桜の花咲く鎌倉の鶴岡八幡宮へ詣でたら、東隣にある横浜国大付属小学校の前を通り、清泉小学校方面へ行ってみましょう。
八幡さまから大塔の宮にかけての路地は桜並木のため、この時間帯だから誰もいませんが、週末の昼間は桜を目当てにする観光客で大変賑わう場所です。
下は大倉幕府跡の石碑付近。
大倉幕府の「幕府」は、鎌倉幕府のお役所という意味ではなく、「頼朝の私邸」くらいの意味合いだそうです。
さいきん、「いい国造ろう鎌倉幕府」ではなかった、という話をあちこちで見聞きしますが、そもそも頼朝が京都朝廷を向こうに回して幕府を造ったかどうか、疑わしいという点から論じられている話です。
こちらは頼朝のお墓。
どちらのお寺にあるのかと思いきや、島津氏が江戸時代後期になって建立したようです。
「石段の段数=頼朝の生きた年数」だそうですから、数えてみてください。
薩摩の島津氏と源頼朝がどうしてつながっているのか、疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
島津家の祖である島津忠久は、もとは鎌倉の御家人で、12世紀の後半に頼朝から薩摩・大隅の守護職に任じられているのです。
忠久のお母さんが、頼朝の乳母の子だった縁から、親戚づきあいに近かったという説もありますが、どうなのでしょう。
頼朝をお手本として江戸幕府を開いた徳川家康ですが、明治維新で倒幕の中心となったもと鎌倉御家人の島津氏や毛利氏から徳川氏をみたら、三河の田舎から出た新興勢力にしか見えなかったのかもしれませんね。
(徳川氏の母体である松平氏は、上野国新田庄つまり群馬県が出自の遊行僧と結びついたところが発祥です)