池鯉鮒宿の西のはずれ、逢妻橋で逢妻川を渡ったすぐさきの、逢妻町交差点(35.015976,137.036907)から、国道1号線を西へ向かいます。
国道1号線、旧東海道をたどろうとする者にとって、この日本一の幹線道路をゆかねばならないとき、いつも頭を悩ませるのは「どちら側の歩道をゆくか」という問題です。
この区間の車道は、これまで同様とても危なくてブロンプトンで走るのは無理です。
上下合計4車線あるものの、1車線あたりの幅は広くありませんし、歩道との間に自転車が走るようなスペースもありません。
たとえ深夜で往来が少なかったとしても、車との速度差から自殺行為だと思います。
そして歩道の幅は西に向かって左側(南側)は2mも、場所によっては1.5mもありません。
これは、対向で自転車がきたら、どちらかがよけねばすれ違えませんし、人が対向してきても、徐行してかなり神経を使うレベルです。
歩道と車道との間にガードレールもないので、歩道を横切る車のための凸凹や、側溝の蓋などにタイヤがはまってハンドルをとられ、車道側に倒れこんだところにトラックなどが走ってこようものなら、一発であの世行きです。
西に向かって右側(北側)の歩道は気持ち幅が広いのですが、自転車について道交法上は歩道にしろ車道にしろ「道路右側を走る時はやむを得ない場合に限り」と条件付きです。
しかも、逢妻町交差点から、1,150m先の工業団地交差点まで、横断歩道がないのです。
そこまでにある2つの歩道橋はかなり年代物で、うちひとつは自転車を押し上げるためのスロープもついていません。
とにかく、ここは西に向かって左側の歩道を行きましょう。
逢妻町交差点からすぐ、知立市から刈谷市に入ります。
この標識だって、逆側の歩道を走っていたら(逆さ向きで知立市という標識が車道上にかかっているだけですから)気付けないと思います。
現在は西三河平野を東南から北西へと横断しているところですが、順に岡崎市、安城市、知立市、刈谷市、豊明市と名古屋市に入るまで5つの市を抜けてゆくことを頭の片隅においておきましょう。
そうすると、地形的に変化のない平野を走っていても、あとどれ位でこの平野を抜けて山岳地帯や丘陵部に突き当たるのだなという距離感がつかめるようになります。
450m先の「刈谷市一里山町」と書かれた歩道橋の足もとに、一里山一里塚跡の碑があります(35.019074, 137.033398)。
一里山という地名は、静岡県から愛知県に入ったばかりの、白須賀宿と二川宿の間にもありました。
肝心の一里山とはどこじゃいなと見回してみると、少し手前の国道北側にこんもりとした小さな丘が認められます。
調べてみるとてっぺんに公民館が建っているので、ここがおそらく一里山なのでしょう。
その昔、建物も何もない野原の中で、一里塚とこの丘がランドマークだったのだと思います。
昔の東海道を想像しながら歩くのなら、この小さな崖線に沿っている西に向かって右側の歩道がお勧めなのですが、そうすると一里塚跡の碑は見落とすし、うーんやはりどちら側を行ったものか…。
(一里山一里塚跡碑)
一里山一里塚跡から180mさきの一里山新屋敷交差点(35.020517, 137.032325)で、国道を渡って西側に向かい右側の歩道をゆきましょう。
例によって横断歩道はありませんから、二段階右折をしたうえで右左折する乗用車に「スミマセンネ」と手をあげて横断します。
210mさき、細い用水路とともに斜め右手へ分かれている道が旧東海道です。(35.020517, 137.032325)
別にこの先に史跡があるわけでもなく、すぐ国道に復帰してしまうのですが、でも旧道は旧道ですから。
すると、もうとっくに閉店しているのですが、昭和の喫茶店を発見しました。
まわりに工場もあるのでお昼は需要があったのでしょうけれど、路地裏に喫茶店って、営業しているころはどんなだったのでしょう。
よく観察すると、愛知の喫茶店らしく、ちゃんと黄色い回転灯も装備されています。
