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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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雪道の基本

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昨日は東京では久々の大雪(といっても雪国なら「大」はつかないレベル)になりましたね。
もっとも、先週からニュースなどで予告されていたものの、また大袈裟に騒ぎ立てるメディアの降る降る詐欺かと思っていました。
あの人たちは、結果的に降ろうが降るまいが大声出して耳目を集めるのが目的ですから。
「四年前の大雪のような…」っていつのことかと思ったら、しっかりとブログに書いていました。
昔は東京で雪が降るたびにスキーに行きたくなってオフコースの「さよなら」とかチューリップの「なごり雪」(どちらも古いな)を口ずさむなどの禁断症状が出たものですが、最近は「早く家に帰って風呂入って寝よ」ですから加齢って残酷です(笑)
 
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(花園神社)

自分は雪国育ちではありませんが、小学生の頃は横浜でも毎年積もる程度の雪なら降っていた記憶がありますし、その頃からスキーをやっていたため、雪道にはわりと馴れているつもりです。
雪道の基本は車を運転しようが、自転車に乗ろうが、歩こうがみな同じです。
車では急発進、急ハンドル、急ブレーキなど「急」のつく操作はしないなんていいます。
自転車やオートバイなど二輪はそれに体軸を傾けないことが加わります。
つまり真上から垂直に路面へ重さを伝えるのです。
なお、歩くときは重心を低くして、その位置を動かさないようにして進みます。
一番近いのがすり足と言われています。
そのうえで、四輪駆動の機構とか、スタッドレスタイヤとか、チェーン、靴底の滑り止めなどがあるのです。
 
道具はあくまで補助で、基本の走り方、歩き方の方が重要なのはいうまでもありません。
私も「滑り止めしてあるから」と過信して調子に乗り、何度も怖い目に遭いました。
ところで昨日は夕方にやむを得ずブロンプトンで走る場面がありまして、歩行者を観察していて少し驚きました。
傘をさしている人が多いのです。
雪道に慣れていないと、傘をさしているだけで体軸のバランスが傾き、転ぶ人がいます。
どうしても傘をさしたいのなら、雪国の人がやっているみたいに肩に背負う感じの方がまだマシです。
しかし、ただでさえ積雪が音を吸収して車の接近に気付くのが遅れる雪道で、今度は後方の音に対して感覚が鈍くなります。
同様の理由で、フードを頭からすっぽりとかぶって雪道を歩くのも、あまりお勧めできません。
 
イメージ 3

さらに、雪道をなめているのか、単なる怖いものを知らずなのか、スマホを見たり操作したりしながら歩いている人がおりました。
スキーだろうがスケートだろうが、滑ることが前提のスポーツをやっている人には常識ですが、手元の一点を見つめてしまうと平衡感覚が失われ、バランスを不意に崩しやすくなるのです。
手をつくのが遅れるため、頭を打つ危険性も増します。
よくスキー学校で「足元見ないでまっすぐ前を見て」と注意したものです。
ヘルメットも被らずに傘をさしてスマホを凝視しながら下を向いて雪道をあるくなんて、仮にそれで転倒しても両手が塞がっているから結果は見えています。
前回も触れましたが、歩くなら歩く、走るなら走る、スマホを操作するなら操作すると、一点のことに集中できずにながら動作をして、無意識に自分を危険に晒してしまうのなら、雪道対策よりもその習慣を疑う方が先だと思います。
イメージ 2

 
なお、昨日は窓の外に降る雪を眺めていると、滑っている方ではなく、スキー宿を思い出しました。
若い時に夜の雪山で窓から降る雪をみていると、目の錯覚で自分の体が建物ごと上昇しているような感覚にとらわれたものです。
このまま天に昇ったら神さまと会えるだろうか?
面と向かってさしで話せるだろうか?
稚気じみているけれど、今は神さまとの間合いをはかってみる毎日ですから、当時からわりと宗教的なことを想っていたのだと感じます。
そういえば、昔の讃美歌にこんなフレーズがありましたっけ。
「イエスよ、心に宿りて われを宮となし給え
汚れに染みしこの身を 雪より白くし給え
わが罪を洗いて 雪より白くし給え」
あの時はこの歌の意味が分かりませんでしたが、今は作者の気持ちはよくわかります。
でも、分からないままの自分よりもわかる自分の方が幸せだとも思います。

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