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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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風に強い日に―直接船が着岸できなかった横浜港のむかし

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横浜港は1859年の開港以来、1894年に鉄桟橋と呼ばれた今の大桟橋の前身である係留施設が建設されるまで、実に35年もの間、大型船は直接港に船を横付けできませんでした。
つまり、今の離島航路のように、沖合に停泊した船から艀や小舟を何回も往復させて乗客や船荷を運んで上陸・陸揚げしていたそうなのです。
だからテレビや映画などでたまに見かけますが、明治中期までに船が横浜港に接舷し、直接タラップをおりて上陸するシーンは、実際にあり得なかったのです。
これに対して、やや遅れて1868年に開港した神戸港(前身は兵庫港)は、1872年ごろまでには第1から第4までの波止場(第3波止場がのちのメリケン波止場)が開設され、1886年に高浜岸壁が拡張されたため、当時の寄港船舶にとっては横浜港よりはるかに便利な港だったそうです。
イメージ 1
(横浜の海は冬場の良く晴れた偏西風の強い日に、波が湧き立つような表情をみせることがあります)
 
当時の横浜港は今の象の鼻パークが東波止場(通称イギリス波止場)と呼ばれていました。
そしてホテルニューグランドの前あたりの場所に東波止場よりもっと小さな突起の西波止場(通称フランス波止場)があるだけでした。
(西波止場は関東大震災の瓦礫で山下公園を造成する際に、完全に埋め立てられて消滅しています)          
復元された象の鼻パークをみると分かりますが、とても大きな船をつけることはできません。
毎年冬になって北風が吹くと、波止場には押し寄せる白波が砕け散り、小舟に乗って上陸する乗船客は、頭からつま先までずぶ濡れになったといいます。
いまでも秋から冬にかけて、風が強く波の高い日に山下公園の水際まで寄ってみると、押し寄せた波の水しぶきが高くあがって、観光客がキャァキャァいいながら逃げている様子を見ることができます。
いま日本屈指の入港船舶数、出入貨物量を誇る横浜港も、開港当初は苦しい時期が続いたようです。
こんな状態で35年も放置されたわけは、大桟橋をご紹介するときに改めて書こうと思います(まぁ、早い話が先立つものが無かったというわけですが)。
イメージ 2
(写真では分かりにくいですが、この日は柵の内側まで飛沫が飛んでいました)

今回の文章は『横浜港の七不思議』田中祥夫著 有隣新書 を参考にしました。

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