(右;大桟橋に停泊する大型旅客船。ここから見ても巨大です 右;テラスから見るベイブリッジ)
港の見える丘公園のところで、中途半端になってしまったこのシリーズの続きです。
前回、この公園が歴史ある横浜の公園群の中でもかなりの新参者であることはお伝えしました。
山下埠頭側の斜面はフランス山公園と呼ばれ、かつてのフランス領事館の遺構(35.441315,139.653446)が残っています。
丘の上にある「愛の母子像」については以前に説明したとおりです。
そして、バラ園の向こうにあるのが1937年に建てられた旧イギリス領事公邸です。
(左;AHHW 右;UW)
ではフランス領事館やイギリス領事公邸が立てられる以前は何があったのでしょう。
幕末から明治にかけて、ここには英仏の軍隊が駐屯していたといいます。
フランス軍がフランス山、イギリス軍が公園からいまの岩崎博物館にかけてのあたりの場所に兵舎を並べていました。
幕末に、生麦事件をはじめ外国人殺傷事件が相次いだため、居留民の保護を目的として駐留したのがはじまりだそうです。
(沈床花壇。奥に見えるのが大佛次郎記念館)
最盛期には仏軍300人、英軍1,000人といいますから、当時の日本としては相当な数の外国軍隊がここに構えていたということになります。
その頃の日本人は外国人と接触すると身が穢れるとか、日本の土地が汚されていると考える人たちがたくさんいました。
しかし、日本が開国と同時に文明開化に突っ走り、10年も経つと攘夷の欠片もなくなって、軍隊を置いている意味がなくなってしまったといいますから、世情のもの凄い変化があったのでしょうね。
(ローズガーデンと横浜市イギリス館=旧英国領事公邸)日本人って、そういうところが昔からあるみたいですね。
一億玉砕が一朝一夕に総懺悔になってしまったのは致し方ないとしても、それまでやれ八紘一宇だの国体護持だのと叫んでいた人たちが、急に民主日本に鞍替えしたのについて行けなかった人も大勢いたとききます。
パソコンだって90年代のはじめには、「一家に1台なんて時代がくるだろうか」なんて言われていたのに、いまやスマホ(当時の言葉でPDA)がゆきわたり、昔からのような顔をして情報の海にだれもが漂っている感じです。
そう言う意味では、10年後、20年後に日本がどんな方向へ突っ走っているのか、希望でもあり、恐怖でもあるわけですが。
(左;ビクトル・ユーゴーは「ああ無情」の作者ですね 右;一輪だけというところがまた彼女の寂しさをあらわしているようでした)話を公園に戻しますと、軍隊が引き上げたあとに領事館と公邸が建ち、それを横浜市が買い戻したのが1969年から1972年といいますから、ここがきれいになる前はどうだったのか、覚えている人もたくさんいらっしゃるみたいです。
(私は小さかったので全く記憶がありません)
いまは港を見下ろす側に展望デッキ(35.440582, 139.654664)がついていて、ちょうどベイブリッジが正面に見えるようになっています。
(バラ園にはベンチもあるので、T.Sエリオットとか、ハーバート・スペンサーなんか原文で読んでたらかっこいいですよね)デッキの横にはアニメ映画の舞台として、国際信号旗が掲げられています。
何でも上がUで下がWで2字信号として「安全航海を祈る」という意味らしいです。
そうすると俄然気になるのがKKRホテルの脇、東洋信号通信社の無線アンテナ塔(35.440713, 139.654112)にはためく4字の旗流です。
いつも同じ旗を揚げているから、場所をあらわしていると想像はしていたのですが、上から“AHHW”で「こちら本牧鼻(岬)」という意味らしいです。
なぜAHHWが本牧岬なんだろうと思ったら、こちらの官報にYokohama Signal Stationのコードだと明記してあります。
(6頁の"Positions and call signs"の(d))
(6頁の"Positions and call signs"の(d))
そうか、船舶信号所にもIATA(国際航空運送協会)の定めた都市コードみたいに、国際コードが割り振ってあるのですね。
