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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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TY04祐天寺駅

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(左がまだ使われていた去年の駅舎)

子どものころのかすかな記憶なのですが、東横線のこの付近が今のように高架線になる前のことです。
祐天寺の駅には短い引き込み線が付属していて、そこに石造のおおきな蔵のようなものが建っていて、なにか大きな荷物の積み下ろし作業をしていたのを覚えているのですが、あれが何だったのか思い出せません。
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その祐天寺駅ですが、いまは改装工事の最中です。
何でも待避線ができて、各駅停車を急行や特急が追い越すことができるようになるのだとか。
あの、東横線住民といたしましては、今でさえダイヤが複雑なのに、これ以上難しくなると、目的地に的確に到着するにはどの列車に乗ったらよいか、いっそう分らなくなるのですが…。
え、スマホの乗換ナビ用のアプリを使えばいい?
時刻表オタクの浪馬としては…ムニャムニャ。
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 (駒沢通りの向かい側からみた祐天寺山門)

ということで、祐天寺といえば当然そのものについてご紹介しないわけにはゆきますまい。
祐天寺(35.636405, 139.697038)は浄土宗のお寺で、開基は祐天上人、創健は1718年で享保年間です。
祐天上人は茨城県磐城郡(現在のいわき市)の出身で、増上寺で修行ののち(あまりに記憶力が悪く、経典が覚えられなくて、一度破門されたみたいですが)徳川五、六代将軍(綱吉と家宣)の帰依を受け、下総国(現在の茨城県)のお寺の住職を歴任した後に、増上寺の法主までのぼりつめたお坊さんです。
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 (山門をくぐるともうひとつ門があります)

晩年はいまの祐天寺がある場所に庵をむすんで隠棲していました。
82歳で亡くなるのですが、最期に弟子の祐海に対し「未来の衆生済度(しゅじょうさいど=皆が救われること)に備え、お寺を建立しなさい」と遺言したため、時の将軍吉宗の許可をもらって上人を開山と仰ぐこのお寺ができたわけです。
また、祐天上人は真言宗や天台宗など密教系のお坊さんではなかったのに、呪術師としてのエピソードが多く、怨霊に呪縛されていた人を救ったというエピソードが多いのです。
今でいったら心療内科とかカウンセラーみたいなこともやっていたのでしょうね。
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 (その奥に本堂があります)

ことに有名なのが怪談として名高い累ヶ淵の説話の中で、主人公である累の怨霊を成仏させたというお話です。
「累ヶ淵」はあまりにも有名なお話でありご存知の方も多いと思います。
しかし、ちょっと込み入っているものの、簡単に説明してみましょう。
下総国羽生村(現在の常総市羽生町)に、与右衛門と杉という夫婦がいました。
与右衛門は生まれつき容姿が醜く、身体に障害のある杉の連れ子、助(すけ)を疎ましく思い、鬼怒川に突き落として殺してしまいます。
その後、杉との間に累(るい)という女児をもうけるのですが、この子が累に生き写しであったうえに同じ障害をもっていたため、周囲の人たちは助の祟りだと噂して、累のことを「かさね」と呼んでいました。
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 (こちらは本堂向かって左手にある、徳川五代将軍綱吉公寄進の阿弥陀堂)

両親の亡き後、累は病で苦しむ流れ者の谷五郎を看病し、彼の回復後に二代目与右衛門として婿に迎えますが、初代同様累の容姿を疎ましく思った谷五郎は、別の女と一緒になるために、やはり彼女を鬼怒川に突き落として殺します。
その後谷五郎と一緒になる女性は次々と病死や事故死を繰り返し、六人目の妻との間にようやく菊(きく)という娘をもうけるのですが、この菊に累の怨霊がとりついて谷五郎の非道を語ります。
人々は菊を救おうと、たまたま近隣に滞在していた祐天上人に助けを求めます。
いろいろ試行錯誤はあったようですが、何とか累の霊を成仏させたのも束の間、再び菊に別の霊が憑いたので、名前を問いただすと「す」という名前の断片と、子どもの霊である事しか分りません。
古老の話からそれが助の霊と分り、上人は改めて助も成仏させました。
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(茨城県常総市の法蔵寺には、累、助、キクの墓が三つ並んであります)

とまぁ、要約すると同じことが繰り返されて、怨みが重なってゆくというお話なのですが、この話をモチーフにして、江戸時代は歌舞伎や落語、その後は映画など様々な形で作品化されました。
中でも有名で今も気軽に触れることができるのは、幕末から明治にかけて活躍をした落語家の三遊亭圓朝が創作した「真景 累が淵」(岩波文庫)です。
お話自体は怪談を下敷きに、後日の出来事という形をとっていますが、基本的には同じく因果が連なってゆくお話です。
青空文庫にもなっておりますので、興味があったら読んでみるのも良いかもしれません。
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(水街道大橋から累ヶ淵=右岸・写真では向かって左側の岸の方向を望む)

ただ、話にかなりのボリュームがあり(九十六段)人間関係が、前述の怪談話よりもはるかに複雑なので、文庫本を買って読むことをお勧めします。
お話は大きく分けて前段が件の怪談、後段が仇討という人情話になっています。
中身は欲に目がくらんだ殺人、アルコール依存症、DV、ロマンス嗜癖、強請と、北方健三も真っ青のハードボイルドなのですが、落語家の人情話なのでどこか滑稽です。
最初はつまらない話だよと思って読んでいたのですが、中盤からその語り口に引き込まれて、しまいには電車を乗り過ごしそうになるほどでした。
そして最後に二つのお話が結びついて大団円をむかえるのですが、結末は「因果応報」でした。
「真景累が淵」については、明治から江戸時代を振り返った様子がよく伺えますし、創作話にしては珍しく、いまもその風情を残す田舎の様子が描かれていますので、後日改めて「スピンオフ」としてその舞台をブロンプトンで巡ったらご紹介しましょう。
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(なぜか道路のど真ん中にある芦毛塚)

もうひとつ、祐天寺駅の西側、ちょうど蛇崩川の東側斜面に当たる場所にあるのが毛塚(35.639208, 139.686562)です。
この塚のいわれには諸説ありますが、江戸名所図会によれば、頼朝が奥州征伐からの帰途の際、ここで乗馬していた芦毛という名馬が前進を渋るために、下馬して無理に手綱を引いたところ、馬の足元の土手が崩れて馬は蛇崩川に落ちてしまい、溺死したというものです。
ちょうど道路がこの塚を迂回するように上下線で分かれていいて、この塚を移動すると何やら良からぬことでも起こるのかしらんと思っていたのですが、そういう話は無いようです。
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(個人でこれを寄附するなんて、筋金入りの鉄さまです)

最後に、祐天寺駅にほど近い幼稚園入口の小公園(35.637944,139.692886)には、蒸気機関車(C57型)の動輪と腕木信号があります。

これらは、鉄道ファンの間では有名なカレー屋さんのオーナーが寄付したものです。
私も何度かそのカレー屋さんには行ったことがあるので、今度改めてご紹介したいと思います。
今回は大半が、季節外れの怪談話になってしまいました。
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次回は祐天寺駅から学芸大学駅に向かいます。

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