(夕方には雲ひとつなくても、夜半に雲が出てくるということもあります)
田毎の月の話には後日談があって、どうしても月夜の棚田がみたい私は、違う年の同じ季節の夜12時すぎに車でここを訪れました。
宿泊は屋代駅近くのビジネスホテルで、また思い付きで夕方に家を飛び出し、車で来ました。
本当は新幹線を使いたかったのですが、今度は三脚や一眼レフもあるし、翌日の天気があまり良くないということだったので、車にしました。
しかし、スキーに行くのもそうなのですが、だんだん車を運転するのが億劫になってきたのです。
若い時のように、運転していれば幸せなどという気持ちはとうにうせて、どうしたら穏やかな気持ちで運転し続けられるかなんてことを考えてばかりいます。
私がこのブログであまり車とブロンプトンのかかわりについて触れないのは、自家用車という乗り物について、あまりブロンプトンを活かすことのメリットがないからです。
むしろ自家用車の代わりにブロンプトンを使用した方が良いかもと思っています。
完全に代用はできませんけれどもね。
さて、夜半に姨捨駅の付近まで車で来た私は、少し離れた県道の広い場所に車をとめ、三脚に一眼レフを取り付けたまま抱えながら、棚田のなかへ入ってゆきます。
雲はややあるものの、真上からやや南に満月が煌々と輝いています。
この位置なら善光寺平の夜景とともに、田に映る月を写真に収めるのは無理としても、姨捨山のシルエットならなんとかなりそうだと思いました。
もちろん、バルブ撮影を予定しているので、シャッターのリモコンも持ってゆきました。
ところが、いざ三脚を道路にたてて、狙ったアングルでシャッターを切ろうとしても、リモコンによる長押しができません。
マニュアル通りにやっているのですが、どうしても長押しにならないのです。
あとで調べたら、レリーズケーブルを使うのが確実と書いてありました。
仕方がないので、ぶれるのを覚悟で、指でシャッターボタンを長押しします。
押しているときに気がついたのですが、この時間けっこう風があって、稲の苗が揺れています。
苗だけならまだしも、田の水面までさざめいているではありませんか。
これじゃぁバルブ撮影しても意味ないかもと思いながら、設定を変えて何度かチャレンジしました。
がんばって撮った写真が下の通りです。
肉眼では水面に姨捨山がシルエットで映っていたのに、写真にしたら何が何だか分からなくなってしまいました。
逆に善光寺平の夜景をバックにしても撮ってみました。
こちらは夜景に絞りをあわせると、完全に棚田が沈んでしまいます。
露出をあげて撮影すると、棚田は映るものの、今度は夜景が露出オーバーに…。
私のような素人の手におえるジャンルではありません。
かりにブロンプトンでこの撮影に臨もうとしたら、長野、篠ノ井方面からの列車で姨捨駅到着の最終は23時29分になります。
屋代駅前のホテルに宿泊したと仮定して、接続がよくないので稲荷山駅に23時13分に着くようにブロンプトンで走ってゆくことになると思います。
(ちなみに、稲荷山駅、姨捨駅にいちばん近い宿泊地は、最初にご紹介した稲荷山温泉です。
ただ、普通の温泉旅館なので、門限があるかもしれません)
持ち物は最低限でもカメラ、三脚、その他バルブ撮影用の道具です。
カメラやその付属品は良いとして、問題は三脚です。
三脚って、アングルの自由度が増せば増すほど、高価で重くて、サイズが大きくなってゆきますから。
そして携行するためにたたんだときは小さくなり、展開した時は背が高くなる商品を選ぼうとすると、たたむ箇所が増えてゆき、どうしても高価になってしまいます。
なんだか折りたたみ自転車と良く似た世界ですね。
もうひとつ、カメラ本体より高価な広角で明るい(F値の小さな)レンズを持っていかないと、難しいことにも気がついてしまいました。
もうひとつ、カメラ本体より高価な広角で明るい(F値の小さな)レンズを持っていかないと、難しいことにも気がついてしまいました。
ただ、これだけの荷物を背負って走れるとなれば、そこは機動力のあるブロンプトンですから、あとは撮影の技術次第といったところでしょうか。
(これが姨捨山を映したアングル。でも右のように明るく加工しないと分からないし、水面と苗が風で揺れるため、シャッターを開け放ししてもこんなものです)
なお、2015年9月12日から25日まで、千曲市観光協会では姨捨観月祭をやっているようです。
棚田散策から句会、コンサート、講演会、お月見散策まで、週末を中心にイベントが目白押しです。
期間中は夕方から農道をライトアップするみたいです。
また9月26日、27日は「千年の夢」と題して棚田に大鏡を複数枚持ち込んで、月を映すみたいですよ。
そこまでしても、昔のように収穫した棚田に水を入れてお月見ができないというのは、いったん田に水を張ったら、後の始末が大変だからだと思います。
前回、実際の観月は秋と申し上げましたが、どうしても田に映る月を見たいのであれば、やはり5月の下旬から6月の頭になると思います。
なんとか棚田に映る月を撮ろうと躍起になってみたものの、大切なことはこの脈々と受け継がれてきた棚田という緑のダムを今もこうして守っている人たちがいるということに対する感謝の念をもつことではないかと思いました。
この月をみて姥が泣いたのは、単に棄てられた悲しさからだけだったのでしょうか。
虎は死して皮を残し、人間は死んで何を残すのでしょう。
そんなことを考えながら、ふと芭蕉のように月を友にして宵闇の中に佇んでみるのでした。