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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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志賀草津道路(国道292号線)にブロンプトンをつれて(その12)

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前回は、スキー修学旅行のお話を書きました。

実際そのあとに就職して、普通の修学旅行の添乗に何度もゆきましたが、ハプニングの連続で、かなりスリリングな旅を経験させていただきました。

だいたい問題が起こるのは夜半のことで、そういった事情もあって、生徒も引率教諭も昼間は寝てしまっていることが多いのです。

当時は揉め事を回避するため「班別自主行動」なんてシステムは私立のごく一部にしかありませんでしたから、昼間はずっとバスで移動する日も多かったのです。

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(硯川バス停にて)

ふと気が付くと、運転手とバスガイドと添乗員の私以外は全員が寝ていて、ガイドだけが走るバスの中で独り言のように案内を続けていることもありました。

そんなとき「これならどこへ行っても変わりないのに」などと思ったものです。

もちろん、志賀高原ではありませんが、スキー修学旅行の添乗にも何回かゆきました。

緊急のことがあって、背広の上にジャケットを羽織って自転車に乗るみたいにスキー場を駆け回ったとき、スキーをはいた私の豹変ぶりで呆気にとられている生徒さん達や先生方の顔が忘れられません。

そのあと修学旅行は海外も含め、行き先も内容もバラエティに富んだものになりましたが、いまは少子化の影響なのか、全体的に目立たなくなりました。

 
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(バス停正面が旧前山スキー場)

そんな修学旅行生のお手伝いということで、大学生の頃、ここ志賀高原の硯川バス停前のうち、一軒の宿の屋根裏に長い時は1か月以上巣食っておりました。

屋根裏なんてひどいと思われるかもしれませんが、館内の暖気が集まるので案外温かいのです。

今もそうかもしれませんが、冬場に何か買い物をしようにも、周囲には宿に付随しているお土産屋さん兼用のコンビニもどきが1軒だけ。

ポテチなんか2種類しか売っていなくって、チョコは5種類程度。

だから仕事でスキーをしている以外の時間は、同僚とお酒を飲みながらおしゃべりするか、ひたすら読書する以外にほかに何もしようがないのです。

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(熊の湯ホテル)

しかし、あれでいろいろな学校の友だちができて、世界が広がったような気がします。

今風にいったら、インターカレッジのスキーサークルのようなものですからね。

たまに下界(湯田中より下)へおりてスーパーやドラッグストアに行ったら、白黒から急にカラーの世界になったような気分でした。

もっとも、こちらは顔面だけ雪焼けして眼だけギョロギョロしていたから、異様な風体だったと思います。

東京に帰って渋谷なんかあるいたら、女性はみな美人に見えて、もう山へ帰りたくないなんて、実際に戻ってこない人も結構おりました。

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(熊の湯で再びバスに乗って上を目指したこともありました)
 

宿のお向かいにあるゲレンデは前山(36.686393, 138.498044)といいまして、リフトが一基だけの離れ小島みたいなスキー場でした。

しかも斜面がかなり急で中級者でも恐怖を感じる斜面で、当然不人気となりポールの練習などに使われていたものの、2010年から閉鎖されてしまったのです。

するとその年の冬に雪崩が起きまして、停車していたバスと正面旅館の玄関部分を襲い、怪我人が出ました。

実は前山ゲレンデは1996年にも表層雪崩が起きて、巻き込まれたスキーヤーのうち亡くなった方もいるのです。

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そんなわけで、私が行った時にはスキー場を山に戻そうと植林イベントが開かれていました。

若手の有名な歌舞伎役者さんがきて、大勢のお客さんを呼び込んで木の苗を植えていました。

スキー場自体が自然破壊のすえに造成され、しかもここはいわくつきのゲレンデだから仕方がないものの、自分がアルバイトしていたころは、この斜面がスキー修学旅行の閉校式におけるデモンストレーション滑走の場だったから、ちょっと寂しい気がします。

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リフトはそのままに夏季のみ営業へとシフトして、上にある渋池を巡って戻ってくるか、四十八池と呼ばれる元池から、志賀高原の由来ともなった志賀山の裾を抜け、大沼池を巡って蓮池近くまでおりてゆく、トレッキングコースの起点になっています。

志賀高原は池や湿原が多いので、こうしたコースを歩けば湿性植物を観察することができます。

もちろん、登山道ですからきちんとした装備をして、ブロンプトンは駐輪して入りましょう。

たとえ別の場所におりたとしても、志賀高原得トクきっぷがあれば戻ってくることができます。

そして、たとえ山を下る最終バスを逃してしまったとしても、ブロンプトンで降りてくることができます。

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(木戸池観光ホテルと木戸池)

