中目黒駅は、地元の人たちは「なかめ」と呼んでいます。
改札口の目の前が新山手通りで、関東には珍しく残り待ち時間が表示される歩行者用信号がかかり、ご丁寧に「青になりました」と音声で案内してくれます。
前にも書きましたが、ここは目黒区役所があって目黒区の中心ではあるのですが、住んでいる人や勤めている人以外にとって、とりたてて何かがある街ではありません。
私も子どものころから日比谷線に乗り換えるためにホームに立つことはあっても、改札を出入りすることは滅多にありませんでした。
その日比谷線ですが、近年東急東横線との乗り入れをやめたため、中目黒から日比谷・銀座・上野・北千住方面は全ての電車が始発になりました。
日比谷線は東京の地下鉄の中では古い部類で、各駅もそれほど深くはありません。
また、六本木、霞が関、築地、人形町など、有名どころや、他の地下鉄では行きにくい場所へも通っていますので、使い勝手の良い路線です。
ただ、駅が古くて浅い分、エスカレーターなどの設備もない出口が多く、Bromptonを抱えて階段をのぼるケースが多いことは覚悟しておきましょう。
いっぽう反対側にある目黒銀座商店街は、昔ながらの姿で、ある意味対照的です。
中目黒駅周辺をぶらぶらするときは、そのどちらも訪れてみると良いかもしれません。
中目黒GTタワーという中高層ビルの裏手にある焼鳥屋さんの「ばん」はサワー(焼酎割り用飲料)発祥の店ですが、その話はまた別の機会に譲ることにしましょう。
目黒川の河口は天王洲付近の京浜運河で、京急の新馬場駅下からJR大崎駅の脇を北西に、ほぼ山手通りに平行して遡上すると、ここ中目黒にたどり着きます。
さらにさかのぼると、首都高速の大橋ジャンクション脇を通り、その先で北沢川と烏山川に分かれます。
北沢川の源流は京王線八幡山駅近くの都立松沢病院敷地内の池です。
いっぽうの烏山川の源流は同線千歳烏山駅北方にある寺町の中の、多聞院というお寺の池です。
目黒川は流域に有名な街が多いので、いつか神田川シリーズの第二弾として、目黒川もご紹介したいです。
なお、暗渠になっていて分かりにくいのですが、中目黒駅のすぐ下流で目黒川に合流している蛇崩川という名の支流があります。
東横線が中目黒駅を出発して横浜方向へ向かう際、左手の高架下に小さな児童公園と、両側が駐輪場になっている小径を認めることができますが、これがめくら暗渠になった蛇崩川の痕跡です。
「蛇崩」(じゃくずれ)なんて、おどろおどろしい名前ですよね。
しかし、国道二四六号線(大山街道)の裏道を使用している人は、そういう名前の信号があるのをご存知かもしれません。
昔は字名として親しまれたそうですが、いまは暗渠になった緑道と、信号機に名前を残すのみとなってしまいました。
馬事公苑の300m南西には、LORO世田谷さんがありますので、代官山にBrompton Junction TOKYOのできた今、蛇崩川は二つのブロンプトン・フリークの集まるお店を結ぶルートになったわけです。
首都高に蓋をされた二四六をゆくよりもずっと安全、かつのんびり行けますよ。
途中緑道は自転車通行禁止(押し歩きは可)の区間もあるので、こんどぶらぶら行ったら、その顛末をレポートしましょう。
さて、そんな中目黒にあってご紹介する名所旧跡は日蓮宗のお寺、正覚寺です。
代官山の鎗ヶ崎交差点から駒沢通りを南へ下ると、目黒川を渡って新山手通りとの交差点、中目黒の立体交差に至ります。
そこから駒沢通りは祐天寺へ向かって「けこぼ坂」と呼ばれる対岸の丘へのぼってゆくのですが、その坂の基部左側に正覚寺はあります。
そしてここは伊達騒動で暗殺を目論まれた、仙台藩の四代藩主、伊達綱村の母、三沢初子のお墓があるのです。
少し長くなってしまいますので、仙台藩伊達家のお家騒動と、それにまつわる話を別にして、明日またつづけてあげようと思います。(つづく)