わたしは時々、仕事帰りにブロンプトンで古本屋さんを巡ります。
ちょっと方角が違うけれども、中央線、京王線、小田急線沿いに走って、チェーン店ではない古本屋さんを見つけては、店先にブロンプトンをとめて中に入り、書架に見入ります。
古書店って何だかおじいさんの書斎に入ったようで、妙に落ち着くのです。
それにこうした沿線の古本屋さんって、大学の先生だった人たちが住んでいたりするので、思わぬ掘り出しものの本に出合うこともあります。
あの人たちは、研究費で高価な本が買えたりした時代もありましたからね。
帰りは自宅まで走ってしまうこともあるし、自分の家に帰りやすい沿線の駅まで走ってそこから電車に乗ってしまうもよし、自由です。
先日はとある本屋さんの店先で、阿川弘之先生の「井上成美」を見つけてしまいしました。
うわぁ、これは海軍三部作の中でいちばん気に入っている小説です。
とくに、敗色濃くなる太平洋戦争後期、海軍兵学校の校長を任された主人公が、年限短縮問題に断固として反対し、英語教育を守り抜く場面は感動的です。
当時前線では下士官クラスの将校がどんどん戦死して、現場指揮官が不足しておりました。
この国家危急のときに、兵学校も課程を短縮して繰り上げ卒業させ、士官不足を補うべきだと井上校長のもとに軍令部や海軍省軍務局から圧力がかかります。
最後は海軍内の宮様まで担ぎ出して説得しようとする上層部に対し、にべもなくお断わりして、「中央でどんなに米が入用か知りませんが、青田を刈ったって米は取れません」と最後まで首を縦に振らなかったそうです。
また、当時英語は「敵性語」として中学校では授業数を減らし、或いは廃止する学校が増えていました。
今から思えばバカバカしいのですが、鬼畜米英という掛け声のもと、学生や生徒も教練に、勤労動員にいそしむ時代ですから無理もありません。
一般国民も英語は喋る事はもちろん、辞書を持つことすら憚られる状況だったそうです。
その流れの中で、陸軍では士官学校において英語を入試科目から外しました。
このまま英語を入試科目として残しておけば、志願者が陸軍に流れてしまうのではないか、海軍でも英語入試を廃止すべきではないかという議論が海軍兵学校でも持ち上がったそうです。
井上校長は「英語の嫌いな秀才は陸軍に行けばいい、およそ自国語しか話せない海軍士官など、世界中のどこへ行っても通用しない」として、英語入試も教育もそのまま残しました。
しかし、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式で英語教育に反感を覚えていた多くの教員が、井上校長のことを独断専行する横暴な校長だと謗っていました。
のちに上司で先輩でもある鈴木貫太郎大将が兵学校を訪れ、「教育の成果が現れるのは20年さきだよ、井上君」と声を掛けたとき、井上校長は黙って大きく頷いていたそうです。
鈴木貫太郎さんといえば、のちにポツダム宣言受け入れの際に首相をつとめている人物です。
このとき2人は既に日本の敗戦を予測しており、そうなれば英語を身につけていないと今の生徒たちが自活してゆけないということを見越して、英語教育に取り組んでいたのだろうといわれています。
前にこんな話をききました。
「浪馬君、戦後日本の成長の土台をになったのは何だかわかるかい。
それはね、軍隊の置き土産、とくに海軍のそれだよ。
三菱、松下、東芝、富士重、川崎、ソニーと、戦後エレクトロニクスの発展を築いた企業は、みな何らかの形で海軍のもとで技術を吸収し、あるいは発展させて、それが戦後日本における経済成長の礎石となったんだ。
もちろん、軍隊には負の側面も多かったけれど、だからといって頭から何でもかんでも否定するのはおかしいんだよ。」
私はどちらかといえば、理数系のエリートをたくさん擁していて、当時の日本の中ではいちばん合理的な組織だと思っていた海軍が、たとえ博打にしろ、仕方なくにしろ、なぜあのようなおよそ勝算のない戦争に突っ込んでいったのかに興味があったのですが、組織の原理や力学は別として、個人の良識を保っていた人もたくさんいたんだろうなと思いなおしました。
そのモチーフは、阿川先生の三部作すべてに通底していると思います。
井上成美のような人は、筋を通す点では格好いいけれど、その当時の言葉でいえば「アカ」、今のネットスラングの「サヨク」ですからね。
時代に流されず、慧眼を持ち続けるのは並大抵のことではないと思います。
(今の「サなんとか」の人たちに慧眼があるとか、そういう話ではありません)
(今の「サなんとか」の人たちに慧眼があるとか、そういう話ではありません)
家には文庫本しかないけれど、ハードカバーも欲しいなぁ、でも持って帰るには重いなと躊躇して値札をみると、100円…。
しかもスピンの様子から一度も開かれず、奥付は初版本です。
若干シミがあるけれど、2,000円の本が20分の1ってどう考えてもお買い得です。
えっ、何で?と店主らしき人に訊いたところ、「結局余って売れないからですよ」とのお答えでした。
なるほど、需給バランスがもろに反映しているといったところですか。
ということは、わたしのような本好きにとっては、活字離れで本が売れず、高齢者の方々が次々と希少な本を手放している今こそ、古本屋さんは宝の山ということになります。
それにしても、こんな名作が100円とはなんともはや。
購入して店をあとにするとき、亡き阿川先生から、「浪馬君、世の中とはそういふものだ」とポンと肩をたたかれたような気がいたしました。