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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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東郷神社の桜にブロンプトンをつれて

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仕事からの帰り道にブロンプトンを走らせておりますと、つい桜がきれいだったので東郷神社に立ち寄ってみました。
東郷神社とは言わずと知れた日露戦争、日本海海戦の英雄、東郷平八郎をお祀りした神社です。
乃木神社と並んで、「坂の上の雲」ファンには外せないのではないでしょうか。
因みに、児玉源太郎を祀った児玉神社もあるんですよ、江の島に。
彼は日露戦争前に台湾総督もやっていたので、台湾の人たちからの顕彰碑があります。
三人の中では児玉さんが一番お茶目で面白そうな人物です。
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さて、東郷平八郎という人は、もちろん名提督として世界に知れているわけですが、晩年は海軍の方針にあれこれ口を出して、現役将官たちを困らせたといいます。
有名なのはロンドン軍縮会議と一系化問題でしょうか。
前者は、無制限の建艦競争をしたら資源が少なく、工業力に劣る日本は間違いなく破綻するため、欧米とともに艦艇保有に制限をかけたい条約推進派の将校の意図を、最後まで理解できず、条約調印に反対したといいます。
また後者は教育から昇進までことごとく差別していた兵科士官(いわゆるお船のうえでドンパチやる人)と機関科士官(船を動かす人)をひとつにまとめるという計画が何度も持ち上がったのに、東郷平八郎のツルの一声で撤回され、とうとう終戦直前まで成就しなかったという話です。
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大した問題ではないと思われるかもしれませんが、これらが原因で海軍の兵站護衛戦術が軽視された結果、アメリカ海軍の無制限潜水艦作戦もあって、海員不足、輸送船不足を招き、大戦後期は「軍艦や飛行機があっても動かす油は無い」という飢餓海軍状態に陥りました。
日本は開戦を決断したとき、「討って出れば石油も含めた南方資源が手に入る」と踏んだのに、得た資源を日本へ持ってくる手段をどんどん失ってしまったために、1年もたたずにジリ貧状態へと追い詰められ、最後は機雷封鎖によって内国航路までが機能しなくなり、継戦能力どころか国民経済が破綻寸前までもっていかれました。
まさに息の根を止められる間際だったことは、終戦後に訪れた食糧難が証明しています。
いまの海上自衛隊がシーレーン防衛に熱心なのは、そのトラウマともいわれています。
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(水交会は昔は水交社といって、海軍の福利厚生を担当していたときいてます)

こんな話を本で読んで知っているから、東郷元帥という人を手放しで尊敬できません。
ましてや神さまとして崇め奉るのはちょっと・・・。
私の好きな井上成美さんは、「人間を神さまにしてはいけません。神さまは批判できませんから」という言葉を残しています。
また連合艦隊の山本五十六長官が生前親しい友達に「自分が戦死したら山本神社なんぞは絶対に建立してくれるな」と言っていたのも、彼を反面教師にしていのかもしれません。
そんな東郷神社ですが、外国人の溢れる原宿の町にあって、こじんまりとしていて、明治神宮とはまた違う、都会の中の静寂を保っているのでした。


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