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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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鎌倉の西側の山は縦走できるのか?(その3)

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葛原岡神社(源氏山)から大仏までのハイキングコースを、ブロンプトンを抱えながら完歩し、大仏トンネル(正式な名前は大仏隧道)のすぐ上まできました。
尾根筋からはすでにくだってきていて、これから、南方向へと尾根を登り返す階段に取りつきます。
この階段を登っているときが、この日のうちで一番きつく感じました。
冬だからよいけれど、夏だったら御免蒙ります。
のぼったうえは「長谷配水池」と札がかかり、山の上が立ち入れないように策で囲ってあります。
水道設備が山の上を占拠しているかたちになっています。
どうりで尾根上に道がないわけです。
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それで思い出しましたが、大仏トンネルの脇には横須賀水道道が走っているのでした。
横須賀水道とは、神奈川県の北西部にある中津川から、ちょうど県の地図を袈裟切りに横須賀まで横断する導水管のことです。
鎌倉市内においても、藤沢方面から大仏トンネルを抜けて名越トンネルに至るまで、この管が下を通っている道を、水道道と呼んでいます。
日露戦争後、急速に規模を拡大する横須賀軍港では艦船や施設に供給する上水が足りなくなり、明治の終わりから大正のはじめにかけて着工し、7年の歳月をかけて完成させたものです。
横須賀水道道の取水口(半原)と終点の浄水場(逸見)は距離にして53㎞あるものの、標高差が70mあるので、ポンプを使わず自然流下させていたそうです。
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「させていた」と過去形なのは、この横須賀水道道の半原系統は、水質悪化と施設老朽化により、2015年で廃止されていたのです。
知らなかった。
いまは城山ダムや宮ヶ瀬ダムなど後発のダムから複数系統の水道管が敷設されていて、横須賀市へ給水しているそうです。
横須賀といえば米海軍の巨大な基地があります。
ペリーが黒船に乗ってやってきて日本に開国を求めたとき、要望事項の中に捕鯨船への薪や水の供給がありました。
あの巨大な米空母はどれくらいの上水量を貯蔵できるのか知りませんけれど、今も昔もやっていることはあまり変わらないみたいですね。
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そして、配水池とは上水道の水を配水するために一時的に水を貯めておく池のことです。
これだけ高い場所に配水池を設けたということは、付近への給水しか考えられないのですが、所管の神奈川県企業庁のホームページを探しても、長谷配水池の用途は分かりませんでした。
もし横須賀水道道の水をポンプでくみ上げて付近に配水していたのなら、水道管自体が廃止されているため、この配水池もお役御免ということになります。
そうしたら跡地はどうなるのかな、などと考えながら、配水池に付属した公園のベンチに腰かけて休みます。
ここは稲村ケ崎や極楽寺の方から吹いてきた海風が、尾根の向こうへ抜けてゆきます。
柵で囲ってあるので配水池の西側は見えませんが、建物をたてれば富士山が見えるのではないでしょうか。
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南側をよく観察すると、稲村ケ崎小学校へと下ってゆく谷間の道を挟んで、尾根が左右二手に分かれています。
左の尾根は極楽寺切通しへと続く尾根ですが、家が建っています。
この家も人の住んでいる気配は全くないのですが、明らかに私有地なので尾根を辿るのは難しそうです。
とすると配水池のある右側の尾根しか選択肢がなくなります。
施設の脇にはベンチだけでなく木製の展望台も設けられているのですが、その先を注意深く見てみると、柵の外側の藪に僅かですが獣道のような踏み跡がついています。
そこで、ここにブロンプトンを駐輪して、この先は徒歩で探索することに相成りました。
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冬なのに藪の入口は屈まないと入れないようなトンネルですが、10mも進むと踏み跡がしっかりしてきます。
配水池の外側を回り込むように公園の向こう側へ抜けると、ちょっとした崖が現れてご丁寧にも握り手のついたロープが真ん中に垂れています。
これは明らかに杣道です。
山というのは里山であっても手を入れないと荒れる一方ですから。
ただ、相当長い間メンテナンスしていないのか、倒木や雑木が踏み跡を塞いでいる箇所もありました。
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その先もアップダウンを繰り返しながら尾根の上を進むと、やがて竹林に出ました。
ここも長い間放置されているようですが、以前は明らかに竹をとっていた場所のようです。
その証拠に、竹林の真ん中がたるんでいて、尾根の左右の下からのぼってくる踏み跡が、尾根筋の踏み跡と十字に交差しています。
 
