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『世に棲む日日』から吉田松陰・江戸周囲の足跡にブロンプトンをつれて(その10)

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『世に棲む日日』という小説は、文庫本で四巻(単行本では三巻)からなり、前半の主人公、吉田松陰は第二巻の中間あたりで処刑されてしまいます(安政61127日)。
松陰の刑死を萩にてきいた弟子の高杉晋作は、郊外の松本村にある松陰の実家に行って、師が寝起きしていた三畳間で半日を呆然と過ごしたそうです。
小説の後半は松陰の意志を引き継いだ晋作が主人公となり、彼の病死を以て終わっています。
だから、吉田松陰の足跡を江戸の周囲に訪ねる旅は、松陰の小伝馬町における処刑をもって終了するのが筋ですが、いま一度その後の話を追ってみましょう。
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(小伝馬町牢屋敷跡の隣にある大安楽寺 処刑場跡とのことです)

当時小伝馬町で仕置きされた罪人の遺骸は、千住小塚原の回向院(えこういん 35.732262, 139.797751)に無縁仏として葬られることになっていました。
といえば聞こえはいいのですが、実際はもちろん僧侶の読経も無く、墓石や目印を立てることも許されず、ただ骸を捨てて野に晒すだけのことです。
しかし、長州藩としてはかつて頭脳明晰で藩侯のおぼえもめでたく、将来藩の軍事を任せるつもりだった松陰の死を悼み、また彼が死後もそのような仕打ちをうけるのを黙認しておくわけにもゆかず、官吏や獄卒に相当の金を使って遺骸をもらい受ける工作をしたそうです。
 
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そして安政6年(1859年)1129日早朝、桂小五郎や伊藤俊輔(博文)らは、回向院で松陰の亡骸と対面するわけですが、四斗樽に入ったそれは、悲惨なものだったらしいのです。
衣服ははぎとられて何もつけず、もちろん首と胴は切り離されたまま血に塗れていたのを、水で洗い、自分たちの衣服を脱いで着せたうえで、回向院の敷地内に葬りました。
その時の様子は、同じ司馬先生の『世に棲む日日』の続編とでもいうべき小説『花神』の上巻に描かれています。
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(小塚原回向院)

それから4年後の文久31月、高杉晋作ら門人は回向院にあった松陰の墓を、長州藩主の別邸がある世田谷若林の大夫山(毛利大膳大夫という官名からそう呼ばれていました)に遺骸とともに移して改葬しました。
このとき、上野の三枚橋を渡る際に、わざと将軍家のみが利用を許される御成橋を強行して渡って、橋の番役人と揉めたという話が残されていますが、どうも明治になって講談のネタとして脚色された話のようです。
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(回向院の奥にある松陰の墓)

高杉晋作という人は、折りたたみ式の三味線を携行していて、道中旅籠に宿泊するたびに酒を飲んでは酌婦を侍らせて、手元の三味線をひきながら
「三千世界の烏を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」
などと絃歌を歌う、いわゆる「ごろつき」でした。
今でいったら、いいところの家柄なのに、実家やその会社組織、社会に対して反逆の姿勢をとり続ける、アバンギャルドなロッカーといったところでしょうか。
(この時点では品川御殿山に建築中の外国公館に放火するなんてこともやっています)
そんな雰囲気だから、のちにあれこれ武勇伝がついたのでしょう。
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(お隣にはやはり安政の大獄で斬罪に処せられた橋本佐内、頼幹三郎の墓もあります)

