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旧東海道へブロンプトンをつれて 40.鳴海宿から41.宮宿へ(その1)

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(鳴海宿の京側のはずれにある常夜灯)

鳴海宿のはずれ、三皿交差点から宮の渡しの渡船場、宮宿を目指します。

これから伊勢湾を迂回するように時計と反対まわりにまわって、桑名に出て、四日市、亀山方面へと旧東海道は南下してゆくわけです。

江戸をたってすでに260㎞、伊勢湾は相模湾、駿河湾にくらべてぐっと内陸に入り込んでいる湾で、濃尾平野という日本で五本の指に入る平野と、木曾三川という大河川が流れ込んでいます。

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(三王山交差点。ずいぶんマンションが建っています)

生まれも育ちも関東の自分にとって、この地形概略をどう把握したらよいでしょう。

これは、海外旅行に出たときの都市の成り立ちや地形を把握する際にも使えるのですが、条件が似ている部分を探して、自分が住んでいる地域に置き換えてみるとわかりやすくなるのです。

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(天白橋)

 

たとえば、伊勢湾を東京湾に見立てれば、名駅(名古屋駅)から栄にかけての位置は鎌ヶ谷や松戸あたりになるのです。

では関東でいう東京駅や皇居の位置は、こちらではどのあたりになるでしょう。

それは、桑名あたりになるのではないでしょうか。

隅田川の位置に長良川や揖斐川があって、墨田川とは比べ物にならない大きな川であるのに対し、東京でいう大河川の荒川や江戸川のあたりが庄内川のポジションになります。

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(少し天白川の土手の上を走ってみました。こうして地方の川を観察するのも面白いものです)

こう考えると、名古屋駅や栄を中心としたこの地域の商業の中心は、関東圏に比べて重心がずいぶんと北東に寄っているのだとわかります。

そして、街は東西にというよりは南北に広がっています。

これは関東平野が海方向を除いて比較的全方向に広がっているのに対し、濃尾平野は東の尾張丘陵、西の養老山地に挟まれて北に向って広がっていることと無関係ではないと思われます。

加えて、いにしえから幾度も氾濫を繰り返して流路を変えてきた木曽川、長良川、揖斐川の存在が大きいと思われます。

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(笠寺一里塚)

いま鳴海宿から宮宿に向ってブロンプトンで進んでいるということは、関東に置き換えれば千葉県の市川付近から松戸に向って北西へ移動していると考えればわかりやすいでしょう。

冬場になると、濃尾平野において北西の方角の先にあるのは、「吹き出し口」と呼ばれる関ケ原です。

若狭湾や敦賀方向から流れ込む日本海上空の偏西風は、琵琶湖からそこだけ山が無い関ヶ原を経由して濃尾平野に吹き込むのです。

だから冬の寒い時期にこの区間を京へ向うともろ向かい風になります。

そして、関東平野のように晴天に山越しの乾燥した風が吹くのではなく、どんよりとした雪雲混じりの風が文字通り次から次へと噴き出してくるという感じです。

こうした空の様子は冬型の気圧配置の日に下りの東海道新幹線に乗って、名古屋から先の車窓から観察しているとよくわかります。

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(一里塚を過ぎると笠寺観音の多宝塔(二重の塔)の屋根が正面に見えてきます)
 

さて、三皿交差点(35.083309, 136.949166)から旧東海道は右手に連なる丘をみながらはけの道のような崖線下沿いの道を北へ向かいます。

440mほど先の右丘の上が、前回のお話ででてきた鳴海城をけん制するための拠点のひとつ、丹下砦です。

さらに450m進むと、三王山交差点(35.091140, 136.949515)で上下4車線の広い道、愛知県道59号線を渡ります。

交差点手前の右手の丘上には、千句塚公園(35.091298, 136.950872)があります。

ここには芭蕉が生前に自筆をもって建立した碑のうち、現在も残っている唯一のものといわれる句碑が残っています。

 

