受験シーズンたけなわですね。
自分もはるか昔に経験したことがあります。
その当時、もちろん意識していませんでしたが、塾でやっていたのは受験の1年半前くらいから、ひたすら過去問を解くことでした。
いわゆる「知らない問題を無くしてしまう」という戦法です。
これ、範囲がある程度決まっているテストには有効なのですが、かなり広範囲にわたってヤマもはりにくい、そして組み合わせのような応用問題中心の試験には向きません。
受験勉強した結果は100点満点中得意科目が43点、不得意科目が98点で、その他の科目はソツなくこなしてなんとかひっかかりましたけれども、一か月後には得意科目と不得意科目の成績がそっくり入れ替わり、先生から大目玉を喰らいました。
きっと上から「お前が成績を落とした」とか言われたのでしょう。
受験ってよく訓練されるとそういうことが起きるみたいです。
むかしに流行った野口悠紀雄先生の「超勉強法」によると、受験勉強は科目ごとにコツがあって、オリンピックに例えたら近代五種競技みたいに、それぞれで平均以上を取らないとなりません。
いきおい、苦手科目の克服だの、皆が正答するところでドジを踏まないだの、テクニック重視になりがちです。
ほかに試験5分前に重要範囲をざっと俯瞰できるノートを作成するなんていうのもありました。
わたしは教科書だろうが参考書だろうが、興味を引く場所を深く掘り下げてしまい、他の場所は放ってしまうので、絶対に向いていないと思いました。
ただ合格祈願にゆくところは、ちゃっかりしていました。
自分の場合、受験1年前に京都旅行にかこつけて北野天満宮にお参りしました。
学問の神さまといえば、菅原道真公ですから。
有名なのは北野天満宮と彼が流された太宰府天満宮、そして流される途中に立ち寄ったとされる防府天満宮ですが、東京にも亀戸天神と湯島天神が官公をお祀りしています。
鎌倉だったら荏柄天神社です。
むかし(っていつの時代でしょう)は三大天満宮のひとつに数えられたのだとか。
しかし、鎌倉へ行って八幡さまへ行かずに荏柄天神へゆくところは通好みです。
(神社ってゆるいから、色々な神さまを祀っていて、主祭神が道真公ならどこでも良いのとは思いますが)
菅原道真は、当時権勢をふるっていた藤原時平の讒言により九州に左遷される際、有名な歌を詠んでいますよね。
「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」
結びが「春を忘るな」か「春な忘れそ」で論争があるようですが、後者は「な~そ」で禁止をあらわし「~するな」「~してくれるな」という訳になるという古文文法ではよく取り上げられるところです。
しかし、道真の原詩は前者の方が有力なのだとか。
わたしの時は圧倒的に後者でしたけれども。
彼が太宰府に流されたあとに詠んだ漢詩があります。
去年今夜 待清涼 去年の今夜 清涼に侍す
秋思詩編 独断腸 秋思の詩篇 独り断腸
恩賜御衣 今在此 恩賜の御衣 今此に在り
棒持毎日 拝餘香 捧持して毎日 余香を拝す
宇多天皇に可愛がられ重用されたものの、後を継いだ醍醐天皇のもとでは財政問題で藤原氏と対立するようになり、まもなく醍醐天皇の廃立と娘婿を皇位につけようと謀ったとして流刑にあった道真ですが、上の漢詩は醍醐天皇を慕う気持ちがよくあらわれています。
道真は左遷後わずか2年足らずで亡くなってしまうので、頭は良いのかもしれないですが環境の変化に適応できなかったみたいですね。
受験生の皆さん、合格しようとしまいと、本当の試練はのちに訪れるのかもしれません。
よって、試験に際しては、あまり気負いすぎないことです。
そうやって自分をたきつけてたあとには、必ず反動がくるものです。
また、自身が行きたいと思っている学校と、神さまが「あたなはここへ行ったらいいよ」という場所が一致しているとは限りません。
人生に無駄なことなどひとつもないと思いはしますが、だからといって、がんばって勉強した経験が、いつどこで報われるかなど、誰にもわかりません。
だからこそ、すべてが済んだあとに、感謝の気持ちをもってお参りをすることの方が大事ではないでしょうか。
環境の変化のたびに苦労してきた浪馬は、そう思うのです。