豪徳寺の続きです。
かなり広い墓地をさらに奥に進んでゆくと、直孝をはじめ有名な直弼など歴代藩主のお墓が。
ちょうど放映されている大河ドラマの主人公直虎のお墓は…ありません。
誰が直虎なのか諸説ありますし、歴史オタクでもよく知らない人を大河の主人公にしたりして、大丈夫なのでしょうか。
墓域には桜田門外の変で斃れた家臣たちの墓や、長州征討や戊辰の役で散った彦根藩兵の墓もありました。
当然のことながらひこにゃんはお墓におりません。
長州といえば、吉田松陰のお墓がここからわずか800m東の松陰神社内にあります。
あそこは毛利家の別邸だった場所です。
新暦に直して時系列に並べると下のようになります。
・1858年(安政5年)7月29日 日米修好通商条約調印(孝明帝の勅許のないままの調印が問題に。いわゆる不平等条約)
・1859年(安政6年)11月21日 小伝馬町牢屋敷にて吉田松陰斬首(享年29歳)
・同年11月23日弟子たちにより小塚原回向院に埋葬(当時刑死者の遺骸はおおっぴらに埋葬できませんでした)
・1860年(安政7年)3月24日 江戸城桜田門外にて大老井伊直弼横死(享年44歳)
・1862年(文久2年)5月 一橋慶喜と松平春嶽による安政の大獄遭難者の大赦
・1863年(文久3年)1月5日 高杉晋作、伊藤博文、赤彌武人等によって、松陰の遺骸を若林大夫山に改葬
これを見ると、松陰の刑死から桜田門外の変まで僅か4カ月しかないのです。
綻びだらけの幕藩体制を支えようと強権発動し、安政の大獄を指揮した直弼の首と、その大獄で処断された過激な革命家ともいえる松陰の首が隣り合わせに眠っているとはなんともです。
さて、三重塔の裏手にある、有名な招福猫児(まねきねご)が祀られている招猫殿へお参りし、横の奉納猫を眺めてみます。
写真でみていたので結果は分かっていましたが、並んでいるのはこのお寺で授与されている招福猫児ばかりです。
ポピュラーな大判を持っている子とか、金色の子とかはおりません。
ここは願いが成就した際に納める場所ですから。
ただ、眉毛があったりなかったり、白目があったりなかったりと、微妙に違う猫が混じっております。
しかし、よーく見ると端の方に違う猫が…。
それでもひこにゃんはおりません。
どうやらあの子はイベントの時じゃないと彦根城から出張ってこないみたいですし、ここでひこにゃんグッズを売ってしまったら彦根市に対して面目が立たないのかもしれません。
改めて本堂へお参りします。
天水桶の紋は井伊家の替紋(かえもん=略式の家紋)である井桁です。
ここのご本尊は釈迦如来だから「南無釈迦牟尼如来」かな。
そして、最後に立ち寄ったのが寺務所でした。
入口に招き猫のボードがでんと鎮座しています。
なるほど、このお寺は招き猫ファンの聖地みたいなのでしょうか。
中に入ると、あれ、井伊の赤備えのファンらしき外国人の方がお見えになっている。
なんと、こんなところにまでインバウンドかと思いきや、どうも日本に住んでいる方のようでした。
どうれ、一番小さな招福猫児はおいくらかなと思って覗いていると、右側のガラス棚の中に、いた、ひこにゃん。
売り物ではないのでしょうが、ちゃんとボードと人形とが飾ってありました。
そして反対側の棚には出世法師直虎ちゃん。
うーん、流石というか、あっぱれというか。
でも、こうしてキャラクターを前面に出して親しみやすいお寺にするのは悪くないかもしれません。
井伊直孝公が猫に招かれて仏法を聴いたのも、仏縁のひとつなのでしょう。
帰りがけのこと、山門のそばに「探し猫」が張り出されているのに気づきました。
なるほど。
ここに貼れば猫好きの人が見るでしょうから。
私は犬よりは猫が好きなので、今日は猫づくしとばかりに帰りがけに桜新町の猫カフェでも寄って帰ろうかと思っていたのですが、既にお腹いっぱいでまっすぐ用賀、二子玉を経由して1時間くらいブロンプトンを走らせて帰宅したのでした。(おわり)