらに発掘調査したところ住居跡が発見された場所にあります。
遺構そのものは保存のために被覆されたそうですが、それを模した竪穴式住居の窪みとその脇に地形の模型が展示されています。
その前の縄文時代は、縄文海進によりこのあたりの台地は入り江や湿地に挟まれていた半島状の尾根の上だったと思われます。
今で言ったら「岬」の感覚でしょうか。
古代人が住んでいた場所というのは、自然の地形から考えて住みやすい場所だったはずですから、現代になって高級住宅街になるのも頷けます。
住居適地としてプライオリティが高いということですものね。
近所に古代の住居遺跡が出たということは、住人にとって誇ってよいことではないでしょうか。
でも、公園自体はおしゃれな街に似つかわしくないとばかりに、ほとんど忘れかけられた存在になっています。
まぁ、わざわざ遺跡を見に代官山で降りる人もいないでしょうから、こんな風にブロンプトンで沿線散歩をする機会でもないと、立ち寄れないと思います。
公園からふたたび山手通り方向へ戻り、デンマーク大使館前の横断歩道を渡って正面のヒルサイドテラスという商業ビルのなかにある、猿楽塚(35.648101, 139.700152)へ行ってみましょう。
入口にあまり目立たないのですが、「猿楽神社」と彫られた銅板が立っています。
ここはもう少し時代が下って6~7世紀の古墳時代末期における円墳です。
高さ5mほどの塚のような盛り上がりが塚で、猿楽町の名前の由来になったそうです。
もとは大小2つあったそうですが、いまは大きな方がひとつだけ残っています。
当時のこのあたりの有力者は、多摩川台、つまり今の田園調布あたりの豪族と接触をたもちながら生活していたそうです。
のちに、2つの墳墓の間を初期の鎌倉街道が通うようになったそうで、道はここから目黒川に向かって台地を下っていました。
円墳の上に神社を創建したのが、このあたりにお屋敷を構えていた戦国時代から続く朝倉家です。
浅井長政とともに織田信長を苦しめた朝倉義景の名前は、歴史好きの方ならご存知ですよね。
ということで、旧山手通りを鎗ヶ崎交差点方面へ80mほど行って代官山交番前交差点を右に曲がります。
すぐ右側にあるのが旧朝倉家住宅(35.647485, 139.700930)です。
お向かいには道しるべのお地蔵さんがあるとおり、ここから南へ下る目切坂(めきりざか)も鎌倉街道だった道です。
名前の由来はこの近くに石臼の目切り(=目立て、溝を切ること)の上手な石工が住んでいたからということで、お地蔵さんの裏あたりには富士講の富士塚もあったそうです。
よく旧東海道みたいに鎌倉街道を辿りたいという方がいらっしゃるのですが、鎌倉街道自体が軍用道路という性格上複数存在したことと、しょっちゅう変遷していたこと、さらには時代が古すぎて今は道として残っていないという場所も多くて、一本の道として辿ることはなかなか難しいのです。
こうして途切れ途切れに残っている場所を接ぎ合わせて推定してみるという楽しみもあるそうですが、この付近に限っていえば、渋谷宮益坂上の青山学院大学あたりから渋谷でご紹介した金王神社前をとおり、並木橋で明治通りを越えて代官山駅方向にまっすぐ上ってきてここで坂を下り、対岸の小川坂をのぼって三宿病院方向へ向かっていたようです。
さて、肝心の朝倉家住宅に入ってみましょう。
ここは代官山に来たらぜひとも立ち寄ってください。
都内でも稀有な関東大震災を免れた大正時代の木造建築によるお屋敷です。
門を入って左側にある受付で観覧料100円を支払ったら、お向かいの駐輪スペースにBromptonを停めましょう。
正面玄関から入ると、右手に待合なのか洋間があり、その向こうに内玄関があるのですが、家人用玄関といいながら、自分の家の玄関より遙かに大きいです。
お庭側の和室の応接間やお二階の広間と順番にみて、二階から一階奥に戻ると、そこもお庭に面した客間でそのさらに奥に茶室があります。
その隣、最奥に棟を合わせているのが土蔵です。
なるほど、旧東海道沿いでも土蔵を見かけますが、こうして母屋と一体になっているタイプは見えない場所にあるのですね。
小さいころ「悪戯をして折檻され土蔵に閉じ込められた」なんて話を読むことがありますが、「どんだけ金持ちの家なんだよ」って思っていました。
でもこうしてみると、監禁部屋としては地下室の次に「閉じ込められた感」があるかもしれません。
全体的にみると、この家は南向きの良い部屋はすべてお客さま向けにしつらえてありますね。
中庭を挟んで二本の廊下が東西に走り、その北側に主に家族やその使用人の生活スペースがあり、この家が「おもてなし」をテーマに建てられているのがすぐにわかります。
回遊式のお庭にまわると、崖線の高低差を利用して大きな樹木が鬱蒼と茂り、このあたりの昔の様子を偲ぶことができます。
お庭にいたら、ここが代官山ということを忘れそうになります。
今は茂り過ぎて見えませんが、昔は台地の上から目黒川の向こうに広がる景色を借景にしていたそうで、天気の良い日は富士山も見えたそうです。
さらに敷地内には三田用水(次回説明します)から導水した小さなせせらぎが、崖の下へ向かって落ちています。
お庭に池があるのは珍しくないのですが、小さくても川が流れているって、贅沢ですね。
母屋から見える正面には紅葉がたくさん植えられているので、秋には見事なものでしょう。
ふと気になったのですが、この旧朝倉家住宅、よく撮影隊がロケをしている代官山のど真ん中にありながら、テレビで見た記憶が全くありません。
文部科学省の所有ということもあるのでしょうが、きっと商用撮影はかなり制限されている施設なのでしょうね。
ロケバスの駐車スペースもあるこの場所で、この建物とお庭ならテレビの制作者が放っておくはずがないと思います。
観覧料が大人100円というのも、このお宅を寄附した方の意思が反映されている気がします。
こんどBrompton Junction Tokyoもできることですし、休息スペースもあるので500円支払って年間観覧券を購入しようかな。
観覧料が大人100円というのも、このお宅を寄附した方の意思が反映されている気がします。
こんどBrompton Junction Tokyoもできることですし、休息スペースもあるので500円支払って年間観覧券を購入しようかな。
さて、最後に鎗ヶ崎交差点を横断して、山の上を恵比寿方向へむかって路地に入ってみましょう。
渋谷区と目黒区の区境になっている尾根の道を250mほどいって右(南)方向に折れると、別所坂の上に出ます。
ここもマンションが立ち並んで見通しが効かなくなってしまいましたが、かつては富士山の眺めがすばらしい景勝地だったそうです。
別所坂はもの凄く急で、車は通り抜けられませんが、道端に庚申塔が並び、また1991年にはかつての富士講の遺構が坂の斜面の地下から発見されたそうです。
とまあ渋谷川と目黒川を分ける台地の上を中心に代官山をご紹介してきましたが、こうしてみると代官山ってお洒落なお店の陰にかくれた旧跡が多いですね。
次回は再び鉢山町交番前から中目黒駅を目指します。