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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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『世に棲む日日』から吉田松陰・江戸周囲の足跡にブロンプトンをつれて(その3・鎌倉編)

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前回は吉田松陰が長州藩の過書手形(旅行許可証)を持たずに旅行をして、侍の身分を剥奪されたものの、「見習い」として籍だけを残し諸国へ遊学する許可をもらって旅に出て、再び江戸へ舞い戻って早々、鎌倉の叔父を訪ねるというところまでお話をすすめました。
松陰の母方の叔父が、鎌倉の瑞泉寺(臨済宗)で第二十五世の住職に就いていたというのは、意外と知られていません。
瑞泉寺といえば、鎌倉宮(地元の人は「だいと(う)のみや」って呼んでいます。バス停がそう発音するもので)のさらに奥の行き止まりにあるお寺で、山奥というか谷津奥のせいか鎌倉の中でも最も静寂なお寺として、写真をやる人たちの間では有名です。
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(左;東海道とかまくら道の分岐点、戸塚の吉田大橋 右;早朝の鎌倉駅)
 
松陰が中山道を通って江戸に再び入ったのが1853年の5月下旬。
あいさつ回りを済ませて二、三日後の5月中に鎌倉へ向かったそうです。
おそらくは江戸から鎌倉までは東海道を戸塚までゆき、そこからかまくら道に入るという、昔の横須賀線のルートで歩いたのでしょう。
早朝に江戸(今の八重洲)を発ち、旅疲れの足をものともせず、その日の夕方には鎌倉に着いたということなので、現代人からみたら超健脚です。
叔父の名は竹院といって、すでに初老の紳士でした。
松陰が会うのは萩で子どものころに一度、先に江戸留学の際と、今回が三度目です。
その再会の様子を抜き出してみます。
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(左;鎌倉宮 右;瑞泉寺へのぼってゆく際に最初に現れる小さな門。ブロンプトンなら何とか乗ったまま坂道をのぼってゆけます)
 
『この日、よく晴れて夕焼けがあざやかであった。松陰が山門へ近づくと、たまたま竹院上人は門外に出て路上を掃いていた。齢は五十を越えている。
「上人っ」
松陰は子どものような無邪気さで駆けだした。むやみに路を駆けることはこの当時の武士のしつけにはずれることであったが、松陰はこういうあたり、少年とかわらない。
「寅次郎か」
竹院も、松陰自身の表現によると、ヨロコブコトハナハダシ、で、すぐ松陰の肩を抱くようにして山門に入れ、松陰がふと気づいてあいさつしようとすると、
「まあまあ、あとで」
と、庫裡の土間でわらじをぬがせ、運よく湯が沸いているぞ、このまま湯にはいれ、湯あがりであいさつを受けよう、といってくれた。』

(司馬遼太郎著『世に棲む日日』() 文春文庫より)

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(拝観料を支払ってブロンプトンを駐輪し、奥に入ってゆくと階段は新旧二手に分かれます)


文章を読んだだけで映像が目に浮かびますよね。
司馬作品は小説でして、ノンフィクションではありませんし、この当時とは瑞泉寺の様子が変わってしまっているのは当たり前なのですが、それでも、まるでその場で見ていたかのようなこういう描写が人気のもとなのでしょう。
松陰が残した日記と現地の取材だけで作文し、読む人々の瞼にその情景をありありと浮かばせるところが、司馬先生の偉大なところなのだと思います。
今でもここを読んだ後に瑞泉寺へと続く階段をのぼってゆくと、向かっての左手の古い階段の上部を、子どもっぽい松陰の肩を和尚が労うように抱えてのぼってゆく二人の後ろ姿の幻影を見るような気がします。
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(古い方の階段をのぼってゆくと、いちばん上の左脇に「吉田松陰留跡碑」があります)
 
小説の中で松陰は、叔父からいたずらっぽく「罪人」になった気分を尋ねられます。
少し黙した後、全く後悔していない瞳で「いまは、よかったと思う」と答えた松陰に、どうしてそう思うのか、かさねて理由を尋ねます。
そこで松陰は家の学問(山鹿流兵学という鎌倉後期から続く軍事学)が嫌になったこと、日本の現状を見て、自分の学問では外国からの脅威に対抗できないこと、だから佐久間象山の門下で学んでいるけれども、それでも限界があることを素直に話します。
これまた有名な話ですが、吉田松陰は養子に出された家が軍事学専門の家で、11歳にして藩主に軍事学を講釈したときの巧みさから、萩では秀才と認められていました。
字をやっと読めるようになった時から、まるで根性ドラマのような方法で漢学や日本史を叩き込まれ、父方の叔父であり師匠でもある玉木文之進から文字通りの虐待を受けながら学んできました。
(虐待の様子を見ていた母、滝が「寅次郎(=松陰のこと)、いっそ死んでおしまい」と念じるほどだったそうです)
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(瑞泉寺山門と入ったところに広がる庭)
 
