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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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大欲得清浄

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「だいよくとくせいせい」と読むのだそうです。
「人間、自己の欲望に溺れないようにするにはどうしたらよいのでしょう」
先日、ふと傍にいたお坊さまにこんな質問をしたところ、「欲があることが悪ではないのだよ」とこたえてこの言葉を教えていただきました。
人間の欲望もどんどん大きく広くしてゆけば、それは仏の慈悲に近づいてゆくということみたいです。
たとえば、自分に利益のある、自分のことを思いやってくれる人だけを愛するなら、誰にだってできることです。
しかし、自分に不利益をもたらす、自分と敵対するような人にも同じように愛情を注ごうとすることが大欲であって、自分勝手な欲望をふくらますこととは根本的に違うのだそうな。
ふーん、やっぱり解説してもらわないと言葉の意味が分かりません。
そういえば、「キリストのように考え、キリストのように話し、キリストのように行い、キリストのように愛そう」という歌が典礼聖歌にありましたな。

ところで、私の周囲には、「感謝感謝」が口ぐせの方がいらっしゃいます。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
「今朝は冷え込みますね。」
「うん、でも感謝感謝」
「昨日は地震で大変でした」
「そう、でも感謝感謝」
一事が万事こんな感じです。
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『目に見えるおかげにお礼が言える。
これは道徳的人間であります。
目に見えるおかげさまで「ありがとうございます」とお礼を言う。
これは言うならば善です。
しかし、これは道徳的な善です。

目に見えないおかげさまに心から手を合わせてお礼が言える。
言わせていただける。
感謝できる。
心の養われがあって、はじめてこれは宗教的な善であり、宗教者であるということが言えますわね。

何も神父さんや牧師さんや坊さんだけが宗教者ではない。
日々の生活の中で本当に温かい、深い、人間的なことに目覚めた生活をなさる。
この方が宗教者であり、仏法者でございます』
(高田好胤著 『高田好胤「仏法」を説く』 学生社より)

大欲とは、言い換えれば「何に対しても感謝する気持ち」なのかもしれませんね。
道徳的善のその先にある、宗教的善に思いを馳せていたら、ああ、おなかがすいてきました。
でも夜中で家には食べ物がない。
テレビをつけたら「夜食テロ」・・・このままでは大欲得体内脂肪になってしまいそうです。
それにつけても空腹のまま眠りにつくことの寒々しさよ。
「うん、でも感謝感謝」
「はい、ゆえに感謝感謝」
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