岡崎宿二十七曲の東端、冠木門のある記念碑から京へ向かって旧東海道の旅を続けます。
一応本当に二十七曲あるのか確認してみましょう。
また写真では目印となる石碑や標柱を赤丸で囲っておきます。
そして、右左折のあとに括弧でいくつ目の曲がり角なのか記しておきます。
二十七曲を正確に辿ろうとするなら、とにかく前準備をしっかりしておくことです。
ここまであれほどきちんと旧東海道を見聞してきたのに、ここでうやむやになるのは厳しいですから。
左;(1)冠木門 右(2)若宮2丁目交差点交差点内に石碑のある変則四差路(34.951670, 137.181420)を右折(1)し、緩やかな坂を220mほど上ってゆくと、左手に岡崎げんき館のある若宮2丁目交差点(34.952588,137.181864)を左折(2)します。
240m西へ向かったさき右側に根石観音堂があります。
行基作で悪疫退治のご利益があるとされる観音像が安置されています。
前回お話に出てきた松平信康の守り本尊でもあったそうです。
左;根石観音堂 右;(3)両町3丁目、2丁目両交差点を過ぎ、若宮2丁目交差点から640mさき、「両町より伝馬町角」の石碑が右側にある交差点(34.955195, 137.175647)を右折(3)して北へ入ります。
80mさき、伝馬通りと呼ばれるバス通りに出たら(34.955812, 137.175920)左折(4)です。
530.mほど西向きに進んで左手に銘菓あわ雪を販売する備前屋のある伝馬交差点(34.957529, 137.170514)を過ぎます。
左(4)伝馬通りに出たなら左折 右;伝馬通り
右手北東角にある生花店(34.957635, 137.170771)が東本陣跡です。
しかし、ここには本陣跡の目印がありません。
伝馬交差点からさらに140m先に進んだ伝馬通1丁目交差点(34.957974、137.169073)を左折(5)します。
交差点右手前角のコンビニエンスストアがある場所が、西本陣跡(34.958015,137.169286)になります。
つまりこの周囲が江戸時代の岡崎宿の商業的中心になります。
伝馬交差点北東角にある東本陣跡の生花店(左)と南西角にある備前屋さん(右)
伝馬1丁目交差点を左折して南へ50m、次の四つ角(34.957487, 137.168817)を右折(6)して西へ転進します。
そこから岡崎信用金庫資料館(34.957907, 137.167953)を左手に見ながら160m進み、岡崎康生郵便局が左にある中央分離帯のある道路に出たところ(34.957993,137.167170)で右折(7)して北へ向かいます。
この角で、なぜかそこまであった二十七曲の案内表示柱が途絶えてしまいます。
中央分離帯のなかに龍田総門の跡碑があります。
この場所においての総門というのは、宿場の中に設けられた検問所とでも申しましょうか、宿場の入り口にある大木戸とは別の位置づけだったようです。
左;西本陣跡 右;伝馬1丁目交差点(5)を左折60mさき、再び伝馬通りに出たところ(34.958523,137.167248)で道は突き当たります。
伝馬町通りを西へ640mほど行ったところに、岡崎城の大手門があります。
旅人は岡崎のお城を北へ大きく迂回するようにして西へ向かうのです。
旧東海道をたどりましょう。
正面に公園があるので、伝馬通りを渡ったらそのまま籠田公園(34.959018,137.167283)の中を突っ切ります。
すると籠田公園北西角の信号(34.959634, 137.167203)に出ますので、左折(8)します。
この通りが連尺通りです。
280mほど西へすすんで県道38号線(本町通り)と交差する本町一丁目信号(34.959565, 137.163908)に出ます。
手前左側に、二十七曲の案内石板(34.959550, 137.164262)が現れるので、
旧東海道を正確に辿っているとわかります。
ここまでの区間で、龍田総門跡碑を右折して北上し、龍田公園内を突っ切るという点さえ踏まえておけば、道に迷うことはありません。
左;伝馬1丁目交差点から60m南、次の交差点(6)を右折 右;岡崎信用金庫資料館なお、この連石通りと本町通りが交差する本町一丁目交差点が、岡崎市旧市街の中心になります。
岡崎市というのは旧市街の中心から鉄道駅が離れている珍しい街です。
旧市街の中心に対して名鉄名古屋本線の東岡崎駅が新市街の中心になるわけですが、そこへ行くのにはこの交差点から本町通りを南へ750mくだり、乙川を殿橋で渡ります。
さらに280m東へ戻った場所にあります。
つまり旧市街の中心から1㎞以上も離れているのです。
これは、明治になって鉄道が敷設されるとき、旧街道のはしる旧市街にお城や城下町を含め、用地がなかったものと推察されます。
おそらく、それだけ宿場町がしっかりとしていて、鉄道が後入りする余地がなかったのでしょう。
左;岡崎康生郵便局のある角(7)を右折 右;龍田公園に突き当たったら中を突っ切ります名鉄よりももっと早くに敷かれたはずの東海道本線岡崎駅は、もっと遠くにあります。
本町一丁目交差点から本町通りを3.8㎞も南へくだった突き当りにあるのです。
東海道本線は矢作川に橋梁を架ける関係から、地盤の強固な土地を選んで場所が決まったそうです。
地元は中心街へ支線を引いてほしいと請願したようですが、それはかないませんでした。
今の土木事業なら、地盤改良などほかの方法もあるのでしょうかれど、当時はほかにやりようがなかったのでしょう。
いずれにしても、名鉄本線も特急は東岡崎に停車すると、次の駅について西は新安城まで、東は豊橋まで止まりません。
東海道線にしても新快速と呼ばれる速達列車は、西は安城、東は蒲郡、豊橋まで止まりません。
左;公園北西角(8)に出たら左折して連石通りを西へ 右;連石1丁目交差点皮肉にも、旧東海道にいちばん近い駅は、ずっとのちの戦後になって敷設される旧岡多線(現・愛知循環鉄道)の中岡崎駅になります。
ただし、運賃はJRと別になりますし、愛知環状鉄道の運行頻度は時間当たり3~4本となります。
本来であれば、旧市街に宿泊して岡崎の街中をゆっくりと観光したいものです。
しかし、こうも鉄道駅が離れていると、旧東海道を探索しようにもあまり便利とはいえません。
宿泊も旧街道と東岡崎駅の中間にあたる乙川の両岸に集中しています。
けっきょく、名古屋市中心部から豊橋市中心部まで、鉄道のターミナル駅近くでなおかつ旧街道に近い場所というのはなかなかないのです。
今回は二十七曲について写真と地図を交えて詳細に説明したいと思いますので、ここまでを前半部分として、後半部分は次回に譲りたいとおもいます。