わたしはよく、天気のよい週末を選んで朝早くの京急に乗って三崎口に行きます。
粗煮汁などをいただいて体を温めた後に、そこから逗子までブロンプトンを走らせます。
がんばって走り続ければ1時間ちょっとで着きますが、風光明媚な三浦半島西岸の国道134号線をゆくため、海を見ながら休憩することもしばしばです。
このときは、秋に佐島の帰りに立ち寄った長者ヶ崎からの富士山と江の島の眺めです。
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(長者ヶ崎から江の島方面を望む)Clik here to view.
長者ヶ崎は、横須賀市と葉山町の境にあたるため、三崎口方面からここまで走ってくると、もうすぐゴールの逗子だなと、ホッとする場所でもあります。
また、この景色ですから夏は駐車場に出入りする車で渋滞するスポットでもあります。
ひどいときは、逗葉新道への入口である長柄の交差点からここまで、3.5㎞以上も車がつながっていることもあります。
しかし、ブロンプトンなら全く関係なく新逗子駅までスイスイと走り、新逗子駅からはクーラーの効いた車内でぐっすり寝て帰れます。
秋の三浦は夏の喧騒が嘘のように引いて、空気も澄んでくるために、一年でいちばん美しい海だと思います。
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(長者ヶ崎から三浦方面を望む)Clik here to view.
長者ヶ崎の名前は、1177年、伊豆に流されていた源頼朝がこの地を訪れ、ここの土豪三浦(芦名)為清三郎から、一帯に植林して財を成した長者の物語を聴かされたところからきています。
三浦為清のお兄さんは三浦義明(1092-1180)
桓武平氏系の三浦一族ですが、保元・平治の乱で源義朝(頼朝のお父さん)に従い、敗れたのちは三浦半島の自領に潜伏していました。
やがて頼朝の旗揚げをきくと、これに呼応し合流しようと挙兵するものの、石橋山の戦い(1180)で源氏が敗戦するや、衣笠城(現在の衣笠インター付近の山城)に籠城しました。
平治の乱で義朝が敗死したのを機に平家方についた畠山重忠の軍勢に攻め立てられ(衣笠合戦)、一族郎党を房総半島へ逃したのちに、壮絶な討ち死にを遂げたといわれています。
享年89歳。
三浦一族のゴッドファーザーのような存在だったといいます。
辞世の句は「朝日さし 夕日かがやく西山の 稲荷の森は黄金なるなり」
為清にしても、まさかここで頼朝を案内した三年後にご当人が挙兵した挙句に敗れて、そのあおりで一族の当主であるお兄さんが頼朝に殉死するなど想像もできなかったと思うのです。
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また、三浦為義の孫である石田(伊勢原市の石田郷-愛甲石田駅の西側-を領していたことからこの姓を名乗っています)為久は、治承・承久の乱(1180-1185)において、木曽義仲を討ち取る戦功をあげ、その褒美として近江国石田郷を賜ります。
(石田為久が領有したから石田郷になったのかどうかは不明)
こののち、近江の石田郷の土豪から石田三成が出て、彼は三浦一族の末裔を名乗ったそうです。
その三成が頼朝の大ファンの徳川家康と関ケ原で戦って敗れるわけですから、歴史とは皮肉なものです。
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なお、家康の出た松平氏は、三河の土豪と上野国新田荘得川(えがわ)郷から流れてきた時宗の坊さんが結びついて起こるわけですが、こちらもその坊さんを清和源氏の支流である新田氏の末裔であるとこじつけて、源氏の血筋を名乗っていました。
戦国時代、源氏の血筋というブランドは武士にとってハッタリでも構わないから、名乗るべき必須アイテムだったのかもしれません。
証拠はないけれど、三浦為清と小田急線の愛甲石田駅と石田三成がつながるって、面白いと思います。
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(真名瀬漁港付近から江の島方面を望む)Clik here to view.
なお、前述の三浦義明の辞世の句は、「朝日さし 夕日かがやく木の元に~」ではじまる長者の財宝伝説の歌がもとになっています。
長者ヶ崎や葉山の海岸からは、江の島の向こうに石橋山の背後にある箱根の山々や、相模国石田郷を抱える丹沢の山々も見えています。
義明にとっては、西山の稲荷である源氏に最後まで従うことが、黄金だったのかもしれません。
あれ、植林で財を成した長者って誰だったのでしょう?
ガイドの三浦為清さん、教えて(笑)
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(写真左が戸神社の鳥居、その右が裕次郎灯台でございます)Clik here to view.