星崎の闇を見よとや啼く千鳥

(星崎の星さえ見えぬ闇夜の風景を見よというのか、鳴海潟に鳴く千鳥よ)

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(南側にある笠覆寺の仁王門)
 

現在千句塚公園は夜景の美しい場所としてネットに紹介されています。

では一句。

 

星崎の灯火を見よやと騒ぐ車

千句塚公園には駐車場はありません。

夜景を見るなら徒歩か自転車でどうぞ。

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(笠寺観音本堂)

三王山交差点で旧東海道はやや西に向きを変えます。

450m先の天白橋(35.093321,136.944783)で渡るのが天白川です。

天白川は2005年に行われた愛・地球博会場近くの三ヶ峯付近が源流で、日進市、名古屋市天白区を貫いてここまで流れ、ここから伊勢湾の東岸に注ぎます。

もうひとつ、後の三重県内で同じ名前の川を渡りますので、覚えておきましょう。

天白橋をわたると、名古屋市緑区から南区に入ります。

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(笠覆寺と東海道を挟んである西方院手前を左へゆくと、突き当りがJR笠寺駅です)
 

天白橋からおよそ400mさきの赤坪町交差点(35.094453, 136.940808)を過ぎると、旧東海道はやや道幅を狭めて再び北寄りに向きを変えます。

交差点から200m先のY字路の真ん中にそびえる立派なエノキが笠寺の一里塚(35.095700,136.939038)です。

江戸から88里の位置にあり、名古屋市内の旧東海道で唯一現存している塚です。

道はわずかにのぼりながら、一里塚から400mほど進むと右側にあるのが、笠寺観音として親しまれている真言宗(智山派)の笠覆寺(りゅうふくじ 35.099492, 136.936710)です。

寺伝によると、この先の呼続(よびつぎ)の浜辺に一本の流木が漂着し、夜な夜な不思議な光を放つため、周囲の者はそれを見て恐れていたところ、近くに住む僧が夢のお告げによってこの木を刻んで十一面観音菩薩像をつくり、今の笠寺より南に小松寺というお堂をつくって安置したのだそうです。

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(JR笠寺駅。新幹線と東海道線が並走している場所にあります)

 それから百数十年が経過したある雨の日のこと、すっかり荒れ果てた小松寺の前の東海道を、都の貴人(藤原兼平)が通りかかると、観音に笠をかぶせている娘が目に留まりました。

兼平はこの娘の優しさに心を打たれ、都に連れて帰って妻として迎えることになりました。

これが縁で小松寺は夫妻の力により現在の場所に復興し、名前も笠覆寺と改めました。

なるほど、それで縁結びの神さまとして信仰を集めているわけですか。

ちなみにもっと時代が16世紀の中ごろ(1549年)、このお寺は織田家の人質となっていた松平竹千代(のちの徳川家康=当時8歳)と、今川家の人質となっていた織田信広(織田信長のお兄さん=当時16歳)の人質交換の舞台となりました。

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(笠覆寺の西側の入口)
 

笠覆寺の境内脇で旧東海道はクランクすると、和菓子屋さんを左手にみながら80mさきの笠寺西門交差点(35.099749, 136.935044)で名古屋市環状線という広い道路を横断し、笠寺商店街というアーチをくぐって140mゆくと名鉄名古屋本線の踏切(35.100548, 136.933615)を渡ります。

踏切を渡る際に左手をみると、本笠寺の駅が見えます。

なお、笠覆寺のクランク手前(35.099050, 136.935971)で左折し、旧東海道よりも一本南の路地にはいって笠寺西門南交差点(35.098853, 136.934887)で環状線を渡ってそのまま800m直進すると、突き当りがJR東海道本線の笠寺駅(35.096245, 136.926385)です。

名鉄を使って本笠寺駅から名鉄名古屋駅までゆくと、所要時間は16分で運賃が300円。

対してJRは笠寺から名古屋まで13200円です。

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(名古屋環状線を笠寺西門交差点で横断します)
 

