旧東海道岡崎宿、二十七曲の後編です。
(左;(9)岡崎シビコ裏を右折 右;(10)突き当りを左折)本町一丁目交差点から70mさき、ちょうどショッピングビル(岡崎シビコ)の裏手に当たり、右手に「岡崎城対面西前角」の石碑がある路地(34.959596, 137.163087)を右折(9)します。
70mほど北へ進み、「材木町口木戸前」の石碑がある突き当り(34.960275, 137.163162)を左折(10)します。
30m先の細い路地(34.960330,137.162813)を右折(11)して北へ入るのがガイドブックやネットでは一般的なのに、岡崎市が設置する案内板は、なぜかその先の材木町一丁目交差点で右折することになっています。
ここでは前者の進路をとります。
60m先で突き当ったら(34.960886,137.162783)左折(12)し、さらに50m西へ進んだ次の十字路(34.960941, 137.162142)で右折(13)、さらに70m北へと進み木町通に出たら(34.961592, 137.162142)左折(14)と、ここは路地をジグザグに進みます。
(左;このあたり本当に厄介です 右;柿田橋を渡らずに左折(15))左手石垣上に白山神社(34.961531, 137.158673)を見ながら伊賀川左岸の遊歩道を180mほど南へと進み、ひとつ下流の三清橋を渡るために次の角(34.960223,137.158397)を右折(16)します。
(左;白山神社脇の伊賀川左岸を下る 右;(16)三清橋まできたら右折)橋を渡ったところの信号(34.960159, 137.157909)で道路を横断し、横断歩道の向こう側右手にあるスロープを下ります。
川沿いの道を含めて数え、三本目の角(34.960113, 137.157322)を左折(17)して路地に入ります。
160m進むと国道1号線の側道に出ます(34.958675, 137.156920)。左側に小さく二十七曲の石碑があります。
(三清橋を渡ったら信号を対角に横断してからスロープをくだります)
交差点を渡る際、前方左手に岡崎城の天守閣が見えているはずです。
渡ったら右折(18)し、国道1号線歩道を160mほど西へと進み、八帖交差点の手前左に小さな石碑のある路地(34.958413,137.157791)を左折(19)して南へ入ります。
(左;目印に注意して左折(17) 右;国道に出たら左折(18)して、龍城橋西信号を渡ります)100mさきでこの路地は道幅が急に狭くなりますが、かまわず直進します。
このあたりは江戸の昔、曲輪だったところだそうです。
240mさき、左手アパートと電柱に挟まれた場所に「板屋町」という小さな石碑のある角(34.956229, 137.156170)を右折(20)して西に進路を変えます。
90m先の中岡崎町信号(34.956365,137.155089)で国道248号線を渡ります。横断歩道を渡った先の南西角に、「松葉総門跡」の小さな石碑が建っています。
ここが岡崎宿の西の外れで、ここを曲がり角に数える人もいます。
(右;龍城橋西信号からみる岡崎城天守閣。渡ったら右折)
さらに直進して190mさきで愛知環状鉄道の下をくぐり(34.956855, 137.153059)、中岡崎町信号から400m先の突き当たり、「左江戸 右西京」の石碑がある角(34.957350, 137.150771)を右折(21)します。
北上し160m先で国道1号線の矢作(やはぎ)橋袂に出ます(34.958700, 137.151385)ので、右から折り返すようにしてまき、国道の歩道を左手に進み(22)、矢作川を下流側の歩道で橋を渡りましょう。
(左;八帖交差点手前を左折(19) 右;駐車場脇にある小さな石の目印を確認しながら右折(20))あれれ?
数えたら22曲がりしかないではありませんか。
総門を入れたとしても23です。
べつに27という数字は別に切りのいい数字でもありませんし、おそらくは道の拡幅や区画整理などで4つくらい曲がり角が消滅しているのかもしれません。
途中公園の中を横切ったりしていますしね。
とにかく、道標が整備されているのに間違っていたり、一番分かりにくい場所にゆくと設置されていなかったりと、かなり不親切です。
(左;国道248号線を渡る際の左手に松葉総門跡碑 右;愛知環状鉄道をくぐります)
本当なら(既に消滅してしまった角も含め)いろは坂のように角毎に連番を振った目印を建ててほしいのです。
一応一部だけ「いろはにほへと…」とやっているのですが、それもなぜか中心街で途切れています。
どの資料によって走るかにもよるのですが、これを一発で地図も見ないで正確にトレースできたら、それこそ神業です。
岡崎二十七曲りにチャレンジする前に、必ず地図で確認し、できたら細かい地図をプリントアウトして持ってゆくことをお勧めします。
自分は何度も間違えて涙をのみました。
(左;右手がカクキューさんの味噌蔵 右;突き当りを右折(21))
ここは、カクキューさん(34.958222, 137.152635)という八丁味噌の蔵が並ぶ裏手の路地です。
八丁味噌とは別名三州味噌とも呼ばれ、米麹や麦麹を用いず、大豆と塩のみを用いて長期(2年以上)熟成させた味噌のことで、岡崎城から西へ八丁の距離にある八帖町で生産されている伝統名産品です。
今ではこのカクキューさんと旧東海道を挟んで南側にあるまるやさん(34.956745,137.151659)だけが生産しています。
(国道に出るので右へまわって折り返し、矢作橋を渡ります(22))
まるやさんはもっと古くて、1337年に弥治右ヱ門がここ八帖町で醸造業をはじめたのがきっかけで、1560年の桶狭間の戦いでは、今川軍に加わった松平勢に「戦陣握り」という名前で兵糧になり、東海道が整備されるとお伊勢参りの土産になったそうです。
1337年といえば室町時代前夜で、後醍醐天皇が建武の新政を行って失敗し、足利尊氏が離反したころです。
土産物として愛されたとある通り、どうも耐熱体感に優れていたので、昔から保存食として重宝されたみたいです。
まるやさんのホームページには、肉みそ豆腐だの、ゴボウの味噌ポタージュだの、美味しそうなレシピがいっぱいです。
まるやさんは9時から16時20分の間の毎時0、30分に工場見学案内を行っています。
またカクキューさんの方は資料館を併設し、11時から15時の間はお食事処も開いていて、八丁味噌を使った料理も食べられます。
お昼にこの付近を通ったら、試してみたいものです。
今回はかなりの部分を旧東海道を忠実に辿るための説明に割いてしまいましたので、次回は岡崎宿とその周囲について、全般的な所を少し書きたいと思います。
旧東海道ルート図 (本宿駅入口~知立駅入口)