教育勅語を朗誦させる学校が話題になっていました。
神道による日本ではじめての学校といっていましたけれど、神社が幼稚園を経営しているケースはたくさんあります。
東京の大宮八幡宮しかり、鎌倉の鶴岡八幡宮もしかりです。
外国の方に大変な人気のある変なお祭りで有名な川崎大師近くの神社だって、隣で幼稚園をやっていますから。
今や話は子どもたちのことは捨て置いて、政争の具にされている感がありますが、あらためて巷に流布している国民道徳協会による教育勅語の現代語訳を読んでみました。
すると、あまりにも訳者の主観で意訳されているので、驚きました。
ということで、できるだけ原文に即して現代のことばに直してみました。
気をつけたのは、この文章における話者(=わたくし=明治天皇)とそれを受ける側(教育を受ける臣民=国民)の区別です。
くだんの現代語訳はこの位置づけを現代に即してという意味なのか、曖昧にしているために、誰が誰に向けた文章なのかさっぱりわからず、ただの道徳雑感になっています。
完全に省かれている「國憲ヲ重シ」と「以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」をいれるとこんな感じでしょうか。
意図的かどうか知りませんが、ここを省くのは帝国憲法にも明治天皇にも失礼だと浪馬は思います。
これを訳すために、かなり漢和辞典を引きました。
いちばん迷ったのは「之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス」です。
『この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり』と訳されているのですが、正しい道だと断定してはいないのではないでしょうか。
むしろ次に続く「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」と並列させて条件節として訳すのが正しいと思います。
そうすると、勅語が「祖先から受け継いできた徳を後世にも伝えてゆこう」という意味合いと、「常世に続く天皇が統治する国家」をシンクロさせていることがわかります。
(原文)
朕󠄁惟フニ
我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ華ニシテ育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁
之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽
(訳文)
わたくし(明治天皇)は思うのです。
わたくしの祖先から代々連なる天皇は、国をはじめ治めるにあたって、道徳をたいせつにして、あまねく広めることに、大変熱心であったことを。
わたくしの国民も、その意思によくしたがい、皆が心をひとつにして尽くしてきた結果、代々にこの美点を築きあげてきた歴史は、わたしの国の根幹をなす真髄であって、教育の源泉もまさしくここにあります。
だから、あなたがたわたくしの国民は、両親に対しては敬って尽くし、兄弟姉妹、友だち同士、夫婦が互いに仲良く信頼しあうようつとめ、慎み深さを保ちながら、すべての人を等しく愛し、学問を身につけ、技術を習得し、知識や能力を伸ばして、人格を完成にみちびき、自分からすすんで社会のためになるような仕事を発展させて、いつも帝国の憲法を重んじ、その法律にしたがい、もし国家に危機がせまるようなことがあれば、勇気をふるって社会に奉仕することによって、天地とともに永遠につづく皇室のちからのささえをにないなさい。
こうした生き方は、天皇であるわたくしに尽くすよき国民としてばかりでなく、あなたがたの祖先が行ってきた功労をたたえることにもなるのです。
これは、まさしくわたくしの先祖代々から受け継がれてきた教えであり、わたくしとわたくしの子孫、そして国民のみなさんがともに従い守るべきものです。
昔からのこの教えをこれからもたがえることなく、国の内外においてもそむくことなく、わたくしが、わたくしの国民であるあなたがたとともに、心にしっかりとめおいてわすれることなく、すぐれた品性においてひとつにまとまることを、せつに願っています。
明治23年10月30日
(明治)天皇の署名と押印
いま、教育勅語に関する議論を読んだり聞いたりしていると、この文章を子どもに読ませることについて、賞賛する人も問題視する人も、大前提であるところの視点が抜けているような気がします。
それは、この文章が時の天皇の臣民へあてた意思表示であるということと、それが後の世に具体的にどう利用されたかという事実です。
大日本帝国憲法(明治憲法)の発布から施行に挟まれる形で出されたこの文章自体は、あくまでも当時の憲法に基づいて作文されています。
それから、議論のなかに「ここに掲げられた徳目を守らねば憲法違反だということになるから、あえて憲法から外した」なんて乱暴な話がありますが、そのような物言いは明治の人たちを馬鹿にしています。
旧憲法だって立憲主義に基づいているので、憲法が縛るのは権力を持っている側の人たちです。
そんなところに、両親を敬い、夫婦や友だちと仲良くしなさいなんて、お門違いも甚だしいじゃないですか。
立憲主義という憲法の根っこが現行憲法の改正議論にも抜けているから、戦前の良い面を取り戻すために憲法を改正しようという話がまかり通るのだと思います。
では、そのおことばとしての勅語は、どうして世に出ることになったのでしょう。
ちょっと長くなりそうなので、教育勅語のその後と、現代における唱和の是非については次回にまわしたいと思います。