先日、ある教育者の方と話していて、学生時代に宿題をするときに音楽を聴いていたかどうかという話になりました。
静かにならないと課題に集中できないという人がいる一方で、ひとりで勉強するときは音楽をかけないと駄目という人もいます。
でも、たとえば電車の中で本に夢中になると、乗り過ごしてしまうくらい何も聞こえなくなるじゃないですか。
あんなに騒音やアナウンスが飛び交っているにもかかわらず。
結局、音楽を聴くことに集中してしまったら、勉強ができなくなるわけで、あれはリズムをとるためのメトロノームのような役割をしていたのかなと思います。
高校生のころ、洋楽ポップスやロックが流行っていましたが、数学をやるときは割とテンポのよい曲を聴いていました。
けれども、英語をやるときは言葉がかぶってしまって全く駄目で、できれば歌詞のないクラッシックなどを聴くようにしていました。
ところが、昼間は授業と部活で、通学は片道1時間以上かかっていたので、帰ってきて宿題をやっていると、どうしても眠くなってしまいます。
とくにクラッシックなんか聴いていると、上の瞼と下の瞼が自然にあわさってゆくという感じで、あれ、だんだんと教科書や問題集の文字が斜めになって、クロスしたり二重になったりしてゆくのです。
で、無意識にウトウトしていると、突然曲のクライマックスになって「ハッ」として目が覚めるということが良くありました。
で、ここからが本題なのですが、クラッシックの場合、居眠りしながら聴いていた曲というものは、名前が定かではないのです。
たしか誰それのLP(今だったらCD、じゃなくて音源)を聴いていた気がするのですが、なにぶん一曲が20分以上の長い曲が3曲だったりすると、一部だけフレーズを覚えていても、それがどの曲のどの部分であるのかが分りません。
たとえば、その曲の主題がわりと冒頭に出てくる曲目(例;ワーグナーのタンホイザー序曲→"Overture"Tannhäuser)などは、「ああ、この曲は知っている」と気づきやすいのです。
下のようにYoutubeで聞けば、冒頭にも出てきますし、3分以内に主題が顔を出します。
対して、その曲で一番有名なフレーズが中盤から後半にかけて一度しか出てこない曲などの場合、「あれ、フレーズは分るけれど、誰の何という曲かわからない」となってしまうのです。
これがロックやポップスなら歌詞から辿るという手もありますが、クラッシックの場合は調子だけなので探しにくいのです。
そしてこの前ブロンプトンで走っていたら、突如としてあるクラッシック曲のフレーズが頭に浮かびました。
なぜでしょう、足を動かしているものだから、突然頭の中のシナプスが働いてしまうのでしょうか。
それとも、とあるアイドルグループやシンガーがクラッシックを編曲して歌っていものだから、それが耳に入ったのでしょうか。
走りながら、スラブ系の作曲家だった気がしてきました。
チャイコフスキー、ドボルザーク、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィッチ、いや、たしかラフマニノフだった…。
ピアノとオーケストラだったからピア協かな?と思い、帰ってからラフマニノフのピアノ協奏曲を1から3番まで聴いてみたのですが、出てきません。
おかしい、確かにアルバムはラフマニノフだった、ジャケットのデザインも何となく覚えているのにと途方に暮れているところで、今はネットの時代とばかり検索方法を探してみました。
すると、おあつらえ向きのサイトが見つかりました。
鍵盤をたたいてフレーズを入力したら、曲名を検索してくれるサイトです。
でも、フレーズが分っても正確なスケール(音階)を知らなくて大丈夫なのでしょうか。
そこで、頭の中で覚えているフレーズを適当に入力したところ、出てきたのはヘンデルのオラトリオ、ユダス・マカベウス(→Judas Maccabaeus)。
違う、違う、それでは「勇者は還る」になってしまい、表彰式の音楽です。
もう一度気を取り直して、今度はリズムに注意して鍵盤にて入力してみました。
すると、出てきました。
ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲(→RachmaninovRhapsody on a Theme of Paganini)です。
この曲、イタリアのヴァイオリニストで作曲家のニコロ・パガニーニが作った曲の主題を用いて別の変奏を試みている作品です。
序奏から第24変奏まであって、演奏者にもよりますけれど、大概は曲全体で20分以上かかります。
全体が陰鬱な雰囲気なのに、ちょうどおはこにあたる第18変奏だけが映画音楽やフィギュアスケートのプログラムに選ばれる超有名でダイナミックなフレーズなのです。
(これとて反転引用には変わりないそうですが)
上記ウィリアム・カペルの演奏は第16変奏からなので、3分過ぎからそのフレーズが出てきます。
日本語でなら、「ラフマニノフ パガニーニ 18」で検索すると出てきます。
似たような曲に、ブラームスの交響曲第1番があります。
カラヤン指揮のベルリンフィルの演奏は46分ちかくあります。
こちらは曲が進むにしたがってだんだんと明るくなるので、まだ良いのですが、誰もが知っている部分は第4楽章の後半に出てきます。
上記の動画なら33分20秒あたりから先を聴いてみてください。
演奏時間の長い交響曲などベートーベンの「ジャジャジャジャーン」(…「運命」です)しか知らない人も、一度は耳にしたことのあるフレーズだと思います。
なお、埋め込み動画に2つもカラヤン指揮のベルリンフィルが出てくるのは、自分の誕生日が彼と一緒だからとか、学校でのあだ名が非常に近いものだったとか、関係ないです。はい。
こんな感じで少しだけクラッシックに興味を持ったら、次は演奏に合わせてスコア(楽譜)を眺めてみるというのはどうでしょう。
なに、譜面なんて読めなくても構わないのです。
何となく指揮者やピアニストになった気分で、曲の進行に合わせてスコアが表示される動画を眺めているうちに、曲調と楽譜の様子が何となく一致してゆきます。
そうこうしているとあら不思議、退屈で暗いと感じていたその他の部分もなかなか味があって、曲全体としてまとまりがあるのだということが、だんだんと分ってきます。
ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲
ブラームス 交響曲第1番
いまは音楽も文学も長い作品は敬遠されてしまう時代です。
時の流れるテンポが違うのでしょう。
歩くことより自転車、自転車よりオートバイ、オートバイよりも車といった具合に。
しかしそんな時代だからこそ、長くて忍耐を要する物事の価値が相対的に再発見されてもいいのじゃないかなと思います。
宝物は、意外に自分の足元に忘れられた形で転がっているのかもしれません。
あ、最初の話に戻りますが、宿題を作業として行う場合は、モーツァルトがはかどるらしいですよ。