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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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怨みは怨みを呼ぶだけやと、おもいませんか

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今日は久しぶりに都内のとあるビルにブロンプトンで行って参りました。
帰り際に、警備員のおじさんから、「ひさしぶりだね。さいきん見ないからどうしていたのかと思ったよ」と挨拶されました。
きけば、わたしが毎回楽しそうにブロンプトンできて、たたんでビルに入ってくるのを受付でみていたので、覚えてしまったとのことです。
私がブロンプトンで走るだけで、『ああ、あの人またあの赤い自転車で来た』なんて日常生活にアクセントをつけてもらえるなら、うれしい限りです。
それは言わなかったけれど、ひどいことを言われた直後だったので、とても気持ちが救われました。
イメージ 1
(東照寺の梅の花)

ところで、ひどいことを言う人って、自分が何を言っているのか、そんなこと言われたら相手がどんな気持ちになるか、認識がないみたいです。
(ないからこそ、平気で言えるのでしょうけれど)
それに、口に出したこと自体も記憶に残らない、いわゆる放言なのです。
心の中で『私はあなたの感情のサンドバッグとか屑籠じゃない』って思います。
やっぱり口は慎んだ方が良いみたいだとこの歳になって思います。
仏教聖典の最初の方にこんなことが書いてありました。
『怨みは怨みによって鎮まらない。
怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる。』
逆にこんなことも言えるのではないでしょうか。

感謝の気持ちはじぶんひとりのうちにはとどまらない。
感謝の気持ちをもつと、あらためてひとから感謝されている存在なのだと気づく。

私がいくら過去を悔いたところで、過去の事実は永遠に変えられない。
過去の出来事を怨んだところで、忘れられるわけではない。
だから過去を忘れることなく、けれども過去の怨みは手放して前を向こう!
イメージ 2
(目黒川の桜、中目黒駅ではまだ一分咲といったところでしょうか)



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