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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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旧東海道の旅において渡河する川の長さランキング(その2)

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旧東海道の旅で渡る川の長さ、Best 3です。

3位:大井川 河川長168㎞ 流域面積1,280
ここで島田宿と金谷宿に挟まれた、あの越すに越されぬ大井川の登場です。
もうここまでくると、大井川、木曽川、天竜川しか残っていないわけですが、大井川はそのうちでは一番短いだろうと想像がつきます。
なぜなら、木曽川の木曽谷や天竜川の伊那谷に比べて、南アルプスの赤石山脈と白根山脈に狭まれた大井川の谷は、明らかに短いですから。
谷を走る鉄道、すなわち中央西線、飯田線、大井川鉄道の長さを想像してもらえれば分かると思います。
とはいっても168㎞もあります。
源流は静岡、長野、山梨の三県境付近にある間ノ岳(あいのだけ=標高3189.5m)。
イメージ 1
(大井川 金谷側)
大井川鉄道の終点のさらに上流にある畑薙湖から、赤石湖を経て二軒小屋まで続く大井川源流に沿った東俣林道(延長27.3㎞)は、秘境林道として有名で、マウンテンバイクを持っていたらぜひ挑戦したい道です。
一般車も通れるには通れますが、許可制だったと思います。
だいたい、南アルプスって登山者も中央アルプスや北アルプスに比べたらぐっと少ないらしいです。
交通の便が悪いことで、日帰りができない山が多いからということです。
今でこそ市やミネラルウォーターの名前になっていますが、自分が子どもの頃は、山の怪談は南アルプスでのものがいちばん恐ろしいのでした。
いわく、一晩中テントを叩く音に加え、人の足音がテントを周回するとか、前をゆく錫杖をついた修行僧に道を尋ねようと肩を触ったら、肩甲骨をボロリと落として振り向いた彼はミイラだったとか…。
きっと単独行が多かったからそんな話ばかりになってしまったのでしょう。
こんどリニア新幹線が下を貫通し、非常口が設けられるらしいのですが、冬季に外に出たら間違いなく遭難するような山奥ですよ。
イメージ 2
(牧之原台地上からみる大井川)
 
2位:天竜川 河川長213㎞ 流域面積5,050
河川長も200㎞を越える川は貫禄が違ってきます。
旧東海道の橋の長さこそ大井川に負けましたが、河川長はこちらの方が45㎞も長いのです(日本第9位)。
源流は諏訪湖の南、釜口水門(岡谷市)ですが、諏訪湖やそこへ流れ込む川も含めたらもっと長くなります。
特徴としては、上流部の伊那谷が広やかなのに、その南の天竜峡付近からの中流部がくびれていて、狭い急峻な地形になり、愛知県新城市に入って鳳来峡、湯谷温泉を通過したあたりから再び平野部に出てくるという、流路の地形が変化に富んでいるさまは、飯田線に乗って車窓を観察しているとよくわかります。
もっとも上諏訪から豊橋まで216.3㎞を鈍行で7時間(つまり平均時速は30/hちょっと。飛行機に乗ったら成田からシンガポールまで行ってしまいます)もかかる飯田線に乗車して、ひたすら天竜川を観察してみるなんて酔狂な人はいないでしょうけれど。
イメージ 3
(天竜川 磐田側)

旧東海道の旅では、洪水対策に取り組んだ金原明善が登場しましたが、南アルプスと中央アルプスに挟まれた谷間を流れる天竜川は、上流の伊那谷でも下流域の遠江でも、暴れ天竜と呼ばれたその名に違わず、その歴史は洪水対策の歴史そのものだったそうです。
災害対策と水力発電を兼ねて、ダムが多いことも特徴で、平成になっても水害は収まらず、脱ダム宣言をしたり、災害にあってこれを撤回したりと対策に苦慮しています。
急流ということは流砂によって堆砂する土砂も相当量にのぼるわけで、そこへたくさんのダムがあるわけですから、浚渫事業や流砂促進のための施設整備も休みなく行っているようです。
旧東海道の新天竜川橋付近では両岸も広く山は遠くにしか見えませんので、そこまでの苦労は実感できませんが、いちど飯田線にブロンプトンをつれて行ってみたいものです。
(テレビだか雑誌だかの企画で、飯田線とブロンプトンを競争させるという話題があったと思います)
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(新新天竜川橋)
 
1位:木曽川 河川長229㎞ 流域面積5,275
そして旧東海道で渡る川のうち、その長さが堂々第1位は木曽川なのでした。
日本の河川長ランキングでも、最上川と並んでの第7位です。
木曽川の源流は長野県の塩尻市に近い鉢盛山(標高2,446m)です。
上流部の木祖村で塩尻方面から鳥居峠を越えてきた中山道、中央西線と合流し、木曽福島の下流で御嶽山から流れてきた王滝川をあわせ、以降は中津川付近までほぼ中央本線に沿って南下します。
恵那峡付近から西へ流れ、岐阜県の可児市で濃尾平野に出ると、犬山城下をさらに西流し、笠松付近から南下してその下流で長良川、揖斐川と併流します。
佐屋街道の続きで渡河するときは、尾張大橋が愛知・三重の県境になっているため、ほぼ合流している長良・揖斐の両河川より印象に残ります。
この木曽川について、(長良川も同じような傾向がありますが)なぜ濃尾平野に出てからまっすぐ南へ向かって伊勢湾に注ぐのではなく、いったん西へ向かってから南下しているのか疑問でした。
ひょっとして北端の犬山城に象徴されるような尾張丘陵が邪魔をしているからかなと思っていました。
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(木曽川 尾張側)

調べると、濃尾平野というのは濃尾傾斜運動と呼ばれる造盆地運動によって、西に連なる養老山系側に傾斜しているのだそうです。
造盆地運動というのは、地質学でいう沈降運動のことで、沈降とは隆起の反対、つまりお椀の底が深くなるイメージの運動です。
平野が形成するにあたっては、河川が土砂を運んで堆積するだけでは足りず、この造盆地運動というのが必須なのだそうです。
たとえば、東京のある関東平野は中央部が沈降し、周辺の丘陵部が逆に隆起することで形成されていて、これを関東造盆地運動と呼びます。
濃尾傾斜運動は、濃尾平野自体が数百万年前より西に向かって年間0.5㎜程度傾いていて、平野の西端に走る養老―伊勢湾断層を境に、その向こうの養老山地は逆に隆起しているのだそうです。
だから、濃尾平野に出た木曽川はそのまま南下せず西の低い方へ向かって流れてゆくわけです。
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(尾張大橋西詰)

濃尾平野というと、政治経済の中心である名古屋市にどうしても目がゆきがちですが、名古屋市内は自転車で走ると北部や東部は特に平ではないということを実感できます。
平野として木曽三川の土砂がもっとも堆積している土地は、むしろ西の岐阜県側ということになります。
そしてこの傾きによって南西端の三川が伊勢湾に注ぐ辺りは、もっとも水害に悩まされるというのも納得がゆくのでした。
こんな風に、河川から地理や地質を考えてみるのも、またロマンがあって面白いものです。
こんなことを考えていたら、濃尾平野をブロンプトンで走り回り、犬山城址や稲葉山城址に登って高いところから河川を眺めてみたいと思うのでした。(おわり)
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