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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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お金をいただいて文章を書くことの大変さ

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 わたしは昔から読書が好きだったものですから、中学生の頃は「旅」をテーマにもの書きになりたいなどと身の程知らずのことを考えていました。
大学生になっても、出版社に勤めたいなんて思って学内誌編集の手伝いなどをしていたのですが、いまの出版不況や自分のやりたいことを考えてみると、あの時に就職したのが旅行会社で良かったのかな、などと思っています。
こうしてブログを書くことで、そのときの夢が形を変えてかない、つまらない文章を読んでいただけるのも、ありがたく、しあわせなことだと感じています。
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(今日は本文とは関係ありませんが、鎌倉の渋めのお寺で撮った写真を並べてみます-光明寺)
 
 内容は明かせないのですが、数年前からある本を翻訳させてもらい、その本が売れてゆくのを知ると、「本屋に並んだ自分の作品が、わが子のように思える」という作家の気持ちが多少わかるような気がします。
もっとも、その仕事は完全にボランティアなので、わたしにお金が入ってくることはないのですが。
でも、身銭をきって購入されている方がいると思うと、素人だからといっていい加減な翻訳はできなかったはずですし、校正もきちんとやればよかったと反省し続けています。
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(浄智寺)

今春、訳本と同じスタンスですが単発で原稿料をいただける仕事をさせていただきました。
依頼があってから、ある条件のもとにお引き受けして文章を作成し、その校正原稿があがってきたため、つい先日にファミレスで最終校正をしておりました。
本音をいうと自分の開店作業と重なってしまい、大変でした。
ほんとうは私、翻訳の仕事を長期にしてきたこともあって、印刷屋さんが普通に使用するDTPソフトなんかがPCの中に入っていたりします。
だから、「赤入れ」とよばれる校正を鉛筆で行う必要は正直ないのです。
でも、先方にそのことを伝えていなかったものですから、久々に最終原稿を推敲しながら、加筆修正を鉛筆と消しゴムで行いました。
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 (海蔵寺付近)

作業をしながら真っ先に気付いたのは、自分の作文は「くどい」という点です。
詩歌でもないのに、類似した表現が場所を変えて繰り返し出てくるため、思い切って削りました。
そういう表現は、時間を置いて読み直してみると、感情に任せて作文していることが多いのです。
日記やブログならそれでも良いのでしょうが、お金を出さないと購入できない雑誌への寄稿ですから、まずいのです。
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(英勝寺)

一文が長くて難しいというのも、読書魔の癖です。
いまは、短くてわかりやすい文章ではないと読んでもらえないというのは百も承知なのですが、素人のくせして難しい表現や言葉をついつい使いたくなるのです。
知識をひけらかしたいわけではなく、作文した時に読んでいる本の影響をもろに受けてしまうのです。
たとえば、「結局」の代わりに「畢竟」(ひっきょう)とか(笑)。
鎌倉のことを調べるために、仏教書を読んでいるからなのですが、ある先生の本に何度も出てくるのです。
読みもわからないし、いまどきそんな単語を誰も使いませんよね。
それから、「誰かを傷つけるのではないか」と思われる箇所は、削除修正しました。
その反対に、あまり自分の内心で「これは明かしたくない」と思っていることは、加筆しました。
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(東慶寺)

原稿料は、今のご時世にしてはけっこうな額だったので、真面目に校正作業を行ったわけですが、ものを書いてお金をもらうって、ほんと骨が折れました。
私としては、こうしてブログを自由に書いている方が性に合っているかもしれません。
ただ、DTPソフトを起動して、電子辞書を脇に置きながら、縦置きにしたマルチウィンドウで校正作業をしているときよりも、紙に向かって鉛筆を走らせては何度も消しゴムで修正し、という作業の方がやっているほうが楽しく感じました。
ファミレスの机上では消しゴムのカスがたまりましたが、ノートパソコンなんぞをいじっているよりも「こっちの方がクールじゃない」などと思ってしまうのです。
電動アシスト自転車よりも、ブロンプトン、電子書籍よりも、文庫や新書を好む私はアナログ派なのでしょう。
あっ、このブログの原稿はごく普通のワープロソフトで作文から校正まで行っています。
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(妙法寺)

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