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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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鎌倉の西側の山は縦走できるのか?(その4)

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長谷配水池脇に駐輪したブロンプトンまで戻って、そこから極楽寺方面へ谷間の道を下ってゆきました。
稲村ケ崎小学校の角までおよそ800m。
極楽寺の奥にこんな深い谷があったのだと思いながら、右手に連なるさきほど足を踏み入れた尾根を見てみますと、下部がほとんどコンクリートの壁になっていて、その高さは10m近くもあろうかというものです。
その上に、2m程度の頑丈なフェンスが張っていて、これでは下から登ろうにも取りつくしまもありませんし、山の上から下りてくるもの不可能です。
この谷は極楽寺馬場ヶ谷と呼ばれ、その名の通り、かつては馬場があったとされる谷です。

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(いったん極楽寺付近へ出ます)
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(こんな壁では降りられるわけありません)

小学校まで出て極楽寺駅方面には向かわず、右折して別の谷戸(西ヶ谷)をのぼります。
こちらの谷は、かつては極楽寺の境内だった場所で、谷のいたるところにやぐら(斜面に設けられた墳墓)があったそうです。
こんどは逆側からさきほどの尾根を見るかたちになりますが、コンクリートの壁はまるで軍艦巻きの海苔みたいに山を囲っています。
これでは、気軽に山に入ることが出来ないばかりか、山を手入れするためにちょくちょく入ることもかないません。
おそらく宅地化が進んだ結果、斜面崩落の危険性が出てきたため、市や県の方でこのような処置をしたものと思われます。
わたしが子どもの頃は、鎌倉を山歩きして畑や民家の庭先に出るなんて珍しいことでもなんでもなかったのに。
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(どこまでいっても壁が続きます)
 
谷の途中でクランクし、月影地蔵の前を通ります。
この月影地蔵はもともと江ノ電の極楽寺駅と稲村ケ崎駅の中間地点に月影ヶ谷にあった阿仏尼(12221283)の邸宅にあったお地蔵さんを移設したものです。
阿仏尼は十六夜日記の作者です。
旧東海道の旅で新居宿から白須賀宿の途中に、十六夜日記の歌碑がありました。
亡き夫の所領を息子が相続するか、前妻の子が相続するかのもめごとを調停してもらうため、京都から鎌倉に下向してきたおばあさんでした。
いつの世も相続問題は大変です。
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(月影地蔵堂)
 
このお地蔵さんがあった月影ヶ谷には、親孝行娘の露に関する伝説も伝わっています。
露の母は仕えていた北条業時(1242-1287)の屋敷で高価な皿を割ってしまい、それを幼い娘のせいにしようとします。
業時が「母親が割ったのだろう」訊いても、露は自分が割ったと言って譲りませんでした。
仕方なく、母子二人に暇を出すことにした業時に、慌てて母親は自分が割った旨を白状したのですが、許されませんでした。
母親は追放され、娘には高価な梅模様の小袖を与えて身元の確かな家に預けることになりました。
ところが、その小袖を母親は奪って姿を消し、他家に預けられた露も母を慕うあまりに病死してしまったという話です。
憐れんだ周囲の人が建てた露の墓には、ウメノキゴケがびっしりと着生したため、袖を通すことのなかった梅小紋の代わりについたのだと噂されたのだとか。
あのう、梅の木苔って文字通り梅の木によく生えるからその名前で、苔が梅の木や花の形をしているわけではありません。
それにしても、母親のバッド・マザーぶりもすごいですが、どんな親でも子には親ですから、露は引き離されたことに意気消沈してしまったのでしょう。
もし露が成長していたら、現代でいうアダルト・チルドレンになっていたりして。
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(たまに山に入る入口を見かけますが、ご覧の通りで入れません)
 
さて、月影地蔵の先で西ヶ谷の奥へ向かう道はますます狭くなり、軽自動車がやっと通れるくらいの幅になります。
その先で畑を見ながら点在する住宅街を登ってゆくと、打越隧道があらわれます。
これが前回ちょっと触れた通称「カンカントンネル」です。
写真でご覧の通り、トンネルの断面が蛇腹になっていて触るとカンカン音がするからその名前ということになっています。
フレンチ何とかとか、銀座のナントカ娘とは一切関係ありません(笑)
この道をくぐると、笛田という大仏切通を藤沢方面へ抜けたあたりに出ます。
これが、稲村ケ崎や大仏前が渋滞しているときに藤沢・大船方面と極楽寺・由比ガ浜へ抜ける道になりますが、普通車は小型車であってもその道幅ゆえに通り抜けられません。
また、自転車は打越トンネルの両側がかなり勾配のきつい坂になりますので覚悟が要ります。
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(打越隧道)
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(しかし、こちら側の入口もやはり行き止まりです)
 