なお、途中の大沼池には黒姫伝説が残っています。

古くから伝えられる伝承で、幾種類かのバリエーションがあるのですが、大筋では以下のようなものです。

大沼池に住む黒龍が、あるときふもとの城主の娘、黒姫に恋をして、姿を人間に変えて求婚に通います。

ところが間もなく正体を見破られ、傷つけられて追い返されます。

姫を強奪しようとした黒龍は、四十八池の水を落としてふもとの城下を洪水にしようとしますが、黒姫によって返り討ちにあうか、逆に黒姫が犠牲になるかして、遠くの山へ飛び去り、そこが黒姫山になったというお話です。

なんだか山の民と里の民の悲しい経緯を象徴するようなお話です。

あるいは、志賀高原の山々は火山活動の末に形成されてゆきましたから、麓に災害をもたらすことも多く、里の人たちからみれば荒ぶる龍だったのかもしれません。

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硯川から一段くだった谷底を流れる対岸に、一軒宿の熊の湯温泉(36.684538,138.495363)と、その向こう笠ヶ岳の北斜面に広がるのが熊の湯スキー場です。

ただ熊の湯まで下ってしまうと、国道に戻るのには少し坂をのぼらねばならなくなりますから、注意してください。

この辺りはあちこちから温泉が湧いており、さきの硯川、ほたる、そして熊の湯と、源泉によって成分も見てくれも全然違います。

硯川は白く濁っているのに、ほたるは無色透明、熊の湯は翡翠色です。

ただ、どこも共通しているのは源泉温度がかなり高く、そのままでは入れません。

引湯中に冷ます方法をとっているみたいですが、私にはとても長湯できない温泉ばかりです。

なかでもこの熊の湯は弱アルカリ性で美人の湯として名高いのです。

高校生の自分が学校行事で毎冬に来ていたときには、温泉の成分などどうでも良かったですけれども。

あのころは自分が先生に引率されてスキーを学んでいたわけで、わずか数年後に立場が逆転し、さらに数年後に添乗して高校生の松明滑走の手伝いをしているなんて、想像できませんでした。

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(唯一の急坂をのぼったところ)

さて、硯川から750mほどくだった場所にあるのが、平床大噴泉(36.690492, 138.492734)です。

国道を下ってゆくと、夏場でも左側に大きく湯気をだしているので、国道を走っていても気がつきます。

大噴泉の名の通り、時折ゴオーッと物凄い音をたてて湯が噴出します。

その150mほど先に左へ折り返すように分岐しているのが、前述した長野県道66号線です。

国道のほうは左右にカーブを切りながら木戸池へとおりてゆきます。

道路は舗装されていて、国道ですから規格もよいのですが、高山帯の寒冷地なので、路面のところどころにクラック(割れ目)や、剥離している場所があります。

スピードを出したくなる場所でしょうけれど、小径車ですから無理をしないでください。

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(蓮池の交差点が見えてきました。8月20日過ぎの晴天日で、ここまで下ってきても気温22度です)

北イタリアかチロルあたりのシャーレ―(山荘)のような木戸池ホテル(36.698268,138.490918)を池の対岸にみとめるあたりから道はゆるい登りになり、その先の田の原湿原(36.701877,138.490192)を過ぎると、長さにして200mほど、標高差は15mほどの壁のような上り坂があらわれます。

短いけれども、かなり気合をいれないと乗ったままのぼることはできません。

ここは山岳道路ですから、都内の坂みたいに選択の余地もありません。

 この唯一の登り区間を抜けると、道は再び下りになり、ヘアピンを3つ過ぎて左手にリフトやゲレンデが見えてきたら、右側から野沢温泉・奥志賀高原方面からの県道が合流し、左手にある蓮池バス停(36.717687, 138.491945)に到着です。

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(蓮池バス停に到着です)

「志賀高原得トクきっぷ」は、この800m下にあるサンバレーバス停から上が、フリー乗車区間になります。

せっかく持っているわけですから、時間のある限り使うのがお得です。

もう一度渋峠までバスに乗ってもよいですし、一の瀬や焼額山方面へのバスにのっても面白いでしょう。

次回は後者のルートをとり、一の瀬まで長野電鉄バスでのぼってから、再び蓮池まで戻ってきて、湯田中温泉に向かっておりてゆこうとおもいます。

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