大弛峠は山梨・長野県境に位置する標高2,360mの峠です。
先年(2003年)、乗鞍スカイライン、乗鞍エコーラインがマイカー乗り入れ禁止になったため、自家用車で越えることのできる峠として、日本最高所になりました。
「峠」でなければ、富士山の富士宮口五合目(富士山スカイライン:標高2,400m)があるので、自家用車で行ける高所としては日本で2番目ということになります。
山梨県山梨市牧丘町杣口から、長野県南佐久郡川上村川端下へと大弛峠を越えて抜ける、林道川上牧丘線はかなり歴史があって(完成したのは昭和44年)、私が中学生のころはもう、埼玉県の秩父地方から川上村へ抜ける中津川林道とあわせて、オフロードバイクを駆るライダーさんたちのメッカになっていました。
当時は早朝に飯能や青梅から正丸峠、山伏峠を越えて秩父盆地へ入り、荒川を遡って中津峡を抜け、三国峠を越えて川上村へ下り、そこからこの林道を抜けて塩山へ出て、国道20号線を八王子へ帰るか、その逆コースをたどるのが定番でした。
高尾山の裏手、相模湖へ抜ける国道20号線に同じ名前の峠がありますが、あちらは字が違って「大垂水峠」と書き、こちらの大弛峠とは対照的に、ローリング族の聖地になってしまい、のちに二輪車通行止めになってしまった経緯は、前に書きました。
その頃のイメージは、大垂水=走り屋・大弛=オフロード野郎でしたかね。
地理オタクの私は、まだ免許の取れない年齢のころから、山奥深くはどうなっているのか想像し、バイクに乗れるようになったら必ず行こう!と思っていたのでした。
そして16歳になると原付のオフロードバイクに跨り、大弛峠を目指したのですが、幾度挑戦しても失敗続きで、峠を越えられたのは4年目の大学生になって、250㏄のバイクに乗りかえてからでした。
まず、原付で行くこと自体に無理があるのです。
高速道路にはのれませんから、当然下道で行くわけですが、原付ですからスピードも出ません。
目いっぱい早起きして朝の5時くらいに家を出て、顔が煤だらけになりながら笹子トンネルを越えて塩山につくと、もう10時くらいになっているのです。
それで林道に入ってゆくと、甲府方面から焼山峠を越えて来る林道と合流する、柳平という集落のちょっと先で、「災害復旧工事中:通行止め」という看板が出て、それ以上進めないというのが、1年目でした。
2年目、今度はちゃんと通り抜けられるかどうか前もって営林局に電話して(当時はネットがありませんでしたから)確認し、朝靄でずぶ濡れになりながら高曇りの甲府盆地から杣口集落に入ってゆくと、いきなりの大雨。
身も心も泣きながらぬれ鼠になって国道20号を相模湖方面に戻りました。
当時の林道は全線にわたって未舗装で、路肩もガードレールなんかなく補強されていないから、道の真ん中にひびが入ったと思ったら、道半分があっというまに崖下へ崩落なんてことは珍しくありませんでした。
そのうえ、林道川上牧丘線は、開通時期が短いのです。
当時は山梨県側の山麓にスキー場があったくらいで、開通期間は5月末から10月末くらいまででした。
開通してもすぐに梅雨の時期ですから、当然にゆけません。
学校が夏休みになってやっと行こうと思ったら、今度は台風による土砂崩れで通行止め。
梅雨の時期にがけ崩れがあるとその年はもう通行止めで、来年の夏を待ってくださいなんてざらでした。
3年目は、甲府側からアプローチしたのが悪かったのだと、秩父側から三国峠を越えて川上村から登ました。
ところが、こちらは中津川林道を通り抜けるのに時間がかかってしまい、川上牧丘林道の長野県側入口に着いたのは午後1時をまわっていました。
それでも頑張って登り、峠まであと300m地点に迫ったのですが、なんとそこでパンクしてしまいまったのです。
修理していたら雷が鳴って雨まで降り出し、ナビなんてもちろん無い時代ですから、あと300mで山梨県なんて知る由もなく、またもや泣く泣く長野県側へ下っていったのでした。
その時、原付のエンジンは酸素が薄くなるとかぶって(普段はアクセルを開けるとビービーうるさいのですが、混合気が濃くなってアクセルを開けてもモモモモとこもったような音が出て、出力が上がらない状態)しまい、それで標高が高いことには気づいてはいましたが、山梨県側も悪路が続くうえに、麓の集落までの距離はそちらの方が長いので、諦めざるを得ませんでした。