今回はトンネルの上に尾根道が通っているかを確かめるためなので、トンネル脇の階段を登ったところにブロンプトンを駐輪して、徒歩で調査します。
まずは、先ほど尾根を辿って行き止まりだった道の出口を探します。
鎌倉駅からかなり外れた山の上なのに、けっこう住宅が建て込んでいて、山に入れそうな入口はなかなか見当たりません。
ふとみると、駐車場の脇に山の斜面を横切る踏み跡の入口を見つけたので、そこから山へ入ります。
100mほど、先ほどの長谷配水池方面まで進んだところで、伐採した樹木が積んであって道は途切れてしまいました。
スマートフォンで位置を確認すると、さきほど引き返した地点とおそらくは50mほどしか離れていないのですが、その50mがどうしてもつながらないのでした。
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(気を取り直して鎌倉山方面へ)
 
仕方なく戻り、今度は打越トンネルの上の尾根道に足を踏み入れます。
途中、車止めのような柵がありますが、両脇と真ん中の扉は開いていて立ち入り禁止とも書いていないのでそのまま通過すると、その先右手の斜面上になにやら大きな別荘のようなものが見えます。
これが扇湖山荘(せんこさんそう)です。
某製薬会社の会長の別荘だったものが、銀行の手に渡り、その後鎌倉市の管理下に移されて今に至っています。
建物は一階土間部分しか入れませんが、庭園は年2回公開されています。
今週金曜日と土曜日が春の庭園公開なので、興味のある人は行ってみてください。
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(扇湖山荘がそびえています)

私は非公開の山荘を覗く気はなく、山道が鎌倉山の方までつながっているかを確かめたいだけなので、山荘には近づかず、そのまま山の斜面を横切りました。
途中、バチの巣が転がっていて、やはり夏には来たくないと思うのでした。
ところが山荘下を通過した先でフェンスに阻まれ、どうしても先へ進めなくなりました。
やはり扇湖山荘の敷地が山の上を占めていて、通過できないようになっているようです。
どうやらこれ以上西方向へ尾根筋を辿るのは無理なようです。

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(もう少しで出られそうですが、柵に阻まれて出られません)

ということで元来た道を戻り、駐輪したブロンプトンを回収して打越トンネルの脇で山の上を見上げました。
残念ですが、鎌倉の西側の尾根筋は途中2か所(長谷配水池も含めたら3か所)にわたって分断されているため、山の上だけを辿って源氏山から海まで出るのは不可能ということがわかりました。
その日は山を藪漕ぎばかりしていて疲れてしまったので、海沿いの国道を逗子まで走って逗子駅からJRの始発に乗って帰りました。
電車に乗る前に逗子の浜辺で今日のことをぼんやりと考えていました。
山道は途切れているのですが、使わなくなった配水池や打ち捨てられた雑木、それに市に管理されているものの利用方法がきまっていないためにもてあまされている山荘と、どれも公的機関が利用を決めかねていることが原因で縦走路がつながっていないだけなので、鎌倉市が本腰を入れて整備さえすれば、鎌倉アルプスに劣らないハイキングコースになるのではないかと思われました。
なにしろ、最後はかつての青春ドラマシリーズでお馴染みの稲村ケ崎や七里ガ浜に出るコースですから、景勝という点においても天園ハイキングコースより優っています。
それに、山道の整備だけならそんなにお金もかける必要はないと思われます。
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(これ、土中にあったならスズメバチの巣なんですけれど)
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それよりも、山の荒れ具合の方が気になりました。
人の手が入らない分、樹木も雑然としています。
その下の雑草や笹も伸び放題でした。
そして山裾を、まるで万里の長城よろしくあのようなコンクリ壁で囲ってしまったら、山の栄養素が海までながれてゆくのだろうかと心配になりました。
わたしの子どもの頃の鎌倉の海岸は、波打ち際に立っていると、波が引くのに合わせて足の左右を小さな小魚が通り抜けてゆくのを目で追うことができました。
足のつかない場所まで泳いで水中メガネで海の底を覗くと、ところどころに小さな魚の群れが確認できました。
それが、年々海が汚くなって魚を見なくなり、最近は海藻ですら見るのは稀になってしまいました。
昔みたいな豊かな海を取り戻すには、たんに海をきれいにするだけでなく、山も元に戻さねばならないのではないだろうかと考えながら、今回の探索旅行を終えました。
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