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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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世田谷の豪徳寺にブロンプトンを連れて(その1)

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前に彦根城でひこにゃんを見かけた際、招き猫伝説のお話を紹介しました。
そして帰ってきてから「豪徳寺にあやつはいるのだろうか?」という疑問がふと浮かんだのです。
豪徳寺は井伊家の菩提寺。
そもそもひこにゃんは「豪徳寺の招き猫伝説」がモティーフになっています。
新宿で仕事をしていたら気になって仕方がなくなってきたので、仕事帰りにブロンプトンでLet’s豪徳寺してきました。
すいませんね、昔そういう少女漫画があったのです。
読んでいないのですが、たしか登場人物の名前が小田急線や箱根登山鉄道の駅名ばっかりで、作者は小田急の回し者かと当時は思ったものです。
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(小田急線に沿うと、南新宿、代々木上原、下北沢に谷があって上り下りがはげしくなります)
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(こちらは京王線経由。ほぼフラットです) 

さて、新宿から豪徳寺へ行くなら小田急線ですが、小田急の線路沿いにブロンプトンを走らせるとアップダウンがあります。
地形を知らなくても沿線の車窓を注意してみていればわかります。
ここは武蔵野台地の背骨、玉川上水、すなわち京王線に沿って西へ向かい、笹塚付近からやや南西に進路をとり、井の頭線の東松原から豪徳寺に向って下るのがベストだと考えました。
事実、新宿から京王線の下高井戸、小田急線の豪徳寺まではほぼ両線が並行しており、笹塚から梅が丘・豪徳寺間には、羽根木や東松原を抜けてゆく昔道があるのです。
ルートラボで作図しても、小田急線沿いにたどるとアップダウンが結構あり、8.8㎞もかかるのに対して、京王線経由ならほぼフラットにて7.5㎞で済みます。
この距離ならゆっくり走っても30分でしょう。
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(羽根木の子育て地蔵)
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(東松原の駅横で井の頭線を渡ります)

カリーや肉まんで有名な中村屋の旧東京工場前を過ぎ、井の頭通り、環七を斜めに横切り、東松原の商店街を抜けて豪徳寺商店街へ坂道をくだってゆきます。
すると急に懐かしさがこみあげてきました。
おお、ここは高校生の頃に読んだ、遠藤周作先生の「灯のうるむ頃」という小説の舞台だった場所ではないですか。
当時は小田急線で通学していましたが、遠距離通学と学校が忙しいのとで豪徳寺に立ち寄る暇がありませんでした。
でも、作者も住んでいた街の情景は小説の中に描写されていましたから、よく覚えています。
大学病院の教授VSささやかな研究施設をもつ町医者の癌研究を縦糸に、その冴えない町医者の浪人中である息子(なぜか周作先生の息子さんと同じ名前)の受験と友情そして恋愛を横糸にした軽小説です。
たしか端役で「私が・棄てた・女」の森田ミツも出てきたっけ。
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(豪徳寺駅近くにておもちゃやさんも最近は見かけなくなりました)
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(このくねくね具合がブロンプトン乗りにとっては「萌え」なのです)

周作先生の気軽に読める小説には、前にご紹介した「彼の生き方」同様に無力のイエスがよく出てくるのですが、この物語の主人公もまた然りです。
でも、なぜか読んだのちに後ろ髪を引かれる気持ちになるのです。
私の場合は、あの妙な感覚でカトリックに引き寄せられてしまいました。
(周作先生のことだから「また馬鹿が一人ひっかかりよった」とほくそ笑むのでしょうが、それでいいと思っています)
しかし、こうして午後の商店街をブロンプトンで走ると、あの不器用で朴訥とした牛田親子が夕暮れ時に横丁の銭湯から出てきそうな雰囲気です。
それくらい、昭和の面影を残しています。
(癌発生のメカニズムがまだ解明されていない頃の小説ですし、「青くさい」という評価もあるかもしれませんが、私はこの小説を10代の頃に読んでおいてよかったと思っています)
でも、もう新刊は売っていないのですね。
惜しいな。
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(松の木の手入れと掃除が大変だろうなとつい思ってしまうのでした)
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さて、北側にある小田急線の駅の方からゆくと、迂回する形で到着する曹洞宗豪徳寺の参道と山門は立派です。
周作先生の小説にも書いてありましたが、ここは世田谷城址の城郭部跡にあたります。
1590年、秀吉の小田原攻めの結果、廃城になったのち、小さな庵があったそうです。
その庵に白猫の手招きで雨宿りに訪れたのが、第2代彦根藩主の井伊直孝。
以来、井伊家の菩提寺として隆盛したといいます。
山門を入ったら左手に三重塔が見えました。
すごい、この付近でこんな立派な堂塔のある寺院を私は知りません。
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(モミジが多いので秋に来るときれいかもしれません)

先に墓域を見学しようとさらに左奥へ進みます。
墓地の入口にレリーフのような銅版がはめ込まれた無名烈士慰霊記念碑があり、つきの銘文が読めます。
「いくさの旅に さまよい果てる はらからよ ここにかえりてやすらいたまえ 日本大学教授 山田孝雄」
たしか戦前からの国学者の先生ですね。
日大が近いからかな。
「はらからよ」は「同胞よ」という意味でしょう。
裏の碑文には、「深く憂いと苦しみの中にたおれた不幸な同胞の御魂の冥福と、祖国が再び過ちを犯さないことを祈って」とありました。
「戦士」ではなく「烈士」だと、国に殉じた人という意味になります。
歴史の振り返り方って難しいですね。
あ、私は猫探しに来たのでした(つづく)
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