大学生になってやっと大弛峠に立てた時、そこにハイカーがたくさんいるのに茫然としてしまいました。
その頃は、山梨県側の塩山駅から乗り合いタクシーで大弛峠を目指す登山客が多くて、地元のタクシー会社も悪路用のタイヤを普通のタクシーに履かせていました。
じゃないとすぐスタックしてほかの車を通せんぼ状態になりますから。
しかしがんばって登った割には景色はそれほどでもなかったのです。
ここから山に登らないとだめなのだと痛感しましたが、家からここまでバイクで走るのに体力を費やしてしまい、これで登山して帰りもバイクでなど、想像しただけで昏倒しそうになるのでした。
その頃、山梨県側は麓の方から少しずつ舗装化工事がはじまっていましたが、大弛峠まで完全舗装化されたのは2000年代に入ってからとききます。
柳平のすぐ下には、あの頃は存在しなかった琴川ダムによる乙女湖(人造湖)なんてできています。
そして、現在は金峰山、国師ヶ岳、北奥千丈岳などに登る人たちのために、栄和交通という地元のタクシー会社が路線バスを運行しています。
一番早い便は塩山駅7時半発で、柳平で乗り合いタクシーに乗り換え、8時50分には大弛峠に到着できます。
これなら金峰山を往復しても余裕で日帰りできますが、そこまで無理せず、峠から正味2時間で往復できる、国師ヶ岳(2,592m)と北奥千丈岳(2,601m)を往復し、下りはブロンプトンで山梨側の舗装路をびゅーっと走って、帰りの電車で安眠を貪るなんて旅ができるんじゃないかと考えました。
帰路は順当に下れば笛吹川を渡って塩山駅に滑り込むか、笛吹川沿いにくだって東山梨駅、または山梨市駅から中央線で高尾方面上り電車に乗るわけですが、高尾までは時間がかかるうえに、もし座れなかったら睡眠はおろか、けっこうな忍耐が必要になります。
そこで、柳平から焼山峠、乙女高原を抜けて、水ヶ森林道をくだって甲府駅の裏手、要害山温泉に出て、ひと風呂浴びてから甲府駅まで走り、始発電車に乗って高尾方面へ帰るという大まかな計画を立てました。
これなら、林道が閉鎖されていない限り、全線が舗装されているので、ブロンプトンを押し歩くような場所はなさそうです。
自分の記憶では、水ヶ森林道は尾根上の道で、ところどころで南アルプス方面が望めたと記憶しています。
唯一心配なのは、柳平集落から焼山峠、乙女高原までの登りです。
ルートラボで試算すると、距離4.2km、平均斜度4.6%、標高差221mと出ました。
これは以前経験した長野県須坂市の仙仁温泉から菅平高原の大笹街道の登り(距離8.8km、平均斜度7.1%、標高差634m:https://blogs.yahoo.co.jp/brobura/40890239.html)や、箱根東坂の三枚橋~お玉ヶ池間(距離10km、平均斜度6.7%、標高差688m)と比べればましです。
大笹街道は1時間10分で登りましたから、その半分で、40分もみておけばよいだろうと考えました。
そして持ち物です。
登山をするわけですから、相応の靴を履かねばなりません。
大菩薩峠に登ったときもそうでしたが、2時間以上の場合は登山靴が必要かもしれません。
今回はそれほどでもないと判断し、ランニングシューズにしました。
バイクで大弛峠を越えたときの経験から、夏でも寒いくらいの気温で、午後は天候が悪化しやすいと考えました。
だから、登山は午前中に切り上げ、午後も3時前には山を下る腹積もりでした。
それでも長袖、雨具を持ってゆくようにしました。
林道に関しては、走りまわっていたので迷うこともないと思いつつ、新しい道が出来ていたりすると困るので、一応自転車用のナビも装備します。
また山深い場所で、帰りの水ヶ森林道は地元の人くらいしか入らない場所ですから、熊鈴も装備しました。
一応予約の際に栄和交通さんに電話を入れて、膝の上に載せられるので、折りたたみ自転車を持って乗車してもよいか尋ねたところ、登山の人たちは大きな荷物も持っているので、膝の上に収まればOKとのことでした。
また天候が悪い場合はキャンセルも可能とのことです。
ということで、前日に天候の心配はないことを確認したうえで、中央線方面の山へ行くときは必ずといってよいほど利用する、南武線、武蔵中原駅始発の4時43分立川行きに乗車するのでした。