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TY18白楽駅からTY19東白楽駅へ

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(東白楽への近道は左折です)

白楽駅で西から南へ左方向にカーブを切った東横線は、斜面を斜めに駆け下りるかっこうで谷間へと坂をくだります。
この広くて開けた谷は、滝の川の谷です。
谷間の方から見あげると、脇の志谷からひょっこりと東横線が顔を出して下ってくるという塩梅です。
自転車で東白楽へ向かうのなら、白楽駅ホーム横浜よりのすぐ先にある踏切をわたり、そのまま道なりにすすむのがいちばん簡単です。
東横線よりやや上を、やはり斜面を横切るような形でくだる道です。
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(吉祥寺付近)
 
踏切をわたり、140mほどすすむと、左側に赤い幟が何本か立ったお寺を認めます。
これが海浦山吉祥寺(きっしょうじ)という真言宗のお寺です。
開基は江戸前期の1616年で、現在の京急仲木戸駅のすぐ脇にある金蔵院というお寺の隠居寺として神奈川宿の中にあったそうです。
それが明治元年に神奈川宿の大火で罹災し、この場所に移ってきたということです。
しかしこのお寺、正面の階段は門にかぎがかかり、側面の階段をのぼっても境内への入り口が見当たりません。
情報によると、住職はおらず近所の人が管理していて、一般の人は中に入れないそうです。
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(複雑な滝の川の谷)
 
そのまま東へ道なりに進むと、すぐに東白楽駅についてしまうので、ここはお寺のすぐ先にある点滅信号を右折して坂をくだり、東横線のガードをくぐって六角橋交差点へ行ってみましょう。
谷を流れる滝の川は河口近くで神奈川宿の中心を流れています。
この神奈川宿を分ける川は、水量が少なく、上流の谷間も複雑なのでどこが水源かわからず、上無川(かみなしがわ)と呼ばれていて、この名前から「み」と「し」が脱落して「かながわ」になったというのが、神奈川の地名の由来の一説です。
そういわれて地形図をみると、滝の川は長さが短い割には上流部の谷がいくつもわかれており、またそのうちのいくつかは、分水嶺(向こう側の川との境界=峠)がはっきりしません。
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(六角橋交差点)
 
ということで、六角橋から神奈川県道12号線、通称横浜上麻生線の旧道を上流方向へたどってみましょう。
六角橋から600mほどはけのみちをたどると、交通安全センター入口交差点で県道を渡ります。
信号の名の通り、このさき旧道左手の丘の上にあるのが、交通安全センター、いわゆる交通違反をした人が講習を受ける場所です。
わたしはオートバイに乗っていたし、スピード違反で切符を切られたことは何度もありましたから、複数回来た記憶があります。
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(岸根公園の入口)
もちろん、違反しないにこしたことはありませんが、車や二輪車を運転する限り、完全に守り切ることや、絶対に捕まらないことは大変難しいと感じていました。
そんな私がいまや万年ゴールド免許なのも、ブロンプトンのおかげです。
自転車をたたんで電車に乗っている限り、交通違反とは無縁ですし、読書するのも居眠りするのも自由ですから、こんなに心穏やかなことはありません。
車の運転は嫌いじゃないですけれど、かつて不貞腐れて行った施設を眺めながら、自転車にシフトして幸せだと思うのでした。
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さらに旧道を上流方向へ向かうと、県道と水道道が交差する西岸根交差点に出ます。
水道道を渡った向こう側が、岸根公園です。
妙蓮寺と白楽駅の間でご紹介した白幡池のうえにある緑地が篠原園地で、こちらは篠原池のうえに広がる公園が岸根公園。
ちょっとややこしいです。
岸根公園は戦争中に高射砲陣地があった関係からか、戦後は米軍に接収され、朝鮮戦争当時は兵舎、ベトナム戦争の頃は巨大な軍病院として使われていたそうです。
1960年代半ばは、ホルマリンの匂いが強烈だったこと、横浜港沖の病院船からひっきりなしにヘリコプターで戦傷者が輸送されたことから、篠原池には死体が浮いていたという都市伝説まで生まれるほどでした。
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神奈川県は横須賀や厚木も含めて戦後に沖縄に次いで広範囲に土地を米軍に接収された県で、なかでも横浜の街は大半が日本人の立ち入れない場所でした。
以前、米軍のジェット戦闘機が墜落したお話をこのブログに書きましたが、ここ岸根公園の施設も日本政府がお金を出して施設を作ったうえに、近所でヘリコプターの墜落事故もあったそうですから、当時の住民も複雑な思いでいたとおもいます。
横浜港の裏手にあたる岸根公園も、接収が解除されたのは1972年です。
漢字をさかさまにした根岸米軍住宅(ユーミンの歌で有名なドルフィンのすぐ近くにあります)は、返還が決まって全住民が退去したのが2015年です。
基地の問題は、沖縄という遠い場所だけではなく、もっと身近な場所にもあるわけです。
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さて、岸根公園に入ってみましょう。
自転車は基本的に乗り入れ禁止ではありません。
県道に近い基部に篠原池と神奈川県立武道館があり、そこから上へ行くと台地の上は広場になっており、代々木公園のような周回道路があります。
休みの日ともなると、大勢の人がランニングしています。
ここは戦前には幻と終った東京オリンピックの会場予定地であったともいわれています。
それが度重なる戦争のために数奇な運命をたどっていまは公園になり、市民の憩いの場になっていることに不思議な感覚をおぼえます。
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岸根公園の上部から、台地を向こう側へ降りてみましょう。
この付近は神大寺(かんだいじ)という地名ですが、その名前のお寺は、いまはありません。
ここから北西の小机の方へ移ってしまったといわれています。
台地の上は市街化調整区域として、かなり畑が残っています。
昭和30年代までこの地は大根の名産地でした。
丘に畑が続いている風景は、昔の様子を今に残しています。
あと23年もすると、ここから西へ2㎞の地点に東京まで直通する駅ができます。
この景色も、いつまで残っていることやら。
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丘の下には、横浜から小机、府中へとぬける脇往還の旧道が残っています。
坂の途中にあるのが、塩嘗地蔵です。
これは、道行く旅人が道中の安全を祈願して塩を供えたところ、塩が減っているので地蔵が嘗めたのではないかとこの名前がついたそうです。
地蔵自体は形を残すのみになっておりますが、前に固着した塩の山と、食塩を入れた袋がたくさん積んであります。
そのまま道をくだると、左側にあるのが浄土宗の宝秀寺です。
ここが前回お話に出てきた、日本武尊が六角の箸を使って食事をしたといういわれのある、土地の豪族が館を構えていた場所になります。
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さらに進むとバス通りに出ますが、これを渡って谷の反対側の斜面をのぼってゆくとあるのが神奈川大学です。
箱根駅伝でお馴染みになった今はそうでもありませんが、昔は国立大学と勘違いする人もいたとか。
横浜には横浜国立大学がありますからね、
創立は戦後まもなくで、社会科学系、とくに法学や商学の実務に強いイメージがあります。
図書館も学食も一般に開放しているし、私がたまーに読む宮本常一先生が主催していた日本常民文化研究所も校内にあって、展示室があります。
ブロンプトンで立ち寄ったなら、あらためてレポートしたいと思います。
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もどって坂をくだり、バス通りに出たら谷間を下方向へ右折すれば、すぐに六角橋交差点へ戻ります。
次回は東白楽駅周辺をご案内します。
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