アメリカの大学生にブロンプトンに乗ってもらい、旧東海道の品川~大森と横浜を走ってきました。
旧東海道ってどう説明すればよいのでしょう。
In 1603, Tokugawa Ieyasu established Tokugawa Shogunate in Edo , so also called "Edo Bakufu".
He developed main five route in the next year.
Among these, Tokaido is most important route because it connecting from Edo that was Samurai's government to Kyoto was Imperial Palace.
とまぁ、中学生で覚える単語を並べ立てるとこんな感じでしょうか。
(問答河岸の説明=海近くしていかで東海寺/大軍を率いて将軍というが如=したのですが、通訳不能といわれてしまいました)
でも、なぜ五街道を整備したのかといえば、参勤交代制度を説明しなければならなくなるし、だからといって江戸幕府が中央集権政治をしていたわけではないというお話も同時にしないといけなくなります。
Shogunate(幕府)は朝廷が家康を征夷大将軍に任じたことで開かれるわけですが、将軍はあくまでもGeneralであって、KingでもなければEmperorではないという点が昔から微妙です。
(あきおかさんの品川巻。ぜひお試しあれ)
わたしは政治向きの話は苦手です。
幕府は大名のうちの最大のもので、実質はともかく名目上は朝廷から委任されて政権を担っているわけで、その建前が最後まで理解できなかったフランスと、早々に見抜いていたイギリスとでは、明治維新における役割がさかさまになってしまったのはご承知の通りです。
相手が真面目な大学生だけに、迂闊なことは言えません。
あとで鈴ヶ森を説明している際、日本の死刑は腹切り切腹ですか?と質問を受け、それはお武家の作法で、町人や農民は磔刑や打ち首でしたよと言ったら、皆狐につままれたような顔をしていました。
きっと時代劇をYoutubeで見すぎたのではないでしょうか。
(伊藤博文、井上馨が焼玉を懐に出撃した遊郭の土蔵相模跡)
品川宿では、遊郭街のことをprostitute area と訳したのですが、芸妓と遊女の違い、さらには花魁という特別な身分について、「唄や踊りの方がメイン」、「気に入らなければ客を袖にできる」などと説明しましたが通じたか疑問です。
ああ、その時代の文化風俗についてもっと真面目に本を読んでおくべきでした。
そして初代総理大臣が英国公使館を焼き討ちにしようと土蔵相模から出て行った話や、生麦事件のあらましを話したら、「今の親切な日本人とは違って、その頃の人たちはおっかなかったんだね」という感想でした。
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いやいや、その時代は貨幣の交換比率がいびつだったために、とくに良質な銀がどんどん海外に流出していたり、外国人が持ち込んだコレラが流行ったりと、単に民族的な排外思想でテロを行っていたわけではなく、社会防衛的な側面があったのですと言いたかったのですが、そこまでボキャブラリーが足りませんでした。
しかし、温故知新とはよく言ったもので、ひょっとしたら現在起きている文化的な摩擦による戦争やテロも、思想上や宗教上の理由だけではなく経済的、衛生的、社会変革的な要素が大きいのかもしれません。
難民を受け入れたために病気が流行るのなら、そして予防策が無いということになれば、いくら人道的な援助を叫んだところでみなわが身がかわいいでしょうから。
(立会川の泪橋=現・浜川橋。千住にあるあしたのジョーでお馴染みの泪橋と同じ趣旨のお名前です)
損得勘定抜きで「四海兄弟=しかいけいてい」(論語の言葉ですよ)を実現できる人って、そうそういないと思います。
日本に短期留学をして、日本人は親切だという彼らを眺めて、そんなことを考えながら、今この日は彼らに精いっぱい楽しんでもらおうと思うのでした。
旧東海道ってどう説明すればよいのでしょう。
In 1603, Tokugawa Ieyasu established Tokugawa Shogunate in Edo , so also called "Edo Bakufu".
He developed main five route in the next year.
Among these, Tokaido is most important route because it connecting from Edo that was Samurai's government to Kyoto was Imperial Palace.
とまぁ、中学生で覚える単語を並べ立てるとこんな感じでしょうか。
でも、なぜ五街道を整備したのかといえば、参勤交代制度を説明しなければならなくなるし、だからといって江戸幕府が中央集権政治をしていたわけではないというお話も同時にしないといけなくなります。
Shogunate(幕府)は朝廷が家康を征夷大将軍に任じたことで開かれるわけですが、将軍はあくまでもGeneralであって、KingでもなければEmperorではないという点が昔から微妙です。
わたしは政治向きの話は苦手です。
幕府は大名のうちの最大のもので、実質はともかく名目上は朝廷から委任されて政権を担っているわけで、その建前が最後まで理解できなかったフランスと、早々に見抜いていたイギリスとでは、明治維新における役割がさかさまになってしまったのはご承知の通りです。
相手が真面目な大学生だけに、迂闊なことは言えません。
あとで鈴ヶ森を説明している際、日本の死刑は腹切り切腹ですか?と質問を受け、それはお武家の作法で、町人や農民は磔刑や打ち首でしたよと言ったら、皆狐につままれたような顔をしていました。
きっと時代劇をYoutubeで見すぎたのではないでしょうか。
品川宿では、遊郭街のことをprostitute area と訳したのですが、芸妓と遊女の違い、さらには花魁という特別な身分について、「唄や踊りの方がメイン」、「気に入らなければ客を袖にできる」などと説明しましたが通じたか疑問です。
ああ、その時代の文化風俗についてもっと真面目に本を読んでおくべきでした。
そして初代総理大臣が英国公使館を焼き討ちにしようと土蔵相模から出て行った話や、生麦事件のあらましを話したら、「今の親切な日本人とは違って、その頃の人たちはおっかなかったんだね」という感想でした。
いやいや、その時代は貨幣の交換比率がいびつだったために、とくに良質な銀がどんどん海外に流出していたり、外国人が持ち込んだコレラが流行ったりと、単に民族的な排外思想でテロを行っていたわけではなく、社会防衛的な側面があったのですと言いたかったのですが、そこまでボキャブラリーが足りませんでした。
しかし、温故知新とはよく言ったもので、ひょっとしたら現在起きている文化的な摩擦による戦争やテロも、思想上や宗教上の理由だけではなく経済的、衛生的、社会変革的な要素が大きいのかもしれません。
難民を受け入れたために病気が流行るのなら、そして予防策が無いということになれば、いくら人道的な援助を叫んだところでみなわが身がかわいいでしょうから。
損得勘定抜きで「四海兄弟=しかいけいてい」(論語の言葉ですよ)を実現できる人って、そうそういないと思います。
日本に短期留学をして、日本人は親切だという彼らを眺めて、そんなことを考えながら、今この日は彼らに精いっぱい楽しんでもらおうと思うのでした。