関東にいると、JRより私鉄が安くて早いイメージですが、旧東海道の豊橋名古屋間に関しては、旧道に沿っているのが名鉄という利点を除けば、運賃も安くて所要時間が短いのはJRの方です。

とくに、東京までの切符を持っている場合、乗車券は名古屋市内になっていると思いますから、旧道の旅を切り上げて新幹線で帰宅するような場合は、少し余計に走ってでもJRの駅まで行ってしまった方が、運賃もかからず、乗り換えの手間も省けます。

地図を観察すればわかりますが、豊橋の北にある伊奈、そして東岡崎とここ本笠寺付近は、名鉄本線と東海道本線がわりと近接しているので、街道をゆく人たちは覚えておくと便利です。

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(名鉄線の踏切を渡ります。このあたりの商店街は昭和の雰囲気です)

さて、旧東海道は名鉄線の踏切を渡ったら60mさきの一本目の路地(35.100903, 136.933111)を右に折れます。

そこから480mゆくと左側に鳥居と、足元に名古屋十名所の石碑がみえます。

鳥居の左には「弘法大師奉安地」の大きな石柱も建っています。

ここは、清水稲荷神社の入口(35.105237, 136.933025)にあたります。

名古屋十名所?

そんなのがあったのですね。

これは大正13年に今の中日新聞の前身、新愛知新聞社が郷土の名所を選んだものです。

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(踏切を渡ったらすぐに右折します。印鑑屋さんのことを「はんや」っていうんですね)

皆さん、いくつまで知っていますか。

 

1.熱田神宮(信長が好きな人は外せません)

2.名古屋城(といえば、金の鯱です)

3.天林山笠覆寺(さっき見学したばかりでんがな)

4.闇之森八幡宮(?鎮西八郎為朝の甲冑が埋められているそうな)

5.榎白山神社(??桶狭間に先立って、信長が戦勝祈願した神社…って1の熱田神宮ではありませんでした?あちこち祈願して行ったのでしょうか。信長らしくないです)

6.長久山圓頓寺(??名古屋城の天守閣の余材で建立されたという伝承があるそうです)

7.金刀比羅神社(???東区。何で有名なのでしょう。調べてもわからなんだ)

8.山田幼稚園(???承久の乱で後鳥羽上皇方について鎌倉幕府方と戦い、討ち死にした山田重忠ゆかりの神社跡だそうです)

9.桜田八幡社(???貝塚のあった高台からの潟の眺めが景勝なのだとか)

で、10番目がここ清水稲荷神社や冨部神社なのかと思いきや、天理教愛知教務支庁なのだそうです。

なぜ明治の終りに地方博の行われた鶴舞公園でなくて、一宗教団体の支庁なのでしょう。

そもそも、この名古屋十名所は時代とともに変遷してきたので、10か所以上あるのだそうです。

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(また旧街道らしくなりました)

今なら上から2番目以下は、ナゴヤドーム、リニア・鉄道館、名古屋テレビ塔、東山動植物園、名古屋港水族館、徳川園、豊田産業技術記念館、レゴランドで良いのではないでしょうか。

そういえば80年代の頃、「CDといえばコンパクト・ディスクではなく、キャッシュ・ディスペンサーでもなく、もちろんコスト・ダウンではあろうはずがなく、中日ドラゴンズである」という名古屋ネタがありましたな。

そのほかにも、ナナちゃん人形とか大須商店街とか、名古屋は大きな都市ですし行ってみたい場所はたくさんあります。

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(清水稲荷神社。たしかに名古屋十名所とあるのですが、裏側のスポンサー名を見たい!)

次回は清水稲荷神社とその周辺の説明から続けたいと思います。
旧東海道ルート図(知立駅入口~金山駅入口)
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=451c126d388a124117f3f8b94d995a6f&mode=silve

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