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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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信州姨捨山・田毎の月にブロンプトンをつれて(その4)

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姨捨駅の西側の小さな踏切を渡ります。

線路が2段になっていて、踏切を連続して2つ渡る形になります。

というのも、姨捨駅が今どき珍しいスイッチバック形式になっているからです。

スイッチバックの行き止まりに駅があって、列車は折り返して坂を上り下りするわけです。

ただ、通過可能型といって駅を経由せずにゆくことも、駅で停車している列車を追い抜いてゆくことも可能になっています。

だから、鈍行列車のなかには優等列車や対向列車をやり過ごすために、姨捨駅での停車時間が長いものもあって、その間はホームで有名な景色を眺めることができるわけです。

なお、姨捨駅は無人駅でコインロッカーも無いので、ここにブロンプトンをたたんでしまっておくということはできないみたいです。

(駐輪なら問題なくできます)

イメージ 1
(スイッチバックの姨捨駅と、二段構えの踏切)
 

狭い小路の坂をくだり、小さな集落を抜けてゆくと、間もなく長楽寺の裏手の姥岩の上に出ます。

これが老伝説で老人を棄てた場所とも、最初にご紹介した二人の姫が月を眺めた場所ともいわれている頂のうえです。

まずはこの岩の上から、眼下に広がる善光寺平(長野盆地)を見渡してみましょう。

正面奥に見える街が長野市です。

その奥に斑尾山が見えています。

イメージ 2
(こんな小さな谷間にも田んぼがあります。形がかわいいでしょう)
 

右側からのびてきている尾根が五里ヶ峯といって、この山の中を上信越道と北陸新幹線のトンネルが抜けています。

五里ヶ峯が盆地に向かって落ち込んで途切れるその向こうに、同じような尾根が見えていますが、その先端が妻女山です。

そう、川中島の戦いで上杉謙信が陣をはった場所で、武田信玄はここへ「きつつき」という戦法で、裏側から別働隊をのぼらせて挟撃しようと目論みました。

けれども信玄の策を読んでいた謙信は、夜半に山をくだり川中島の八幡原へ布陣しました。

頼山陽の漢詩で有名な「鞭声粛々、夜河を渡る」の場面です。

つまり、妻女山の下で千曲川との交点あたりが川中島古戦場というわけです。

イメージ 3
(姥岩の背にBromptonを停めて、のぼってみましょう)
 

妻女山のさらに向こうには、岩菅山、笠ヶ岳、横手山など志賀高原の山々が見えていますが、薄すぎてどれがどれだか分かりません。

左手に目を移すと、山肌にスキー場のあるひときわ目立つ山が飯綱山と分かります。

その左手には妙高の山が見えるはずですが、雲がかかっていてはっきりしません。

こんなことなら双眼鏡を持ってくればよかったと思いました。

また、岩の右手には四十八枚田と呼ばれる、このお寺の持田が見えていますが、谷間をはさんで斜面の棚田を側面から眺める格好になり、ここからあの田に映る月を見るのはちょっときびしいかなと思いました。

イメージ 4
(夜は夜景がきれいそうですが、灯りの無い昔も月夜に照らされた善光寺平は美しかったのでしょう)
 

さてもう少し下ってお寺の正面にまわってみましょう。

山門のすぐ左には芭蕉面影塚があり、その裏手が月見堂です。

面影塚の側面には、芭蕉の更科紀行で有名な歌が彫られています。

 

俤や姨ひとり泣月の友

 

山門をくぐって境内に入ると、正面にのしかかるように姥岩がそびえています。

さっきは上から来てこの岩にのぼったので気付きませんでしたが、かなり大きな岩です。

大地震が来たらどうなるのだろうと、少し心配になるほど切り立っています。

岩の根元に目を移すと、おびただしい数の句碑があるのに気付きます。

古いものから新しいものまで、姥岩の裏手のお庭まで、あまりに数が多すぎて全部読んでいる暇がありません。

ここは昔から景色や月を眺めて歌を詠むのがステータスだったというだけありますな。

それに芭蕉はわざわざこの景色を眺めるために、木曽路を越えてここまで来たのですよね。

では、二三気になった歌を。

 

我心なぐさめかねつさらしなや おば捨山に照る月見て           よみ人知らず

あらハざぬ我心をぞうらむべき 月やハうとき更科の山           西行法師

入月をおしむこころのはらハれて 我影法師ものびあがりけり 高住

イメージ 5
(左;すぐ下に観音堂が建っています 右;姥岩から棚田をのぞむ)
 

自分も一句と思ったのですが、寝不足で朝早く起きて来たせいか、ぼんやりして思い浮かびません。

月を撮影するなんて、写真の趣味がない私には無謀にも思えてきました。

でも芭蕉同様そのために来ているのですから、とにかくやってみないことにははじまりません。

イメージ 6
(左;長楽寺正面 右;下から見上げた姥岩。落ちたら腕の一本や二本では済みそうにありません)
 

境内の右手奥に本堂があり、斜面の側には月見殿があります。

なるほど、ここで今でも善光寺平を眺めながら歌を詠んでいるわけですな。

そして姥岩に寄り添うようにあるのが観音堂です。

どれも江戸時代の中期から末期に建てられたものですが、かやぶき屋根のお堂が姥岩のまわりに散在しているさまは、ちょっと「閑さや…」でお馴染みの、山形県立岩寺を彷彿とさせます。

お寺自体はそんなに広くないのですが、とにかく歌碑が多いのには驚きました。

それから、ここから田に映る月を撮るのはちょっと無理だということも分かりました。

イメージ 7
(観音堂と本堂、右は観月堂内部)
 

そんなことを考えていたら、はや次のバスがお寺に到着する時刻が近づき、あわてて停留所を見つけ出しました。

時間になっても来ないのは、バスだから仕方ないのですが、最近はネットで接近情報を見ることができるようになったので、「もう通過してしまったのではないか?」と不安になる必要はなくなりました。

みると案の定、遅れて到着するようです。

ブロンプトンをたたんでカバーを掛けて、ストレッチをしながら待つこと5分、バスがやってきました。

これで再び姨捨駅にもどって、今度は棚田の方に向かいます。

夜に田に映る月を撮影できるポイントは、果たしてあるのでしょうか。(つづく)

イメージ 8
(行かなかったのでレポートできないのですが、お寺の上に猫カフェがまじであるみたいです)



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