鉄ちゃんの中に、「列車は写真を撮る対象」という人と、「列車は乗って旅する道具」という人がいるように、山にも「登る対象」というひとと、「眺める対象」という人がいます。
しかし、両者は対立するものではなく、「かつて登った山を見上げて、あの頃を思い出す」とか、「眺めているうちに好奇心が湧いて登りたくなった」など、対象に対する態度が時系列で変化したり、目的と手段が倒置することによって両方に興味を持ったりする場合がありますから、一概に二分論では両者を語れません。
ただ、気がついたら山のてっぺんにいたという人は、(病気やテレポーターでもない限り)いないわけですから、最初、山は下から眺めるところからはじまるわけです。
『ふるさとの 山に向かひて 言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな』という石川啄木の歌は、いつも変わらぬ姿でそこにいてくれる母のような存在としての岩手山を歌ったものと言われています。
今日は同じように名前に雪形が用いられ、親しみを込めて麓の人々が山の名前を呼ぶ例について、書いてみようと思います。
写真は春に白馬で撮影したものです。
雪形というのは山に積もる雪と岩肌が織りなす模様のことです。
積雪によってあらわれるもの、春になって残雪が溶けてゆけばあらわれるもの、真冬の積雪が最大になって認められるものなどいろいろあります。
こうした性質から、農事歴として雪形を利用することは、古くから行われてきました。
よくあるのが、全国に存在する駒ケ岳。
あの山に、馬の形をした雪形が現れたら、田に水を引きいれて田植えの準備にかかれといった、里の伝承です。
その中でも有名なのが、白馬岳でしょう。
山としての名前は「しろうま」でも麓の行政区分名は「はくば」村という、長野県のスキー場銀座と呼ばれる場所に象徴として存在する山は、「代(掻き)馬」の「しろうま」が転じて白馬になったというお話は、前に八方尾根のところで致しました。
もうひとつ、白馬岳と並んで白馬村から見える有名な雪形が、五竜岳の武田菱です。
ご存知、四つの菱形を1-2-1と縦に重ねた甲州武田氏の紋章が、山頂直下にくっきりと現れます。
武田菱は御菱「ごりょう」と呼ばれていたから訛って「ごりゅう」になった説もあります。
武田の勢力が信濃の大半に及んだ時、白馬村のある大北地域もそれに含まれていたこともあり、何で信玄物のドラマのタイトルバックにこちらの山を使わないのかな、なんて思ったこともあります。
話を白馬岳に戻します。
両隣の杓子岳や白馬槍ヶ岳に杓子や槍は現れませんが、仔馬やゴリラ、犬や種まき爺さん、とぐろを巻いたヘビや鶴など、様々な形が現れるのを利用して、星座のように、様々な雪形を自分なりに発見して楽しむ遊びもあるようです。
双眼鏡を片手に白馬小径を自転車で巡り、様々な角度から山を眺めて、自分独自の雪形を発見するツアーをやったら楽しそうです。
山や河川、地名などに命名権は設定できませんが、かじられた林檎とか、3つの楕円を組み合わせたようにみえる雪形、或いは文字として読める雪形を発見し、行政が洒落で企業に対し、毎年期間限定のネーミングライツを売るとかしたら、面白いのに。
里にデカデカとした看板を無神経に立てるより、よほどスマートな気がするのですが。
そういえば、バブルの頃までは白馬=ホワイトホースに掛けて商売していた人もいましたっけね。
目抜き通りに白いサラブレッドのオブジェがでんと鎮座し、その前でギャル(死語)が折り重なってピースサインしながら写真を撮っていたりして。
あれは王子様があれに乗ってやってくるというファンタージ―の象徴だったのでしょうか。
暴れん坊も、お隣の国も、将軍さまは白馬に乗っていたような気がするのですが。
なお、仮に五竜桔梗信玄餅岳なんて名前をつけて、あのお餅を武田菱型にして期間限定で売り出しても、売れるかなぁ。
例のお餅、食べる段階で黄な粉や黒蜜を机にこぼしてしまうので、あらかじめ塗されたてひと口サイズの菱形に切られたタイプなら受けそうだけど。
しかし昔から、ここ大北地域のお土産菓子は「雷鳥の里」と決まっているんだよなぁなどと、結局眺める山よりも食べ物のことを考えてしまうのでした。