この回転灯、関東の人間には「工事中」のサインにしか見えません。
けれども、喫茶店でのモーニング文化のあるこちらでは、朝から「営業していますよ」という目印で、床屋さんの回転灯に近いものなのだと、名古屋の人が教えてくれました。
これから先、いやというほどこの回転灯を見ることになります。
その先の五差路を用水路に沿って通り抜け、480mほど進むと国道1号線に戻ります。(35.024291, 137.026810)
30m先の対面に、やはり国道から斜め左方向へ路地が入っているのが見えるので、ああ、ここでは国道が旧道を寸断しているということが分かります。
ところが、手前に見える歩道橋には自転車用のスロープはついていません。
160mさきには今岡町交差点(35.025378,137.025091)があって、こちらには横断歩道があります。
その日の朝に国府から歩いてきた時は、ここまで来たら足が痛くて、70m先の歩道橋を渡るか、160mさきの横断歩道を渡るか悩みました。
往復320mの骨折りがいやで、歩道橋を渡ったところ、下を走る車のせいで揺れるのなんのって、まともに歩けませんでした。
この錆がかった歩道橋、どれだけ古いのでしょうと思いました。
ブロンプトンなら間違いなく横断歩道を選択します。
さて今岡町と名前の付いている交差点で国道1号線を渡って、160m戻って旧道に入ります。
今度は、国道1号から南側へ入ってゆき、名鉄本線と国道1号の間を北西へと向かう形になります。
国道との分岐から210mほどで左側にあるのが曹洞宗のお寺、洞隣寺(35.024972, 137.023348)です。
このお寺には2つエピソードがあります。
一つ目は、江戸中期の1742年、この付近の東海道上で大分の中津藩士同士の刃傷沙汰があり、二人とも亡くなったのでこのお寺に埋葬したところ、幾度直しても双方の墓が反対側に倒れるために、互いの生前の恨みが残っているのだと村人たちが改葬し直したというお話です。
墓石になっても喧嘩しているって、成仏していないってことなのでしょうか。
たんに地盤が弱くて石のおさまりが悪かっただけじゃないでしょうか。
二つ目は、むかしこのお寺に気立てはよいものの容姿が少し残念な娘が働いておりまして、あるときここから南西へ4km、いまのJR逢妻駅のすぐ近くにあるやはり曹洞宗のお寺、医王寺(35.024972,137.023348)に仕事先を移したのだそうです。
そこで若い住職に一目ぼれをしました。
ところがこのお坊さんは仏道修業途上の身ゆえ、娘には見向きもしないし寄せ付けない。
食事も喉を通らなくなった娘は、ついに衰弱死してしまい、彼女を憐れんだ洞隣寺の和尚が亡骸を引き取って葬ったところ、墓から青白い炎が飛び出して、「めったいくやしい」と声をあげながら医王寺の方角へ飛び去ったというお話です。
うーむ、この逸話おいて、娘の容姿が少し残念という点が気になります。
別に容姿は関係ないでしょう。
やっぱり現代に直せば「自己愛の歪み」って話なのでしょうか。
それに「めったい」とはなんぞや。
今風に翻訳して「めっちゃ、くやしい」ということでしょうか。
静岡県の大井川流域には、「ありがとう」の同義語で「めったい」という方言があるらしいですが、それでは意味が通りません。
すると、「滅諦」(めったい)のことですかね。
仏教には四諦(したい)というものがありまして、「諦」は「真理」をあらわし、すなわち4つの真理をそういうのです。
そのうちの「滅諦」とは、苦を滅ぼした悟りに関する真理です。
つまり、色恋に引き寄せられるという苦を、この真理で若い住職が断ち切ったために、娘にとっては滅諦こそが恋敵になってしまったのかと。
少し離れた場所で、こっそり一緒に読経でもしていればよかったのに。
刃傷沙汰だの恋煩いの果ての死だのと、どろどろ系の話が続いたので、お口直しに食べ物の話題をしましょうか。
