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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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志賀草津道路(国道292号線)にブロンプトンをつれて(その11)

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(左側手前の三角錐が笠ヶ岳)
志賀高原の横手山直下、のぞきのバス停(36.669676, 138.518726)から硯川、丸池方面へとブロンプトンでくだります。
群馬県側とここまでは、樹木の生えない、生えても熊笹程度の荒涼とした見通しのよい景色でしたが、ここから先はコメツガ、ダケカンバ、シラカバなど、下ればくだるほど樹木が多くなってゆくので、見通しが悪くなります。
のぞきから最初のコーナーでスキー場の斜面をチラリとのぞいたのち、国道はヘアピンカーブと直線の繰り返しになります。
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(遠くに見えるのは北信五岳)
国道292号線は下(北)に向ってスキー場の左(西)側を下りますが、逆の東側稜線の向こうに広がるのが、ガラン沢です。
ガラン沢というのは冬季に遭難事故が多く、「魔のガラン沢」(36.687104,138.566488)と呼ばれている大きくて複雑な地形の谷なのです。
もちろん、自分は入ったことありませんが、バックカントリー気分で規制線を越えてゆくと、最初は気分の良い林間が続くものの、どんどん急斜面になって、最後は断崖の上に出て、そこまでくると、急な雪面を登ろうにも崩れてしまい、どうにも戻れなくなるという、まるでアリ地獄のような谷だと噂ではききました。
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(横手山を振り返る)
のぞきから1㎞ほどで、進行方向左手に見える笠ヶ岳(36.676568, 138.481454)からつづく尾根にぶつかります(36.667925,138.514026)。
道路の左側がちょっとした空き地になっており、振り返ると横手山の頂上にあるパラボラアンテナがよく見えます。
笠ヶ岳は標高2,075mで横手山よりは200m以上低いものの、見る角度によって網代笠、釣鐘、ピラミッドのように見える特異な山容から、志賀高原のシンボルともいわれています。
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(下るにつれて、樹木が目立つようになります)
これより国道を5.5㎞下った場所(36.692244, 138.492065)で左折して長野県道55号線に入ると、笠ヶ岳北側の山腹を巻いて、西側の肩を乗り越え、山田牧場、五色温泉を経て小布施や須坂におりることができます。
現在の県道55号線は、ほぼ舗装されていますし、下まで降りでも電車とバスを乗り継げば戻ってこれますので、志賀高原の周遊ができそうです。
しかし、国道との分岐からおよそ4㎞さきの笠ヶ岳の肩を乗り越えるまでは、標高差270mののぼりが続くうえに、バスが走っているわけでもありません。
4㎞の山岳道路のぼりを甘受できる人だけが、入れる道だと思います。
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(熊笹も下の方が背丈が高くなります)
さらに国道をおります。
このつづら折りのくだりは、冬場はスキー場の斜面をおりることができない、初心者や初級者の迂回路になります。
けれども、下の方へゆくとカーブはともかく、直線はほぼ傾斜がなくなりますので、えっちらおっちらスキーを履いたまま歩かないと前へ進まないのです。
私も何度か初心者の高校生を連れて二列縦隊で下りたことがあります。
初心者だとなかなか前に進まず、吹雪にでもなろうものならその風景は映画「八甲田山死の彷徨」そのものになってしまいます。
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(陽坂のニッコウキスゲ)
中学生の頃、「天は我々を見放した」が流行語になって、ゲラゲラ笑いながら雪中で裸になり死んでゆく真似を、スキー場でやったっけ。
私は引率側だったから、寒くても泣き言をいうわけにもいかず、高校生に「雪の進軍」なんてわかるわけないから、ひたすらふるーい東電のCMソングを心の中で歌っていましたよ。
「男たちはその昔、みんな狩りにでかけた、夢がそこにある限り、いのちひとつ燃やして」って。
あれ、今も変わらないか。
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(時期が変わると花も変わります)
のぞきから
3.4㎞ほどくだると、次のバス停の陽坂(36.677015, 138.509706 ようざか)に到着です。
夏にはスキーリフトの下にニッコウキスゲの群落をみることができます。
そのほかにも、コマクサ、カタバミ、シャクナゲ、ヤナギラン、リンドウなど、高山植物を観察するにはこの付近は良い場所です。
映画「私をスキーに連れてって」ではこの付近のカットがあるのですが、ちょうど撮影年にバイトしていた自分たちがチラッと映り込んでいます。
思えばスキー場にとってもいい時代でした。
ただ、春の天気の良い日はリフトの上で居眠りだってできますが、真冬のハイシーズンには頭の芯まで凍ってしまうのではないかと思うほど寒い場所だったのは身体で覚えています。
 
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(湯田中駅前に停まっていた、イベント参加者のためのシャトルバス)
陽坂から2.2㎞下った場所が硯川(36.685289, 138.497229)です。
その手前、横手山スキー場の一番下のリフト脇に建つ、横手山レストハウス(36.683700,138.499366)は、スキーシーズンのみの営業ながら、ゲレンデ食堂にもかかわらず、わりと安価で料理がとてもおいしいことで有名でした。
アルバイトしている自分は、昼食時ここのメニューから好きなものを食べてよくて、一番高いビーフシチューを連日のように食べていました。
いまもあの味を守っているのか興味があるのですが、残念ながら夏場は営業しないのです。
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(左奥が横手山レストハウス)
また、硯川は志賀高原内の高天ヶ原、一の瀬とならぶスキー修学旅行のメッカでした。
今でこそ、少子化によって規模が縮小してしまいましたが、当時は関西方面からの高校生の修学旅行を、ここに並んだ宿泊施設が競い合うように受け入れていました。
通常、一つのスキー場にSAJ(全日本スキー連盟)公認とSIA(日本プロスキー教師協会)公認のスキースクールが一つずつなのに、ここだけで4校のスキー学校がありました。
そのころ、関東の公立高校生は広島・長崎への平和学習を兼ねた修学旅行が主流でした。
なのに、どうして関西の公立高校ではスキー修学旅行が流行っていたのでしょう。
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(前山もとスキー場)
自分が知る限り、理由は2つです。
関東の高校生はスキー場もわりと近くて、スキー経験者は結構な割合で存在しました。
しかし、近畿圏からとなると交通の便も悪く、ウィンタースポーツは手近とはいえませんでした。
それだけ、スキーというスポーツを修学旅行に取り入れる意義が近畿圏ではあったのでしょう。
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もう一つは、管理する側の問題です。
高校生が集団で旅行すれば、旅の解放感も手伝って、色々面倒なことをやらかす可能性が高まります。
その点、一つの宿に滞在したまま昼間は重い足かせのような板と靴を履いてスキーを習得させ、夜は疲れて寝てしまえば引率する側も管理・監督しやすいのです。
しかも、よほどの荒天でなければリフトは止まりませんから、天候にも左右されません。
しかし、日本特有の修学旅行というシステムは、何のためにあるのでしょう。
思い出作りといいますが、高校生ともなれば自分たちで旅に出ることだってできます。
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次回はその後就職して、添乗員としてみた修学旅行の感想からお話を続けましょう。

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