(左;ハーヴェストなども植えてあります。右;バラ園から見るベイブリッジ)ちなみに横浜のCity CodeはYOK、東京はTYO、福岡はFUKで札幌はSPKです。
これとは別に空港コードというものがありまして、飛行機に乗ると荷物のタグについているのでご存知だと思います。
大阪(OSA)とは別に、伊丹ならITH、関空ならKIXというように、ロンドン(LON)に対してヒースロー(LHR)、ガトウィック(LGW)、スタンステッド(STN)というふうにそれぞれ割り振ってあります。
でも、だんだんスリーレター(26×26×26)じゃ賄えなくなって、空港名と全然違う字をあてがわれたり、航空会社コードなんて数字をあてられたりしています。
なお、秋葉原がAKBで上海がSNHなんてことはありませんのでご注意を。
前者はそんな小さな地区に割り振りはないし、後者は正しくはSHAですから。
(もと領事公邸は、応接部と居間とで開口が裏表(東西)対象になっているのが面白いです)公園の中には一段低くなった場所に噴水(35.439897, 139.654989)が設けてあります。
これは沈床花壇といいまして、目線を変えるためにわざと段差をつくる西洋庭園の手法です。
その手前、正面入口から入ってすぐ右側にはバラ園(35.439817,139.654392)があります。
ここにローズガーデンを造成したのは平成元年とかなり最近です。
でも、横浜は当時船舶航路で結ばれていたシアトルに石灯篭を寄贈したら、返礼としてバラの株を200種3000本も贈られて、それを記念して昭和のはじめから戦争前までバラ祭りというのを行っていたそうです。
バラって開花期がバラバラ(オヤジの駄洒落ですみません)ですが、四季咲と一季咲きの重複する今頃が一番咲いているみたいですよ。
なお、品種名を見てゆくと面白いです。
意外にも人名が多いのです。
ヨハン・シュトラウスとかチャイコフスキーなどの作曲者名があるかと思えば、プリンセス・ダイアナなんていうのもあります。
薔薇は香水の関係もあって品種改良が盛んなのですね。
(イングリッシュ・ガーデンと、イギリス館の裏手にある噴水)英国領事公邸=現・横浜市イギリス館(35.439394, 139.654380)は1937年(昭和12年)、大英工部総省の設計により建てられました。
道路側が応接スペースで、公園側が居住スペースなのですが、中はまた改めてご案内しましょう。
とにかく外見も中身も広くて大きくて、とても個人では維持できそうにない館です。
また、公園側のイングリッシュ・ガーデンとこの建物は、ブロンプトンにお似合いですよ。
なんたって、横浜の中で一番英国を感じる場所ですから。
(山手111番館。右のように正面から見ると小さく見えます)さてさらに奥にゆくと車寄せのような広場に噴水があり、その向こうにあるのが山手111番館(35.438775, 139.654758)です。
こちらはベーリック・ホールと同じくJHモルガンさんの設計で、1926年(大正15年)の建築です。
周囲に大きな木がないせいか、日当たりがよくて南欧風の外観と相まって明るいイメージです。
きっと横浜の洋館群の人気投票をしたら、女性部門で第一位をとるのではないでしょうか。
道路側の正面から見ると小さくて可愛らしいイメージですが、側面にまわると奥行があって大きな家だとわかります。
また裏側は下り斜面になっているため、正面から見ると総二階に見えるのに、後ろは三階建てに見えます。
中にはこれまた女性に人気のありそうな喫茶店が入っています。
(左;山手111番館も裏から見ると相当大きく見えます 右;裏手には斜面を利用した西洋式庭園があります)
そして山手111番館から少し戻って海の方へゆくとあるのが、煉瓦壁の目立つ大佛次郎記念館(35.439343, 139.655308)ですが、今回も脱線ばかりして関係のない話を入れたために、また長くなってしまいました。
次回こそは、記念館から近代文学館とワシン坂の方へご案内したいと思います。
横浜山手の坂道をブロンプトンでのぼる(ルート図その2) http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=601c30ef5fa70e21374176c1dffb6fc7