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前にも書きましたが、鎌倉といえば昔は竹垣塀を連ねた家がたくさんあったのです。
子どもの頃、よく細い路地に三輪のオートトラックが停まっていて、植木屋さんが竹垣を修繕している姿を三輪車にまたがって眺めたものです。
今はお金を積んで竹垣をこしらえようにも、垣根を組める職人さんがいないのだそうです。
世の中全体が経済効率優先に走った結果、自然の素材を利用した垣根は消滅してアルミ塀が路地に並ぶようになり、竹取場だった周囲の山は手が入らずに荒れ果ててと、こんな世の中を豊かというのだろうかと訝しくなりました。
さて、倒れている幾本もの竹を乗り越えて踏み跡をたどると、やがてT字路に突き当たりました。
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あくまでも海近くまで続く尾根を辿るのならここを右へまがっていったん進路を北西にとり、打越トンネル(通称「カンカントンネル」=なんじゃそりゃ、と思った方は調べてください。数少ない軽自動車までなら通れる抜け道です)の上を通過し、扇湖山荘(せんこさんそう)をかすめて鎌倉山を右に見て、そこから南下して極楽寺の背後をぬけ、稲村ケ崎駅の北側に出なければなりません。
そこで、右手の踏み跡へ立ち入ってみたのですが、100mも進まないうちに踏み跡が途切れてしまいました。
その先は切り倒した木やら枝が山の斜面に打ち捨てられていて、まったく進めません。
うーん、山を手入れしようにも、伐採で出たものを処分できないということでしょうか。
仕方なく先ほどのT字まで戻って、今度は左の進路をとります。
こちらの尾根は、稲村ケ崎小学校付近へ下ることができるはずです。
ここまでくるとかなり藪漕ぎをして山道を進んでしまったため、戻るよりもいったん人家のある場所へ下りて、そこから車道を歩いて長谷配水池まで戻った方が楽だと判断したのでした。
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こちらの道を進むと、踏み跡はしっかりしてきたのですが、突然トラロープが横に渡してある場所に出くわしました。
これは「この先危険、入るな」という印なのですが、ここまで倒木を乗り越えてくるとどちらから入って危険という意味なのか分かりません。
そのままロープをくぐると、踏み跡はますますはっきりしてきて、樹木の枝などに赤いビニールテープがついています。
そうこうしているうちに、樹木の間から人家の屋根が見えだしました。
もう少しでちゃんとした道に出られる、これで山道ともおさらばだと思ったのですが…。
どこへ行ってもフェンスが張ってあり、その下はコンクリをうったかなり高い垂直な壁になっています。
どこにも下まで降りる階段がついていません。
尾根の左右へまわってみても、ずっと山の端に壁が連なっているという具合いです。
これで先ほどのトラロープの意味が分かりました。
あれは、この先転落危険という意味だったのです。
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仕方なしにT字まで戻って、もう一度、伐採され積み上げられた樹木山に道がないか確かめました。
行き止まりになっている地点は、車道から200mもない場所なのです。
しかし、大鎌かチェンソーでもないと突破できそうにありません。
両側は密度の濃い笹藪で、とても入ってゆけそうにありません。
これはブロンプトンを停めた長谷配水池まで今来た道を戻るしかないでしょう。
そう思ったとたん、周囲の木々がガサガサと音をたてはじめたような気がしました。
宮沢賢治の「注文の多い料理店」にそんな描写がありましたっけ。
『風がどうと吹ふいてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。』ってあんな感じです。
いったいぜんたい、この山はどうなっているのでしょう。
下から見上げてみたいのと、藪の反対側に入口が無いのか確かめたくなり、ブロンプトンまで戻ったら極楽寺方面へ谷を下ってみようと思うのでした。
 
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なんだか今回だけは廃道マニアの方のブログみたいになってしまいました。
私にそれだけの覚悟があれば、せめて地下足袋をはいて山仕事用の鉈でももって入るべきでしたが、その格好でブロンプトンに乗るわけにもゆきません。
しかし子どものころの見知らぬ山道の探検というのはこういうものだったと納得している自分がいるのでした。(つづく)

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