話を戻します。
高杉らが松陰の墓を改葬した場所が、いまの松陰神社(35.646866, 139.656055)です。
幕末期に徳川勢によって一時破壊されましたが、明治になって桂小五郎改め木戸孝允が修復しました。
本殿に向かって左の奥に松陰の墓があり、反対側には松下村塾のレプリカが建っています。
なお、松陰神社から800m西には、松陰を強硬に処断した井伊直弼の眠る、井伊家の菩提寺豪徳寺(35.648772, 139.647436)もあるので、ついでに行って見るのも面白いかもしれません。
あちらは、彦根藩2代目藩主、井伊直孝が猫によって命拾いしたという故事から、招き猫がたくさん奉納されています。
回向院と松陰神社の間を移動するなら、小田急線の梅ヶ丘駅から代々木上原経由で千代田線を利用し、北千住まで行ってからひとつ上野寄りの南千住駅へ戻ると便利ですし、逆のコースもその経路がいちばんスムーズだと思います。
また、松陰神社から蛇崩川を下って中目黒に出て、そこから日比谷線の始発に座ってゆくという手もあるのですが、これは案内人がいないと無理だと思います。
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(世田谷区若林にある松陰神社—駐輪場があります)

さて、門人たちとケンカ別れのまま萩の野山獄に投じられ、そのまま江戸に送られて刑死してしまった松陰先生ですが、松陰の死後、弟子たちはそれまで過激な言動を控えるように師に諫めていたにもかかわらず、自ら過激の徒に変貌してしまいます。
このあたり、教えの内容は全く違うのですが、キリストとその弟子の様子によく似ています。
そういう意味では、弟子の中に松陰が復活し、日本の未来の姿を鮮やかに描いて見せたのだと思います。
でなければ、自らの死をも省みないような行為を門人たちがはじめた説明がつきません。
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(松陰神社境内にある松下村塾)

その松陰が小伝馬町の牢獄の中で、弟子たちに向けて書いた遺言『留魂録』のうち、一番有名な第八節を少し長いのですがご紹介したいと思います。
「松陰の文章には力がある」といわれるなかでも、絶筆としてもっとも心に残る部分です。
 
「今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。
 
つまり、農事で言うと、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。
秋、冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ち溢れるのだ。
この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるというのを聞いた事がない。
 
 私は三十歳で生を終わろうとしている。
 
 未だ一つも事を成し遂げることなく、このままで死ぬというのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから、惜しむべきことなのかもしれない。
 
だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのであろう。
なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。
人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。
十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。
二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。

十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。
百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。
 
私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。
それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。
 
もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。
 
 同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。」
(古川薫全訳注「吉田松陰 留魂録」講談社学術文庫より)
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私はこのくだりを読んだとき、すぐヨハネの福音書を思い出しました。
読書魔の松陰先生はてっきり聖書の抄訳を読んでいたのかと思ったほどです。
 
「よくよくあなたがたに言っておく。
もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。
しかし、死ねば、豊かな実を結ぶ。」
(聖書「ヨハネによる福音書」フランシスコ会訳注)
そして聖書はこう続けるのです。
「自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る。」
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(木戸孝允寄進の鳥居をくぐった奥に、松陰先生のお墓があります)

「自分の命」を「自己中心的に生きることしかできない人間の業」と読み替え、保つそれは、「自己中心的な自己を自覚し続けること」と読み替えなさいと中学の時に教わった記憶があります。
そういう文脈からすれば、松陰先生もまた自己中心的な自分を痛々しいほどに自覚する性分で、だから門人たちとの間を「きみとぼく」と呼び、何かを教えてやろうということではなしに、ともに学び続けるという姿勢を大切にしていたのかもしれません。
主義主張は別にして、吉田松陰という人が今も人をひきつけてやまないのは、そういう彼の硬質な純粋性ゆえだと思うのです。
東京、浦賀、伊豆下田と巡って再び東京に戻った旅でしたが、どこでもその純粋さを感じていました。
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なお、このブログの題名についてヒントにさせていただいた『旅は驢馬をつれて』や『宝島』の著者、R.L.スティーブンスン作の短編集“Familiar Studies of Men and Books”の172ページには“YOSHIDA-TORAJIRO”と題された松陰先生の簡単な伝記が載っています。
松下村塾の最後の門下生だった子どもが、20年後の明治になって留学でイギリスにわたり土木工学を学んだあと、再び教師招へいのために渡英し、その機会に夕食の席でスティーブンスンに語った内容がもとになっているのだそうです。
人と人とは時間や空間を超えて、不思議な邂逅を果たすことがあるというところで、このお話をおしまいにしたいと思います。
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