(立川始発の大月行き 山へゆく雰囲気ではありません)
南武線、武蔵中原駅4時43分、始発の立川行きに乗ります。
武蔵溝の口、登戸と乗換駅をすぎるたび、乗客が少しずつ増えてゆきます。
この電車によく乗って思うのですが、秋から冬にかけては武蔵中原駅で素晴らしい朝焼けを見ることが多いのに、夏はどんより曇っていることが多くて、これから山へ向かうのに心配になります。
うつろいやすいのは、女心と秋の空といわれているのに…。
立川駅5時22分着で、急いで階段をのぼり、5時24分これまた立川始発の大月行きに乗車します。
中央線の通勤型で、編成がながいせいかぎりぎりに乗っても座席は余裕に空いています。
立川駅を出てすぐ多摩川を渡る際に、さきほど南武線で同じ川を渡る際には曇っていた空から、日がさしてきました。
冬などは、中央線の多摩川橋梁から、晴れた日には奥多摩や秩父の山並み、富士山もよく見えるのですが、夏はこうして空が青くても、まず見えません。
高尾で松本行きの鈍行が向こうのホームに停車しているのを確認します。
今日は塩山発7時30分のバスに乗るわけですから、あの松本行きに乗車してもじゅうぶん間に合うのですが、マイクロバスで座席が指定されているわけではありません。
こちらはブロンプトンを膝の上にのせようとしているわけですから、できるだけバス前方の、余裕のある座席に座りたいので、塩山駅に一番乗りして、バス停の先頭で並ぶつもりでした。
(よかことで。三鷹車庫の跨線橋上ですね。ここは自転車用のスロープがないのです)
これ、週末登山をするひとで、場所によってはバスが通勤並みに混雑することを知っている人は、よくやります。
ハイカーや登山客は、ビバーク(野営)を前提にしている場合、テントやシュラフなど荷物も大きくて、混雑したバス車内は足の踏み場もないことになる場合があります。
もっとも、今回利用する栄和交通さんの場合、ネットで受け付けて満席になったらしめ切りますから、座れないことはなさそうです。
中央線は、関東におけるほかのJR線と違って、通勤圏とその圏外の境目がはっきりしていると紀行文に書いていたのは、宮脇俊三先生だったか。
高尾の駅を出て、甲州街道(国道20号線)をガードで越えたら、それまで住宅街や工場が立ち並んでいたのが、すぐ山の中という車窓にかわります。
そんな景色をみていたら、むかし夏休みに夜行の急行アルプスに乗って信州方面に向かったときのことを思い出しました。
当時急行料金は格安(数百円)なものだから、新宿から乗車すると山男・山女に混じって、ほろ酔い加減のサラリーマンなんかも乗車しているわけで、その時代の急行電車には冷房なんてついていませんから、窓は全開にして新宿駅の中央線ホームに停車しているわけですが、混雑した車内では熱気を天井の扇風機が撹拌している状態です。
やっと発車時刻になり電車が動き出すわけですが、ハイケンスのセレナーデがオルゴールチャイムで鳴った後、車掌さんの各駅到着時刻を聞きながら、西武新宿駅や高田馬場駅に立つ人たちを眺めながらも、外の生温かい外気が車内に入ってくるだけで、一向に涼しくはなりません。
(ドア脇のボタンを押しましょう)
それが、八王子駅までで通勤客が潮のようにひいたあと、高尾をすぎた途端に幽霊でも現れたかと思う程、いきなり窓から山の冷気が入り込んでくるわけです。
一緒に車内の灯りめがけて蛾なんかも飛び込んできて、高尾は何かの結界かと感じたものです。
ああした不思議な感覚は中央線の夜汽車でないと味わえないものでした。
それが今ではオレンジ色の通勤型車両が大月やその先の富士急行線にまで入り込むようになって、ロング(横長)シートにハイカーが並んでこちらを向いておにぎりを食べていて、何かが違う…と旅情が失せてしまったことを残念に思うのでした。
高尾駅を出てから小仏トンネルの向こうは、もう山また山で、ハイキングに行くときしか下車する機会のない駅が並んでいたのに、今では山の上を切り開いて住宅街ができていて、大月まで通勤客や学生を運んでいます。
じっさい、四方津や猿橋に列車が停車すると、分譲住宅街へアクセスするための、山の中には似つかわしくないエスカレーターや斜行エレベーターが駅裏にそびえていて、ハイキング気分も減じてしまいます。
こんなところに住宅をつくって、都心まで毎日往復する気かしらんと、当時は思ったものです。
もちろん、現代の車内はクーラーが効いて、窓は閉まっていますから、外の空気などは触れるべくもないのですが、高尾から先の駅は、温度や湿度だけでなく、空気の美味しさがまったく違う点だけは、当時も今も変わりありません。
そういう意味では住環境としては申し分ないのかもしれません。
大月駅には6時19分に到着します。
ここで乗ってきた電車よりも短い編成の甲府行き(6時23分)に乗り換えるわけですが、ホームが違うので階段を渡らねばなりません。
10両編成から6両編成の電車に乗り換えるわけですから、座席獲得競争もあります。
今度はボックスシート型の車両ですから、自分のようなブロンプトン連れの場合、ドアのすぐわきの2人掛けシートのドアよりが最適になります。
(あれ、あれ?)
