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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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Bromptonに乗ることは非日常? それとも日常?

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(小布施の桃園)

皆さんに次のような行動を非日常/日常で分けてもらうとしたらどちらに仕分けますか。

TDLに遊びに行く、旅やドライブへ出掛ける、映画や音楽を鑑賞する、寿司やふぐ刺し、うなぎ等を食べる…

非日常の代名詞のようなTDLはともかくとして、旅やドライブはその距離によって分かれるかもしれません。

映画や音楽は、自宅で鑑賞するのか、映画館やコンサートホールで鑑賞するのかで違ってくるのかもしれません。

また、食事の内容に関しては、どれくらいの頻度で行ったり食べたりするかで日常かそうでないのかが分かれる気がします。

では多くのオーナーにとって、ブロンプトンに乗る行為自体は日常なのでしょうか、それとも非日常なのでしょうか。


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(冬の外房海岸)

普段乗りの自転車の値段としては、かなり高価な部類に入るため、特別な場面だけ乗るのであれば非日常のような気もします。

けれども、通勤や通学、買い物など、生活の足として習慣化して使用しているのなら日常の道具です。

仮に私がママチャリも所有していたとして、日常の足はそちらを使い、遠近にかかわらず、散歩や町の探訪、旅にはブロンプトンを使うというような分け方をするだろうかと想像してみるのですが、徒歩や原付、自家用車の利用も含めて、私の場合は全く使い分けをする理由が見当たらないのです。

 
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「この自転車はあなたにぴったりと寄り添うような、そんな製品ですよ」と最初に購入するときに言われました。

実は私、はじめてブロンプトン購入したのが2010年の6月なのですが、その年の夏は旅以外の場面では一切乗りませんでした。

当時の私はとても太っていて、夏の暑い時期に自転車に乗るなんて冗談じゃない、涼しくなってから乗ろうと、ピカピカのブロンプトンはDANさんと旧東海道の旅へと出かけるときのみで、それも京都まで行こうと言い出した手前半ば仕方なく持ってゆくという状態でした。

 
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(あのときも暑い夏でした―薩埵峠)

幸運なことに、その旧東海道を巡る旅が、私にブロンプトンという自転車の素晴らしさを教えてくれました。

私たちが折りたたみ自転車で尺取虫の旅を日本橋からはじめたのは、2010731日早朝のことです。

1日目は日本橋から小田原まで走りました。

日本橋に5時半に行くこともさることながら、小田原まで一日かけて自転車で走って、まだ余力があるのに、帰りは電車で帰れるという点に、歩いた時とは次元が違う便利さを見出しました。

(歩いた時は日本橋~小田原までのべ3日を要し、毎回往復の交通費がかかりました)

 
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(道なき道をゆくのは男の浪漫…広島県東広島市)

そこで秋口ごろからは、小旅行に出るときはいつもお伴につれてゆくようになりました。

すると、どこへ行くのにも便利な道具だと気がつき、冬が来る前には日常の足としても使うようになりました。

もともとお出掛けオタクで道オタクだった私は、同じ場所へゆくのにも、様ざまな経路を試すことをしてきたのです。

 
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(モデスチンにスリスリしても何も出ませんよ)

すると、目的地が隣町であっても、一本別の路地に入ったところで、いつもとは違う風景が広がっていることに気がつきました。

また、同じ道でも、季節によって咲く花々が違うことや、年を経るごとに変わってゆく街並みに気がつくようになりました。

そうこうしているうちに、これがお出掛けのお伴に乗る特別な自転車なのか、普段乗りの自転車なのか区別がつかなくなってしまいました。

最初に言われたように、いつの間にかブロンプトンの方から私にぴったりと寄り添っていたのです。

自転車があるからどうこうするというよりは、自分のしたいことに自転車をどう活かすかが面白くて仕方なくなってしまったのです。

 
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(私にブログを勧めてくれた喫茶店のマスター、今はお店も無くなってしまいました。)

振り返ってみると、西欧流に日常に対する非日常、仕事や生活に対する旅やレジャーというように、二分して考えること自体、私にとってはあてはまらないのでしょう。

今の私は、ブロンプトンとは非日常の中に日常を振り返らせてくれる、そして日常の中に非日常を発見させてくれる道具なのだと感じています。

おかげで、私にとって特別な非日常である旅の途上にあっても、そこに住む人々の生活を垣間見ることができ、また何気ない日常とは、実は偶然という名の奇跡で編み上げられていることに、時おり思いを馳せることができる道具になっています。

なぜなら、ブロンプトンをつれてゆかなかったら、一生下車することも無かった駅へ降りたつことができ、ブロンプトンで走らねば、一生出会うこともなかった人たちと触れ合うことができるのですから。

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(長良川河口)


 

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