洞隣寺から40m先の右側、木の柱とその後ろにテーブルに載ったような小さな祠があります。(35.025473, 137.023233)
これが芋川うどん発祥の碑です。
なんでも平成2年に建ったらしいですが、注意していないと見落としてしまうほど目立ちません。
この周辺三河芋川と呼ばれた地では旅人に平打ちうどんをふるまっていて、東海道中膝栗毛にも紹介されるほどの名物でした。
江戸にて「ひもかわうどん」となったことと、名古屋名物のきしめんのルーツは芋川うどんであるというは有力説だそうです。
芋川うどんはその後廃れてしまい、芋川という地名も碑がある今岡なのか、この先の今川なのか、手前の一里山なのか定かではありません。
現代によみがえった芋川うどんを食べたければ、碑のある次の交差点(35.025877,137.022727)を、進行方向京側を向いて左折し、名鉄線を渡って650mいった先(35.023285, 137.016424)を左折、250m戻るような形で逢妻川を通学橋で渡った左側のお蕎麦屋さん「きさん」(https://tabelog.com/aichi/A2305/A230503/23030523/)で出しているようです(芋川うどん 1,000円)。
ブロンプトンなら片道5分程度ですから、昼時なら寄り道して行ったらいかがでしょう。
洞隣寺から旧家のところどころに残る道を670mほどゆくと、名鉄本線の富士松駅を左手にみます。
駅前正面にあるのが、地名の由来になった富士松(三代目)です。(35.029615,137.016910)
桶狭間の戦いで敗れた今川勢は、退却の途中にこの場所で旅人を敵方のスパイと勘違いして殺害しました。
あわれに思った村人が、旅人を葬った場所に松を植え、その松が富士松とよばれるようになったということです。
やれやれ、今度はとばっちりのお話ですか。
また気の毒な話に戻ってしまいました。
ここから西へゆくに従って、桶狭間の合戦絡みのエピソードが増えてゆきます。
さて、いにしえの桶狭間古戦場の場所やいかに。
それはこの後のお楽しみということで。
富士松駅付近を過ぎてまもなく、旧東海道は県道282号線の掘割で寸断されています。
歩く人用に歩道橋(35.030727, 137.017090)がついていますが、ブロンプトンなら左折して90mほどゆき、名鉄線の線路際を迂回すれば道路で県道をまたげます。
旧道に復帰して340mほどゆくと、今川町交差点(35.033909, 137.015934)で再び国道1号線を斜めに横切ります。
ああ、この交差点から見る国道1号線はよく覚えています。
横浜の自宅を夜に出て、一国の下道をバイクで走ると、だいたい朝のラッシュ時にこの付近に差し掛かるのです。
この交差点から西に600mほど、境川を渡ったすぐ先に1号線と23号線(通称名四国道)との分岐がありまして、自分はまっすぐ進んで名古屋市の中心部方面へ行きたいのに、大型トラックがかなり手前からびっしりと連なっていて横のすりぬけもかなわず、何度行っても名四国道の方へ入って行ってしまうのです。
名四国道って東京でいったら首都高の湾岸線に付随している国道357号線のような感じで、四日市方面への近道ではあるけれども、工場や倉庫街を走る単調な道に大型車が大渋滞しているので、バイクでは近寄りたくないのです。
もちろん、ブロンプトンで名四国道へと突撃するのは、やめておいた方が無難ですよ。
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景色が本当に単調ですし、歩道はついていても右左折の車に邪魔者扱いされます。
名古屋の車社会を侮ってはなりません。
しかし、今こうして自転車で信号待ちをして冷静に眺めると、今川町交差点で右折して旧道に入り、その先の豊明駅前で国道1号線に復帰すればよかったのですね。
夜通し下道を走ってきて、頭がぼんやりしていたので、全然思いつきませんでした。
次回はこの今川町交差点から西へ向かいたいと思います。