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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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代々木公園の桜にブロンプトンをつれて

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(たくさんの禁止事項があるのですが、自転車はOKでした。ただし、歩行者優先でゆっくり走ることが条件です)

仕事や学校の帰り道、道草をするのは楽しいものです。
都内に勤めていてプレミアムフライデーにブロンプトンなどがあったら、それこそ縦横無尽に東京を巡ってしまうだろうな、ついでに仕事を辞めて、TOKYO Twilight Brompton Rideなるツアーをはじめてしまいそうです。
飲み代もかからないし、夕飯はとっかえひっかえで美味しいし、運動になって家へ帰ればバタンキューでよく眠れるし、良いことづくめのような気がします。
スポーツクラブの窓際に置かれたランニング・マシーンで運動している人たちを眺めながら、そんなことを思っていました。
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さて、代々木公園です。
イベントでもないと行く機会のない場所ですが、実は自転車走行OKで中には一周1.8㎞以上のサイクリングコースまであったりします。
ただ、なかなか足が向かないのは、この公園が台地の上にあって、渋谷からも、代々木上原からも、表参道からも坂を登らないと行けないからです。
また近寄ろうにも竹下通りとか公園通りとか、公園につながる道は人が多くて自転車で

走りにくいというのも、足が遠のく原因になっていると思います。
原宿駅で降りれば、坂ものぼらずにすぐ公園に行けますが、あの駅はできれば利用したくない、いつも混んでいるイメージの駅です。
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代々木公園と明治神宮は、江戸時代は大名の下屋敷があった場所でした。
どこかにも書きましたが、上屋敷、中屋敷、下屋敷の順で千代田のお城(江戸城)から遠くなるわけで、江戸時代のこの辺りは郊外もいいところでした。
今でいえばそうですね、福生とか拝島あたりの感覚ではないでしょうか。
その頃は、歩く速度が移動の基本ですから、神田や深川あたりの人がちょいと郊外へお散歩に行くような場所だったのでしょう。
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ところが明治の御代になって廃藩置県によってこれら大名屋敷がなくなり、畑になっておりました。
参宮橋の駅裏など、童謡の春の小川のモデルになっていたくらいで、いまの代々木公園を取り囲む渋谷川の支流には、そこかしこに水車があったそうですから、ガッタンゴットンとそれは長閑な情景だったのでしょう。
それが明治の終り頃になると陸軍省に買収され、それまで青山にあった練兵場が、博覧会開催のためにここに移ってきたわけです。
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ところで、現代の教育においても「練」とか「錬」という言葉は好んで使われるような気がします。
どこかの進学塾では「練成コース」なんていうクラスがあるし、「練習」はもとより、「教練」「鍛錬」「修練」などれんの字のオンパレードです。
教育という言葉はよく言われるように「引き出す」がラテン語の語源なのですが、日本人の感覚だとねり物を練ったり、鋼を叩くイメージだったのかもしれません。
だから軍隊に体罰やシゴキは必須だったのかもしれませんね。
もちろん、学問や体育に練習や鍛錬はつきものですが、それだってモチベーションを引き出さねば続きませんよね。
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(当然ですが、ブロンプトンで奥へ行けばゆくほど静かに桜を鑑賞できる場所へたどり着けます)

さてさて、その練兵場ですが、太平洋戦争終結とともに占領軍に接収され、有名なワシントン・ハイツとなります。
ここに住居を構えたのは占領軍のうちでも中位の階級の人たちで、その時代の日本人に聞くと、金網越しにみる豊かさの象徴だったそうです。
それが東京オリンピックを契機に返還され、施設と公園として今に至るわけです。
立川にある昭和記念公園や、ひたちなかにある海浜公園にははるかに及びませんが、山手線に隣接した場所でこれだけの広さの公園の中を堂々とサイクリングできるところは、なかなかありません。
行くなら神宮前交差点から渋谷区の穏田区民会館(35.668153, 139.704689)の路地を抜けてゆくことをお勧めします。
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