そこを確保すべく、立川で中央線に乗りこんでから、5号車か7号車に移動しておきましょう。
そうすれば、大月駅では階段が目の前に来るという算段になります。
慌てずゆっくり跨線橋を使ってお隣のホームに着いたら、閉まったままのドアの前で佇むことなく、ドア脇のボタンを押しましょう。
都会ではこういう動作を忘れていますが、夏とはいえ朝は涼しいので、山の方では停車中の列車のドアは開放していないのです。
ちなみに、10両編成の乗客全員が甲府方面に乗り継ぐわけではなく、半数は富士急行線に流れますから、相当な混雑にはなりません。
列車が大月を出てまもなく、それまで晴れていた窓の外が、みるみるうちに山の上の方から乳白色に煙ってきます。
次の初狩駅では、とうとう真っ白になって視界が殆ど効かなくなってしまいました。
登り勾配ということもあるのでしょうが、電車も徐行運転です。
相模湖から桂川~笹子川と続く、甲州街道沿いの回廊は、夏場は特に夜は霧が出やすいのです。
これは何度も国道20号線を利用してバイクで林道へ向かうときに得た教訓です。
実感としては、バイクなどライトをハイビームにすると、ホワイトアウトするほどの濃い霧です。
上空から見ると、おそらく谷間いっぱいに霧が詰まっているような状況なのでしょう。
ただ、あくまでも朝までの話で、太陽が昇り始めると、都心に近い側から急速に霧が晴れてきます。
ゆえに、「今日は天気が悪い」と早合点して夜中に引き返してしまわないよう、林道ツーリングのときは濡れるのをがまんしながら甲府盆地を目指しました。
これまた経験上の話ですが、長い笹子トンネルを抜けると、それまでの霧や小雨が嘘のように晴れているということも多かったのです。
この日も、列車がトンネルを抜けて勝沼方面へ下ってゆくと、トンネル手前の五里霧中状態が嘘のように視界が開けているのでした。
それでも、ドピーカンという状態には程遠い、雲が隙間なく広がっている空ではありましたが。
塩山到着は6時51分。
以前同じ駅で下車して山梨交通のバスで柳沢峠までのぼり、そこから奥多摩駅までダウンヒルを行いました。
あのときは南口で8時30分発のバスでしたが、今回は反対側の北口で7時30分発ですから30分強の待ち時間しかありません。
改札口から北口に向かうと、案の定バス停には誰もおらず、一番乗りです。
畳んでカバーを掛けたままのブロンプトンをバス停の脇に置いて、山の上で食べる食料をば調達とばかりにコンビニを探したのですが、駅近くでこの時間に開いているコンビニといえば、反対の南口から1.25㎞も坂を下ったさきにある1軒のみで、これはブロンプトンでゆかないと無理です。
これからバスが向かう先、塩山のシンボルともいえる塩ノ山の向こう側にも、もう一軒ありますが、こちらは2.5㎞も坂をのぼった先にあり、そこからではバス乗車ができません。
座席確保の問題もあるし、仕方なく改札脇のキオスクでカレーパンとカロリーメイトを購入します。
こんなことなら、山用の携帯食を購入して持ってくるのでした。
トイレに行って、北口にどしりと鎮座されているお屋形様(武田信玄公のことです)の銅像を眺めます。
ええと、人は城、人は石垣、人は堀、そのあと何だっけな。
そうこうしているうちに、大弛峠行きのバス停には人がちらほら並び始めました。
空はまだ曇っていて、山のうえは全く見えない状態です。
下手すると、峠上も霧の中ということになりかねないな、でも天気予報は晴れるといっていたと気を取り直すのでした。
(つづく)