夏休みも終わりですね。
憂鬱になっている学生さんも多いのではないかと思っています。
勉強が面白くなかったら、学校は苦痛でしょうから。
今回はそんな自分を振り返って書いてみようと思います。
かなり昔の話(今から60年以上前)です。
とある小学校で、その先生が担任になると、クラスの7割以上の子どもが将来理系に進むという現象があったそうです。
単年の話ではなく、複数年でそうだったといいますから、算数や理科に興味を持たせるのが上手だったのでしょう。
わたしは公立の小学校に通っている段階では、自分が文系か理系かなんて意識したことはありませんでした。
同じ先生が教えるので、教師との相性は関係なく、何となく社会科や国語の方が楽しいとは思いましたし、算数や理科はテストの点が悪いから苦手だとは感じていたものの、文系・理系なんて言葉も知りませんでしたし。
それが中学校受験になって、塾に通って訓練するうち、パブロフの犬状態になって算数の問題は解けるようになってゆきました。
中学校への受験くらいだと、当時は六年生の夏休み以降、ひたすら過去問の演習をするのです。
これは、出題範囲とパターンが決まっている試験に有効な、いわゆる「未知の問題を無くしてしまおう」作戦です。
今時の受験情報でも同じだと思いますが、中学校受験の場合、とにかく算数で点を稼ぐよう指導されるのです。
理由は「正解がひとつしかないから」
解き方さえ憶えてしまえば、これほど確実に点がとれる教科は他にないのです。
国語はその点、問題を出す側にも、解答する側にも、一種のセンスが問われます。
ひたすら訓練されたものだから、入試試験の算数はほぼパーフェクトでした。
どうしてわかったかというと、入学した中学校の数学と英語の授業が習熟度別にクラス分けされていて、その席次まで点数順だったからです。
私の隣に座っていた子は一人だけで、最初の授業で入試問題の答え合わせをしたのですが、彼は満点、私は98点でした。
しかし得意なはずの国語は半分の50点も取れなかったというおまけつきだったみたいですが、それは作文で何とかフォローしたみたいでした。
まさに受験生特有の、試験に受かるためだけの勉強をしてきた結果でした。
ここで話が終わればたんなる自慢話に終わるのですが、世の中そう単純ではありません。
中学一年ではじめて迎えた中間試験、自分は数学で落第点を取ってしまったのです。
つるとかめがXとYに置き換わったらもう分からなくなって、そのクラスの教師にネチネチとお説教をくらったのち、いわゆるクラス落ちをしていったのでした。
あの若い先生も、きっと上司から叱られたのでしょうね。
習熟度の低いクラスで、別の教師から「どうして勉強ができなくなったの?」と問われ、通学時間の長さ(往復三時間以上)を言い訳にした私は、「細切れの時間を使って勉強をする方法を考えなさい」とアドバイスを受けたのでした。
でも、本当の課題は「細切れの時間でも夢中になれるほどに、数学に興味をもつにはどうしたらよいかを考えなさい」だったと思うのです。
それが分からなかったものだから、数学や化学、物理への興味をどんどん失ってゆき、成績も全く振るわず、ことに数学に関しては落ちこぼれクラスと中間クラスを行ったり来たりの繰り返しになってしまいました。
救いだったのは、ことばオタクだったから、英語には多少なりとも興味が持てたので、二年生くらいから上のクラスにあがれたことでしょうか。
しかしそこは私立中学校です。
さらに上に帰国子女クラスがあって、そこの子たちの話している英語は全く聞き取れないのでした(笑)
数学の成績がよくて、英語がダメという人は、当時は公立の小学校では英語教育をやっていませんでしたから、多少はいたのですが、自分みたいに英語のクラスが上級で、数学のクラスは底辺なんて子は、他にいませんでした。
大半はどっちも上のクラスか、どちらも中間から下のクラスです。
個性的といえば個性的だったのでしょうけれど。
そんな自分が、中学高校を通して「数学って楽しい!」と思った時期がありました。
連立方程式の解き方と、微積分のグラフの書き方を近所の大学生から教えてもらったときです。
問題に取り掛かる手順を自分なりにまとめてノートに書いておき、最初は簡単な問題から、次第に難しい問題を解いていったとき、ジグソーパズルの難易度をあげてゆくみたいで、問題を解くことにはまってしまったのです。
高次の方程式を因数分解したり、不定積分の問題を解いたりしても、解法の基本は変わらず、重層化している部分を整理したり、ちょっと発想を転換したりすることで、解にたどり着く経験をして、これが数学の面白さかと感じたものです。
そうなると、問題が解ける=もっと問題を解きたくなる=知らない問題がなくなってゆく=テストにおいて解答できない問題が少なくなる=成績があがる=クラスも上にあがると、好循環ができ、高校に入学したときには上のクラスに戻っていました。
その時は、通学中電車の待ち時間にも、東京出版の「大学への数学」とか数研出版社の「メジアン数学演習」なんて開いて、問題を解いていました。
いつもはじじむさく吉川英治なんか読み耽っていた自分がです(笑)。
もっとも、代数や解析には興味がもてたものの、幾何は苦手なままだったから、学期が移ってしまうともう駄目で、しばらく見ないうちに大学生になって微積分が出てきたら、もう「なんだっけ?」の世界になってしまっていました。
ずっと後になって、数学は暗記の学問だと気付き、道理で理屈っぽい自分には向いていなかったわけだと納得したのですが、理屈ばかりこねる子どもでも、「これは理由を考えずに記憶しなさい」と指導すれば、やってできないことはないと思うのです。
その際に課題になるのは、どうやって、無味乾燥な解法の手順を暗記するモチベーションを維持するのかということだと今は考えています。
一瞬数学が好きになった自分の経験のように、問題が解ける=成績が上がるという好循環にもってゆければよいのですが、そこまでたどり着く前に解法のテクニックを暗記するという壁があります。
(そんな題名の矢野先生の参考書がありましたね)
自分の経験からいうと、理屈っぽい人は言語能力には優れているのだから、自分自身の言葉と工夫でノートに解き方を整理しておくことじゃないかなと今は思っています。
「試験〇分前に見るノートをつくる」って話題になったことがありましたよね。
記憶術が話題になったとき(https://blogs.yahoo.co.jp/brobura/39172601.html)に書きましたけれど、自分みたいに地理が得意なら、最重要公式やワードを駅にぶら下げてみるとか、絵が得意ならビジュアルに訴えるような記号を入れてみるとか。
おそらく、冒頭の小学生を算数好きにしてしまう先生は、この子は理系には向いていないなんてレッテルを貼ることもなく、ひとりひとりの子どもにあった覚え方を見出して、ヒントを出してあげるのが上手だったのではないかなと、そんな風に思うのです。
もし、どうしたら苦手な教科を好きになれるか悩んでいたら、その教科が得意な先生ではなく、好きになった経験をもつ先生に、「どうしたら○○が好きになれますか」と訊いてみたらどうでしょう。
そう訊いたところで、あなたにぴったりの方法を一緒に考えてくれるかどうかわかりませんけれども、ひとを変えて何度も問い続ければ、かつて苦手だったけれど、楽しみを見出して今は教師をやっている大人にめぐり合えるかもしれません。
旅だって、失敗の積み重ねの上に良い旅があるのですから、自分ももう少し失敗談を多くこのブログに書いてゆこうと思います。