吉田松陰関係の書籍を読んでいるとき、どうしても疑問に思うことがあります。
それは、これだけむごい環境で学んだ松陰が、自分の家学は嫌になったとしても、どうして学ぶこと自体を嫌いにならなかったのかという点です。
それに加えて、ひとに学ぶ楽しさを教える教師としての顔を持ち続けていたことも不思議です。
自分だったら、そんな方法で学ばせられたら、本を読むこと自体がトラウマになってしまうのではないか、他人が楽しみながら学んでいるのを見たら嫉妬心を起こすのではないかと想像するほどの、悲惨な学び方だったのです。
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(本堂と庫裡の入口)

ずいぶん前に、仕事で萩へ行ったときに、雑談ついでに博物館の人にその質問をぶつけたことがあります。
すると、松陰は養子に出された家ではなく、実家の方がもともと本好きの家で、お母さんも「本がたくさんある家に嫁ぎたい」とお嫁に来た人だということを教えてもらいました。
「だから生まれつきの本好きだったのでしょうね」というのがお答えでした。
これってどんな暴力をもってしても、その人生来の自由だけは奪えないということでしょうか。
いまは本が好きだからという理由で本屋さんの跡取りと結婚する人なんて、いないでしょうね。
現実には斜陽産業ですし。
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(瑞泉寺といえば、この夢窓国師作と伝えられる庭園が最も有名です)
 
けれども『読書は人生』という本が三木清先生の著作にある通り、私も本がたくさんある家に育ったから本好きになった気がします。
図書館や古書店でも同じなのですが、たとえ自分に興味がない、あるいは読めもしない英字の本ばかりだったとしても、小さいころから本のある環境に育つと、まるで野山で育った人が森に来ると落ち着くように、本に囲まれているだけで落ち着きます。
友だちの家が雑誌の編集者の家で、玄関近くの廊下にまで本が平積みされている家だったのですが、雑然さを恥じる友だちをしり目に、自分には「なんて幸せな環境なのだろう」と感じました。
今でも家に来て書棚を飽きもせずに眺めている人には、同じ匂いを嗅ぎとります。
だから、子どものいる家では押し入れのような狭いスペースでも、片隅の本棚でもよいから、書斎あるいは読書コーナーを家に設けた方がいいですよというのが私の持論です。
もちろん、大切な本でも子どもの好きにさせてあげる度量も併せて必要だとは思いますが。
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(参拝を済ませて駐輪場所へ戻ってきたら、ご同輩が…あれはブラックエディションじゃないですか)
 
話題を小説に戻しますと、「限界がある」という松陰に対し、叔父は禅僧らしく「何を考えているのかすべて話せ」と迫ります。
しかし松陰は心の中にある漠然とした考えについて打ち明けぬまま、お寺の小僧さんと5月いっぱい瑞泉寺を拠点に鎌倉や江の島を遊覧してから江戸へ戻ります。
おそらく彼のことですから、事細かに日記に見た場所を記していたのでしょう。
小説の中に司馬先生が転記しています。
それによると、頼朝墓、島津忠久墓、荏柄天神、補陀落寺、由比ガ浜、大仏、袖ヶ浦(おそらく袖の浦の誤記=七里ヶ浜)、江ノ島となっています。
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(頼朝のお墓。近くの清泉小学校の子どもたちが模造紙で説明してくれていて、これがなかなかいい味出しているのです。自分も小学生の時、こうした発表をよくやっていました)
 
これをみると、当時の観光スポットが今のそれと多少ずれているのが分かります。
鎌倉へ足しげく通っている人でも、補陀落寺(材木座にあります)はなかなか行かないですし、頼朝のお墓なんて八幡さまへは何度通っていても、わりと近くにあるにもかかわらず、場所すら知らないという人がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
有力御家人の島津忠久(-1227)なんて、人物を知っているだけでかなりの日本史オタクだと思います。
荏柄天神は、鎌倉在住の受験生でもない限り行きませんよ。
これに対して大仏や七里ヶ浜、江の島は当時から定番の観光コースだったのでしょう。
その一方で、八幡宮をはじめ、鎌倉では当時でも大きかったはずの禅宗や日蓮宗のお寺が入っていません。
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(松陰が鎌倉観光で巡ったポイント)
 
そして鎌倉から江戸へ戻った直後に、吉田松陰という人の人生を決定づける重大事件が起きるのですが、この段階では当のご本人も、いや日本人の殆どがその出来事を予期すらしていません。
後世の人は、この後松陰が何をやらかすかを知っていますから、この時点での彼の心のありようは読めます。
しかし、その時代の人にとっては、懲戒免職にまでなっても旅がやめられないこの若者が、この後にまたもや「旅」がらみで突拍子もない行動に出るとは、たとえ親戚の叔父さんでも想像だにできなかったと思います。
ということで、次回、この時点では四国あたりの沖合を黒潮にのって東進する4隻の黒い船のお話へと続くのでした。
ベンベン。
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(左;鎌倉大仏 右;稲村ケ崎から七里ヶ浜の向こうに江の島を望む)



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