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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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三ツ池公園の桜にブロンプトンをつれて

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先日、東横線シリーズで訪れた三ツ池公園に、朝早く行って参りました。
家からだと30分もかからない場所なので、朝早くに往復できますが、遠いところから来る方は、JR鶴見駅、京急の京急鶴見駅、東急東横線の綱島駅または大倉山駅が最寄りとなります。
駅前とはゆきませんが、どの駅からもブロンプトンならのんびり走って15分程度です。
公園の中は自転車走行可能ですし、ジョギングコースは1週1.5㎞で周囲の丘に登れば、かなりいい運動になります。
また、公園は24時間利用可能です。
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「ネガティブ(否定的)なものは何物でもない。
悪いものを悪いといったところで、それが何の役に立つのか」
(エッカーマン「ゲーテとの対話」)

今日は世事について思うことをつらつらと書いてみようと思います。
世の中には、自分はルールを守らないのに、他人にルールを守れと居丈高に強要する人がいます。
いまは交通安全週間ですが、取り締まりをしている警察官に向かって「お前はプライベートでも制限速度をきっちりまもっているのか」と反論したところで、意味がないのと同じです。
それが本当に世の中の役に立つと信じているのならまだいいのです。
それほどの良心があるのなら、「そういうあなたはきちんとルールを守っているのか」と反論される以前に、いつか本人が、そんなものは何も生み出さない、振り返って自分はどういう存在なのかと気付くでしょうから。

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問題は、そういうやり方を手段として用いて他人の物を自分の物にしようとしたり、八つ当たりから他人や組識を破壊しようている人です。
そういう人たちは、本来の意図を決して表に出そうとしないし、関係のない第三者を巻き込んでも自分は知らんぷりを決め込みます。
自分に都合のよい情報を我田引水的に引用しながら、都合の悪い情報は隠します。
また、自分は平気で噓をついておきながら、人を嘘つき呼ばわりして信用を落とすことに汲々としています。
要するに、自らの責任はたなにあげて、人に責任を転嫁することに血道をあげている自己にも気が付けないほどに、精神が貧しくなっているわけです。
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普通の人だったらそんなことをされれば、怒ると思うのですよ。
ただ、いまの自分が恵まれているなと思うのは、「そんなつまらない人たちにかかわって、あなたの貴重な人生を無駄に使うことはない」「そういう人たちは、自分の溺れ際にできるだけ多くの人を道連れにしようとしているのですから、あなたから手を放しなさい」と助言を与えてくれる人がたくさんいることです。
くわえて、「あなたにはもっとやってほしいことがあります」「あなたがいるおかげで助かっています」と言ってくださる方々もいること。
やるべきことはできる範囲でやったうえで、あとは気にしない。
間違えたら素直に認めて何度でもやり直す。
どうすれば、気にしないないでいられるかという方法も弁えているから、非常に気が楽です。
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嘘をつく人を、嘘つき呼ばわりしたところで何になるというのでしょう。
こうやって桜を愛でていても、余計な邪念があったら美しいものも素直に美しいと感じられないじゃないですか。
だから、前を向いて人間を越えたものの声に耳を澄ませることに専心しようと思うのでした。
中学に入ったころ、最初に教わった讃美歌を桜の下で口ずさんでみました。

「主われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ

明日は久々に子どもたちに読み聞かせをする機会があるかもしれません。
本を読む楽しさを、少しでも伝えられたらいいなと思います。
散りゆく桜を眺めていたら、のっけから同じ情景が登場する「かわいそうなぞう」(土屋由岐雄・作)なんかどうだろうと思ったのですが、あれは悲しい話だし、うっかりすると読み聞かせている側が泣いてしまうからなぁ(笑)、と思うのでした。
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